必ず帰ってくること
朱音が作戦会議への集合を告げた瞬間、装備室の空気が変わった。
さっきまで冗談を言っていた迅が、ダガーの位置を確かめる。
烈火が籠手を締め直す。
紫苑の姿が、装備室の影に沈む。
凛道は銃器コンテナを背負い、立ち上がった。
陽向も、迅に手伝われながら装備を確認する。
対怪異用伸縮警棒。符弾式拳銃。簡易封印札。通信機。魂汚染抑制札。
ひとつひとつ確認する手が、どうしても震える。
携帯食の硬さも、封印札の重みも、拳銃の冷たさも、まだ体に馴染まない。
それでも時間だけは進んでいく。
初任務の行き先は、黄泉行きの電車が来る廃駅だった。
「そない、緊張せんでもええよ、新人ちゃん」
迅が装備の装着を手伝いながら話す。
「怪異の実物と遭遇するんですよね。……正直、緊張してます」
「それ普通やで。俺なんか初任務の時、チビりそうになったわ」
「え?先輩も怖かったんですか!?」
迅は陽向の拳銃のマガジンをチェックしながら笑った。
「当たり前やろ。戦闘終わった後も足ガクガクだったわ。だからさ、それが普通。あんま気負わんでええで」
「ありがとうございます、すこし気持ちが楽になりました」
陽向が緊張でこわばらせた頬を少し緩めた。
「大丈夫、現場では俺が守ったるわ」
イザナが陽向の耳元で小声で言った。
「今のドヤ顔、超減点じゃね?」
「聞こえとるわ、イザナ」
迅は間髪入れず、イザナを指差した。
◇
作戦室には久我、朱音、凛道が既に席についていた。
中央の大型モニターには、旧桜町線の地下ホームが映っている。
隊員たちが席に着くと室内の照明が暗転した。
「ご覧の通り、対象区域には既に第零部隊麾下の黒子隊が到着し、現場封鎖と民間規制、第一部隊受け入れの準備を始めています」
久我の作戦説明が始まった。
東京地下鉄旧桜町線。
十年以上前に閉鎖された廃路線。
そのホームで、複数の人間が確認された。
映像には、ホームに立つ人影。
存在しないはずの電車。行き先表示は、黄泉。
映像の中で、人影が電車に乗り込む。
そして電車は、次の目的地へと出発する。
久我が淡々と説明する。
「――以上の特徴から、今回出現した怪異は都市伝説型怪異。識別名『終電さん』であると断定しました」
「……終電さん」
陽向はメモを取ろうとして、手を止めた。
「すみません。名前、ちょっと可愛くないですか?」
「天野隊員。名前に騙されると痛い目を見ますよ」
暗い室内、久我の黒縁眼鏡が鋭く反射する。
「は、はい!すみません……」
陽向は少し萎縮した。
久我はモニターの電車を拡大した。
「終電さんは、終電後の駅や廃線に現れ、生者を黄泉の国、あるいは境界域へ運ぶ怪異です。通常はD級からC級。本来なら単独、またはツーマンで対応する案件ですが……」
「ま、また、すみません……。黄泉に運ぶって……乗った人は、どうなるんですか?」
陽向はほぼ無意識に手を挙げて、思わず聞いた。
久我は小さく息を吐き、映像の中のホームを見た。
「原則、帰還できません」
「……帰れない、ということですか」
「はい。乗車後の生還例は、ほぼありません」
陽向の指先が、メモ帳の上で止まった。
画面の中では、ホームに立つ人影が、ただ電車を待っている。
自分たちが、これからどこへ向かおうとしているのか。
その意味が、ようやく喉の奥に落ちた。
「……続けます。今回の個体は、黄泉干渉濃度が異常に高い数値を示しています。念のため、第一部隊総出で処理する案件とすることが決定しました」
モニターの端で、黄泉干渉濃度を示す数値だけが赤く点滅していた。
画面のノイズが、まるで水面に浮いた血のように滲む。
久我の視線が、陽向とイザナへ向いた。
「特に今回は、イザナの黄泉感知能力の実地試験も兼ねます」
「実地試験……」
迅が眉間に皺を寄せた。
「なんや、新人ちゃんたち、モルモット扱いかいな」
一瞬だけ間があったが、久我が返す。
「……正確には運用監察対象です」
「言い換えてもあまり嬉しくないですけど……」
陽向が小さく呟いた。
陽向が横目で見たイザナは、無言でモニターをじっと見つめていた。
「イザナ?」
「んー」
「終電さん、知ってるの?」
イザナは首元の制御術式環に指をかけた。
「知らね。だって、千年前、電車無かったし」
「あ、そっか」
陽向は妙なところで納得した。
「終電さん、だっけ? ま、名は体を表すって言うし、大したことないっしょ」
イザナは肩をすくめた。
「各員、聞け!」
朱音の声が響いた。
少しざわついていた室内が、しんと静まった。
「今回の最優先事項は、区域内にいる一般人の救助だ」
朱音がモニター内のマップを指差す。
「久我隊長が言うてはったとおり、対象が終電に乗ってしまった後では、回収が極めて困難になります。なんとしても乗車前に救助することを、各員、肝に銘じておくように」
「了解!」
隊員たちの声が、短く重なった。
「我々も超特急で現地に向かいますえ!」
朱音の指示を受け、第一部隊は無駄なく動き始めた。
「……天野さん」
朱音が陽向を呼び止めた。
「はい、鞍馬隊長!初任務、足を引っ張らないように頑張ります!」
陽向の言葉に朱音は少し微笑んだ。
「その心意気は嬉しおす。せやけど、一番大事なんは怪異を倒すことやありませんえ」
「はい!」
「見ること。聞くこと。命令に従うこと。怖いと思ったら、すぐに言うこと」
朱音は続けて、静かに言った。
「……そして、必ず帰ってくること」
その言葉に、陽向は緊張を残したまま、それでも笑った。
「分かりました! 必ず戻ります!」
退室していく隊員たちに目線も上げず、久我透真は出撃記録を入力していた。
対象A、天野陽向。
対象B、未分類怪異第零号。
任務種別。
紅月区域調査および都市伝説型怪異の鎮圧。
監察項目。
魂汚染値、寿命消費量、共鳴安定度。
怪異侵食率、暴走兆候、戦力価値。
久我は一度、指を止めた。
そして、別枠に一行を加える。
東京第一部隊による対象A・Bへの心理的接近。
要観察。
送信先は、怪異契約審議会に設定されていた。
久我は、無表情のまま記録を閉じた。
「……運用監察を開始する」
その言葉は、誰にも届かなかった。
陽向も隊員たちのあとについて部屋を出ようとして、ふと足を止めた。
イザナが、まだモニターを見ていた。
「イザナ?」
「黄泉干渉濃度、ねぇ」
イザナは首元の制御術式環に指をかける。
「なんか、大っ嫌いな匂いが混じってる気がすんだよな」
その声は、いつもより少し低かった。
陽向が何かを聞き返す前に、イザナはいつもの顔に戻った。
イザナの指先が、制御術式環を一度だけ引っかいた。
それから、いつもの軽い笑みに戻る。
「ま、行けば分かるかぁ」
そう言うと、イザナは陽向の腕に手を回し、作戦室をあとにした。




