半分冗談
「天野さん」
久我の声で、陽向は顔を上げた。
「今日から命を消費して戦うことになります。それが怪異戦線という場所だと理解して下さい」
その一言で、場の空気が締まる。
陽向は、何も言えなかった。
その言葉だけは、冗談では流せなかった。
命を消費し、寿命を削る。つまり、自分の魂を差し出す。
新人教育で習っていた。
分かっていたつもりだった。
でも、契約が成立した今、その重さが急に現実になった。
胸の奥に、イザナの気配がある。
冷たい指で、魂の端を撫でられている感覚が確かにあった。
イザナは何も言わなかった。さっきまで軽口ばかりだったのに、今は黙って陽向を見ている。その金色の目の奥には、笑いとは別の色があった。
陽向は自らの足でゆっくりと立ち上がった。
「つまり、私はこれから、この最凶ギャル怪異と一緒にやっていくしかないんですね」
少しふらつきながらもイザナを見た。
「よろ~、ヒナ。末永く魂ちょーだいね」
イザナは、にへらと笑って、手をひらひら振る。
「ちょーだいね、じゃない!」
「ヒナ、こわっ」
イザナは口を尖らせて文句を言っていた。
陽向は深く息を吸った。
「分かりました」
陽向は、拳を握った。
「このギャル怪異、私がちゃんと躾けます!」
零号区画が、静まり返った。
久我の指が、タブレットの上で止まる。
「……天野さん。やはり君は、評価が難しいですね」
「また評価が難しくなりました!?」
イザナが笑う。
「ヒナ、メンタル強。いいじゃん、いいじゃん」
「イザナは少し黙ってなさい!」
陽向がイザナを指を差す。
「わぁ!契約者にめっちゃ冷たくされるんだけど。イザナちゃん、ちょー傷ついた!」
イザナが泣き真似をする。
「――なので、魂ちょうだい」
「おやつ感覚で要求しない!」
二人のやり取りに迅は笑い出した。
「なんや、お前ら。漫才の息、ぴったりやないか!」
「ま、漫才!?私は真面目にやってますよ!」
その様子に、少し呆れたように、朱音がやっと刀を鞘に収めた。
「総部長。運用方針は」
「天野陽向およびイザナは、書類上は東京第零部隊所属、管理対象とする」
晴臣が告げる。
「ただし、実戦運用は東京第一部隊の監督下で行う」
朱音の目が細くなる。
「……うちに預ける、ということどすか」
「そうだ」
「アレは危険すぎます」
「どすえ先輩、聞こえてんぞー」
イザナが離れたところから話に割って入る。
「危険だからこそ、君に預ける」
「……ずるい言い方しはりますな」
「否定はしないが、期待の表れだと思って欲しい」
朱音はしばらく黙った。
そして、陽向を見る。
その視線は優しくない。
けれど、突き放すだけでもない。
「天野さん」
「はい!」
「うちは、あなたをまだ隊員として信用してまへん」
言葉の鋭さとは裏腹に、朱音の表情は優しかった。
「はい!」
「イザナに至っては、信用以前の問題どす」
「はーい、問題児、自覚しているでありまーす」
イザナは自分の定位置に戻って座り込み、クッションを抱えたまま、わざとらしく敬礼した。
「黙りなはれ」
「こっわ」
朱音はイザナを一瞥してから、陽向に戻る。
「しかし、現場に出る以上、守るべき対象、育てるべき新人として扱います」
「……はい」
「そして、暴走した時は止めます」
言葉は静かだった。
「――必要なら、斬ります」
陽向の喉が鳴った。
イザナの笑みが、すっと消える。
「それはヒナを?」
「真っ先にあなた……でしょうね」
「ふーん」
一瞬の沈黙が落ちる。
「……だったら、今やってみろよ」
イザナの金色の瞳が、朱を落とすように紅く染まりだし、さっきまでの軽さが、すっと消える。
部屋の空気が凍った。
さっきとは比べものにもならない圧が、封印室を満たす。
隊員たちは、みぞおちを不意に殴られたように息を詰まらせた。
「どすえ先輩ご自慢の刀とウチの力。どっちが上か――分からせてやろうか?」
朱音は鍔に手を添えた。
抜刀の姿勢を緩やかに取り、静かにイザナへと向いた。
「分からせる前に、斬られへんようお気をつけなはれ」
朱音の瞳が薄刃のような鋭さを増していた。
「イザナ!!」
陽向が叫んだ。
その声に、イザナの紅い目が、ぴくりと揺れた。
「……はいはい、冗談だし。ヒナ、顔こわいって」
「今のは冗談に聞こえない!」
「じゃあ……半分冗談?」
「もっと悪い!」
朱音は動かなかった。
ただ、静かに言う。
「その調子なら、早めに斬ることになりそうどすな」
「鞍馬隊長も挑発しないでください!」
このバディ、始まってあっという間に終わりそうだ。
