黄泉駅突入作戦
公安委員会本部。
地下第一階層、大会議室。
本部強襲事件対策会議、開会十五分前。
「総部長。怪異契約審議会への事前承認は」
急ごしらえで作成された資料に目を通す久我が、晴臣に尋ねた。
「まだだ。この場で通す」
晴臣は答えながらも、キーボードを止めなかった。
画面には、関係各所への通達文と承認待ちの警告表示が、いくつも並んでいる。
「反発が出ます」
「あぁ、間違いなく出るだろうな。だが、彼らは本来、怪異の契約、運用、封印判断に口を出す審査機関だ。現場のことは現場に任せるべきだ」
晴臣は静かに答えた。
「過去の発言から、御門院議長は、天野陽向の隔離を主張する可能性があります」
「もう、すでに主張しているよ」
空気が一瞬、重くなる。
晴臣は続けた。
「審議会は、天野陽向の一時隔離、イザナの再封印、第零部隊による運用停止を提案している」
「運用停止……」
久我の目が止まる。
「今のところ、私が止めている」
「総部長のことですから、審議会を黙らせるだけの材料があってこその『総部長承認』だとは思いますが、正直、私はやや不安です」
久我は書類から視線を上げ、晴臣に向いた。
「ふっ、君の心配性は私と現場に出ていた時から変わらないな」
少し笑った晴臣が、久我には少し意外で、気恥ずかしそうに視線をずらした。
「総部長……、いえ、あなたが安倍隊長であった頃から、私の想像の、さらに上を行く奇抜な戦術を取るからですよ」
久我は昔を思い出し、少し笑った。
「隊長の判断はいつでも信頼しています。ただ、一パーセントの不安材料を取り除くのが、私の役目でしたから……、そりゃ性格も捻じ曲がりますよ」
その顔を見た晴臣も優しい笑みを浮かべていた。
「今回も期待しているよ、久我君。――もっとも今日の相手は怪異ではない、だからこそ、さらに厄介とも言えるがね」
「今日もいつも通りの後方支援、お任せください」
公安委員会、特殊治安維持部隊『怪異戦線』本部は荒れていた。
上層部が一斉に緊急招集された。
東京、京都、両本部の局長級も会議に呼び出され、今後の対応を協議している。
議題は、安倍晴臣が承認した『黄泉駅突入作戦』の是非だった。
第零部隊隊員が本部結界の再展開、第一部隊の支援にと、慌ただしく走り回る。
しかし、それは東京本部だけに限らず、遠く離れた京都本部にも緊急事態宣言が発布され、西日本地域の防衛強化と東京本部支援に追われ、京都もまた慌ただしさを極めていた。
一方、第一部隊は装備室で粛々と出撃準備を進めていた。
黄泉駅突入。
その作戦が承認された瞬間から、怪異戦線本部の空気は完全に変わった。
第一部隊の面々は、それぞれ入念な装備チェックに余念がなかった。
「……黄泉駅って、どんな場所?」
装備室の刀架から抜いた日本刀を退屈そうに眺めているイザナに陽向は尋ねた。
「黄泉に行くやつが、最初に降ろされる場所」
「あぁ、駅だから」
「そ。んで、その向こうに黄泉の門」
イザナは飽きたように、刀をラックに戻し、今度は陽向の警棒を手に取る。
「あの神楽坂≪リケジョ≫の作戦は、理にかなってると思うよ」
イザナが力を込めると、警棒は長槍へと姿を変えた。
「突入作戦?」
靴紐を締める陽向が顔を上げた。
「そ、泰山王は予定調和が大好物。それを崩されると隙ができる。これこそ、ヒナが終電さんから脱出できた理由だしね」
陽向の脳裏に車内での出来事が思い出される。
「イザナの突入……」
「まさか、ウチが天井突き破って助けに来るなんて思ってなかったろうね」
イザナが、けらけらと笑った。
「晴臣は多分、泰山王のそういうところ分かってんだよ。だからこそ承認したんじゃね?だって、アイツ――」
そう言いかけたところで、迅が陽向の元へ歩み寄ってきた。
「陽向、黄泉駅行きの前に腹入れとき」
迅が携帯食を投げた。
「味が怖いです」
「味よりカロリーや」
「怪異戦線、食への期待値がめっちゃ低い!」
イザナが横から覗き込む。
「一口ちょうだい」
「魂じゃなくて携帯食ならどうぞ」
「やった♪」
イザナは携帯食をかじった。
そして、顔をしかめた。
「……ウゲ。なにこれ。段ボール?」
「私もそう思った」
「黄泉の供物の方がマシ」
「比較対象が嫌すぎでしょ、それ」
イザナは文句を言いながら、もう一口かじった。
「やっぱ、マズッ」
陽向はそれを見て、少しだけ笑った。
怖い。
黄泉駅に行くのは怖い。
泰山王も、終電さんも、命の帳簿も怖い。
でも、隣にはイザナがいる。
前には第一部隊がいる。
後ろには第零部隊と医療局と京都本部がいる。
ひとりではない。
陽向は携帯食を口に入れた。
やっぱり、おいしくはなかった。
◇
三十分後。
対策会議は、賛成十五、反対五にて、安倍晴臣の作戦を正式に承認した。
反対に回ったのは、やはり御門院議長と、その意向に追随する数名だった。
だが、全責任を晴臣が負うこと。
そして、作戦失敗時には晴臣自身が地下第七階層から最終対応に入ること。
その二点が、承認の決定打となった。
作戦名「黄泉駅突入作戦」。
作戦総責任者、安倍晴臣。
現場制御権者、久我透真。
技術支援、神楽坂澪、蓮見玄庵。
結界支援、京都本部第一部隊。
突入班、東京本部第一部隊。
東京本部防衛及び結界再展開班、安倍晴臣、および第零部隊結界制御班。
もはや本部総力戦に近い布陣であった。
怪異戦線本部、地下第七階層。
結界制御中枢区画。
零号封印区画のさらに下。
東京本部の最深部に、その場所はあった。
そこは、ただの指令室ではなかった。
半円状に並ぶオペレーター席。
階段状にせり上がる制御卓。
その最上段には、巨大な陰陽盤を模したメインモニターが浮かんでいる。
画面に映っているのは、日本列島だった。
ただの地図ではない。
列島の上を、青白い霊脈が血管のように走っていた。
東京には赤い警告光。
京都には金色の結界光。
各地に発生している紅月区域は、血の染みのような赤い点で点滅している。
「本部結界、再展開率六十二パーセント」
「京都本部より帰還路支援、接続開始」
「黄泉干渉値、上昇。第二警戒域を突破」
オペレーターたちの声が、途切れなく飛び交う。
黒いスーパーコンピュータの筐体が、低く唸っていた。
だが、その表面に貼られているのは、管理シールだけではない。
朱墨で書かれた護符。
銅鏡。
方位盤。
白木の小さな鳥居。
配線の束に混じって、白い注連縄が床を這っている。
冷たい電子音と、護符の端が焦げるかすかな音。
モニターの青白い光と、術式陣の淡い朱色。
現代科学と古い陰陽術式が最初から一つの装置だったかのように、互いを補い合っていた。
ここが、怪異戦線東京本部の心臓部だった。




