装備室にて
「久我隊長。紅月区域が発生しているのに、検査してても大丈夫なんでしょうか?」
陽向の問いに、久我はモニターを見ながら答えた。
「現地には先遣班を向かわせています。第一部隊は本隊として二十分後に出ます」
無機質な機器が立ち並ぶ検査室。
腕や首筋、こめかみに薄い札のような測定端子を貼られた陽向は、検査台に寝かされていた。
魂汚染値。寿命消費予測。怪異侵食率。共鳴安定度。精神負荷指数。
モニターには、見ても分からない波形と数字がずらりと並んでいる。
「各数値、契約直後としては許容範囲内には何とか収まっていますね」
「よかったです!」
「ただし、魂への負荷は通常契約者の三・七倍です」
「……全然よくなかったです!」
検査室の隅では、イザナが椅子に座って足をぶらぶらさせていた。
「ヒナ、検査長くない? 魂ドック?」
黒い髪の毛先を、紅い火みたいに揺らしながら、退屈そうにあくびをしている。
「人間ドックみたいに言わないでよ」
「魂の健康、大事じゃん」
「言ってることは正しいのに、なんか腹立つ」
久我は一切笑わず、手元のケースを開けた。
中には、細い黒い輪が入っていた。
金属にも革にも見える素材の表面に、細かな術式が刻まれている。
「出た。まんま首輪じゃん」
それを見た瞬間、イザナが分かりやすく嫌そうな顔をした。
「制御術式環だ」
「ウチは犬じゃないっつーの」
「
第零号。装着してください」
イザナは、ぷいと顔をそらした。
けれど、逃げはしなかった。
「それ付けたら、ビリビリしたりしないよね……?」
陽向は不安そうな顔で、その術式環を見た。
イザナは椅子から立ち上がると、自分から久我の前に来た。
「……ヒナが心配そうな顔してるし、今回は大人しくしとく」
久我が術式環を近づける。
黒い輪が吸い寄せられるように、イザナの首元に張りつき、かちりと閉じた。
次の瞬間、輪に刻まれた文字が青白く光る。
イザナの影が大きく歪んだ。
人の形が崩れ、獣のようにも、長い髪の毛のようにも、歪な鳥居のようにも見えた。
陽向は、思わず息を止めた。
いま目の前にいるのは、少女の姿をした何かだ。
その事実だけが、急に胸の奥へ落ちてくる。
影は一瞬だけ何倍にも広がり、すぐにイザナの足元で元の人の姿の影に収まった。
「制御術式、起動確認」
久我は淡々とタブレットを確認する。
「出力、第三制限以内。契約者から五十メートル以上の離脱不可」
その言葉にイザナが、にやっと笑った。
「五十メートル以内とか、ほぼ同棲じゃん」
「え? もしかして一緒に暮らすってことですか!?」
陽向は久我に振り向いた。
「他の隊員たちも基本はそうだ。諦めなさい」
無表情のまま、久我は淡々と告げる。
「え?でも、他の隊員の怪異って、イザナみたいにいつも一緒じゃないですよね?」
久我は陽向と目を合わせることなく、タブレットで作業を続けていた。
「出撃前で時間がないので端折りますが、見えていないだけで常にいます。第零号が特殊なんです。こんな『出たがり』他にいません」
その言葉に、陽向がイザナへ目を向けると、イザナは小さく微笑みながら手を振っていた。
「……そろそろ来る頃だな」
久我が腕時計を見るのとほぼ同時に、検査室の扉が開いた。
「新人ちゃん、検査終わったか?」
顔を出したのは、難波迅だった。
「あ、難波先輩!」
「迅でええで。難波先輩やと、なんか漫才師みたいや」
「じゃ、迅先輩」
「お、名前で呼ばれるの意外とええな。かわいい後輩感ある」
イザナが横から顔を出した。
「あ、カマイタチ先輩だ。美容院の敵」
「契約怪異側で呼ぶなや。お前は、ほんま口悪いな」
「ギャル怪異なんで」
「ギャルに謝れ」
陽向は慌てて、二人の間に入った。
「イザナ、初任務前に先輩へ失礼なこと言わないの!」
迅は笑いながら、親指で廊下の向こうを指した。
「まあええわ。装備室行くで。第一部隊の他のメンバーも紹介したる」
「はい!」
陽向は検査端子を外して、慌てて立ち上がった。
その足が、一瞬だけふらつく。
「ッ! おっと」
膝から力が抜けた。
胸の奥に、まだ冷たい何かが残っている。
自分の魂の端を、知らない指先で撫でられているような感覚。
「ヒナ、大丈夫?」
「うん。ちょっと、よろけただけ」
「ウチが触ったから、魂の端っこ、ちょい焦げてるわ」
「魂って焦げるの!?」
「焦げる焦げる。焼きマシュマロ的な?」
「たとえが可愛いのに内容が怖い!」
久我が冷たく言った。
「第零号の過剰な初期接触により、魂の一部に焼損反応はありますが、自己回復可能な範囲です。問題ありません。安心してください」
「説明がむしろ怖い! 公安、怖い!」
迅が陽向の肩を軽く叩いた。
「まあ、第一部隊がついとる。新人ちゃんは、無理せんと見て学べばええよ」
「は、はい!」