陽向は、頭を抱えた。
「天野さんには、このあとすぐ契約後初期検査を受けてもらい、現在の魂関連数値を把握させてもらいます。」
こんな状況にも関わらず、久我は表情ひとつ変えずにタブレットを操作しながら、魂医療局の受診連絡を取る。
「それから、第零号、キミには早々に第零部隊の制御術式環を装着します」
「第零号? ああ、ウチのことか」
イザナが嫌そうに言う。
「首輪とか、ウチ犬じゃないんですけどー。わんわん」
ニヤつきながら、イザナが茶化すが、久我は無反応のままだ。
「制御術式環です」
「だから、つまり首輪じゃんか」
「呼び名は好きにすればいいです」
「オシャレ?」
「必要ありません」
「んだよ、つまんね」
久我は小さく息を吐いた。
「能力使用には制限が必要です」
「え、やだ」
「天野陽向への負担も考えれば当然の対応です」
「やだよー」
「君の承諾は最初から取るつもりはないです。これは強制です」
「ヒナぁ。こいつ、マジで話通じないよー」
イザナが久我を指差しながら、陽向に向いた。
「イザナが言う、それ!?」
陽向がツッコんだ、その時、零号区画の照明が、ふっと暗くなった。
赤い警報ではない。
今度は、青白い光。
天井のスピーカーから、別の機械音声が流れる。
『緊急警報発令、緊急警報発令、監視エリア内に紅月区域、発生。繰り返す――』
全員の表情が変わった。
さっきまでの騒がしさが、瞬時に消えた。
「……紅月区域?」
「新人教育で習ったやろ、要はオバケが出たっちゅうことや」
陽向の呟きに、そう答えた迅の顔には、もう笑みはなかった。
久我がタブレットを操作した。
「場所は『東京都地下鉄旧桜町線、未使用ホーム周辺』だ」
「旧桜町線?」
聞いたことのない路線名に陽向は聞き返した。
「廃線や。十年以上前に閉鎖されとる」
迅が顔をしかめる。
「閉鎖された駅で紅月区域ですか?」
「そういう場所ほど、出る」
陽向の問いに、凛道が短く言った。
「現地映像に切り替えます」
久我のタブレットに粗い監視映像が映った。
暗い地下ホーム。
蛍光灯が点いたり消えたりしている。
線路には、使われていないはずのレール。
そして。
ホームの端に、数人の人影が立っていた。
「え?一般人?」
陽向が身を乗り出す。
「なぜ廃線のホームに……」
久我が呟く。
画面の中で、ホームの電光掲示板が点灯した。
文字が乱れる。
次の瞬間、そこに二文字が浮かんだ。
『黄泉』
陽向の胸が、冷たく鳴った。
イザナは黙って画面を睨んだ。
監視映像の電光掲示板の文字が流れる。
『まもなく――』
『黄泉行きが、参ります』
誰もいない線路の奥から、光が近づいてくる。
終電など、来るはずがない。
廃線なのだから。
それでも、電車は来る。
黒い車体。
赤い行き先表示。
窓の向こうに、乗客の影。
久我が低く言った。
「都市伝説型怪異……」
「東京第一部隊、出撃だ」
晴臣の号令に朱音が頷く。
「了解しました」
晴臣が、陽向とイザナを見た。
「天野君、君らも同行しろ」
陽向の背筋が伸びた。
「は、はいッ!」
「第一部隊の監督下での初実戦だ。まずは現場の空気を吸ってきなさい」
心臓が跳ねる。
怖い。
さっきより、ずっと怖い。
画面の向こうに、助けを待つ人がいる。
黄泉行きの電車に乗せられようとしている人がいる。
陽向は背を伸ばして晴臣に敬礼した。
「はい!天野陽向、第一部隊と現地帯同します!」
イザナが隣で笑う。
けれど、その目だけは、少しだけ真剣だった。
「初デートが黄泉行き電車とか、シブい行き先じゃん」
「任務だよ、イザナ!」
「はいはい、ヒナは真面目ちゃんかっ」
イザナは笑いながら、続けた。
「んじゃ、行こっか」
その声が、少しだけ低くなる。
「黄泉に誘うやつが、どこのどいつか、見に行かなきゃね」
陽向は大きく息を吸った。
怪異戦線の新人隊員。
天野陽向、十八歳。
警察官になるつもりだった。
それが今では、最凶の怪異と魂契約して、黄泉行きの電車を止めに行こうとしている。
人生、本当に分からない。
――だけど。
不安の方が大きいけれど、多分、この子となら頑張っていけそう。
根拠はどこにもなかったが、陽向はそう感じていた。
「ヒナ、緊張しすぎだっての」
イザナは陽向の腕に手を回し、横に並んだ。
「死なない程度に盛ってこーぜ!」
イザナは気怠そうな足取りで、拳をつきあげた。
「盛ってこーぜって、何!?」
二人は横並びで地下第六階層、封印区画を出た。
千年ぶりの外出。
そして、初めての契約者。
イザナの心は、少しだけ踊っていた。