迅は笑っていた。しかし、声の奥は真面目だった。
陽向は、小さくうなずいた。
「分かりました」
「ええ返事や。さ、いくで。初任務に出るための準備しにいこか」
◇
初任務に出るための準備。
そう言われて連れてこられた場所は、装備室というより、軍隊の武器庫だった。
壁一面に、武器が並んでいる。
日本刀。短刀。銃。透明なケースに入った弾丸。束ねられた封印札。
見たことのない金属製の籠手に、対怪異用の警棒。
種類も用途も分からない武器や防具が、壁のホルダーにずらりとぶら下がっていた。
装備室は、検査室よりずっと物騒だった。
「うわ……」
陽向は思わず声を漏らした。
「もしかしてテンション、ブチ上がってる?」
イザナが隣で言う。
「上がるというか、命の危険感じてる……」
「それは正解寄りだね」
迅は陽向とイザナの後ろから声を掛けた。
「新人ちゃん、見てみ。あそこにいるんが烈火さんや」
迅が指差した先で、赤髪ショートカットの大柄な女性が巨大な籠手を装着していた。
赤黒い金属の籠手。
拳の部分には、鬼の角のような突起がある。
打ち合わせるだけで、鉄骨を殴ったような低い音が響いた。
「烈火さん、ちょっとよろしいですか?」
その声に、女性がぱっと顔を上げた。
「おお! おまえが天野陽向だな!」
「は、はい! よろしくお願いします!」
女性は胸を張った。
「あたしは鬼頭烈火だ! 第一部隊、前衛担当! 怪異をぶん殴る係だ!」
「係の説明がすごく分かりやすいです!」
烈火は満足げにうなずいた。
そして、おもむろに陽向に聞いた。
「陽向! 飯は食ったか!」
「め、飯ですか!?」
「そうだ、昼飯だ!」
「まだ食べてません!」
「ダメだ!」
「怒られた!」
苦笑いする陽向に、烈火は装備棚から携帯食をひとつ投げて寄越した。
陽向は慌てて受け取る。
「出撃前に食え。腹が減ると魂も軽くなる!」
「魂に体重あるんですか?」
「ある気がする! だから食っとけ!」
「……食べます!」
呆気に取られながら、陽向は封を切って、携帯食をかじった。
固い。
すごく固い。
味は、食べ物と段ボールの中間だった。
「……お、おいしい、です!」
「嘘をつくな!」
「すみません! 全っ然おいしくないです!」
「正直でよろしい!」
烈火は豪快に笑った。
「圧はすごいけどな、頼れる姉御って感じや」
迅は笑っていた。
「それと……紫苑は……」
迅が装備室を見渡す。
その瞬間、背後から声がした。
「天野さん、これ持ってて」
「わっ!」
陽向が飛び上がる。
いつの間にか、背後に男が立っていた。
長い黒髪を後ろで束ね、生気の薄い顔なのに、その瞳だけは異様に鋭い。
第一部隊、潜入担当、朧紫苑。
彼の手には、細長い封印札が三枚あった。
そこにいたはずなのに、いなかった。
いなかったはずなのに、声をかけられた瞬間には、もうそこにいる。
そういう人だった。
陽向は恐る恐る札を受け取る。
「あ、ありがとうございます。あの、これは」
「簡易封印札だよ」
紫苑の声は低くも高くもない。
ただ、すぐそばにあるはずなのに、少し遠くから聞こえるようだった。
「どう使えばいいですか?」
「怖いものに貼る」
「ざっくり!」
紫苑は、ほんの少しだけ首を傾けた。
「初任務では、細かい説明は忘れる」
「……それは、そうかもしれません」
「だから、怖いと思ったら貼る。まずは、それでいい」
陽向は札を見つめた。
朱色の文字が、わずかに光っている。
紙なのに、指先に小さな熱が残った。
「ありがとうございます、紫苑先輩」
紫苑の目が、わずかに動いた。
「……もう覚えたの、名前」
「え? 先輩の名前を覚えるのは当然、というか……」
「……そう」
それだけ言って、紫苑は音もなく下がった。
ほんの一瞬、陽向は札に目を落とした。
次に顔を上げた時には、紫苑の輪郭はもう装備室の影に溶けかけていた。
イザナが、陽向の肩越しに紫苑を見ている。
「影薄先輩、変。ウチでもたまに見失う」
「イザナでも?」
「存在感が薄いし、世界からちょいズレてる感じ。なにあれ、おもろ」
陽向は、紫苑の背中を見た。
いるのにいなくなる。そんな異質な背中だった。
「凛道さんは、まあ、もう会っとるし、ええか。多分、声かけても『無理せず励め』くらいしか言わへんで」
迅は両手を頭の後ろで組み、笑った。
「でも、やっぱり初出撃なので挨拶はしてきます!」
陽向が凛道に駆け寄る。
「黒瀬副隊長! 今日からお世話になります!」
凛道は無言でアサルトライフル、狙撃銃、ハンドガンなどの火器をそれぞれのホルダーに収めていた手を止め、陽向に向いた。
「天野……、無理せず励め」
迅は笑った。
「ほら、俺の予想どおりや」
「作戦会議を始める。各員、十分後に作戦室へ」
朱音の声が装備室に響いた。




