四つの条件
『私にいい考えがあるんだ!』
神楽坂は、にっと笑った。
その明るさに、『神楽坂澪』の人間性を知ってる者は、誰もが嫌な予感がした。
『こっちから逆に出向いてやるんだ。泰山王が指定した黄泉駅にね!』
空気が止まった。
「やっぱり、そんなとこだろうと思いましたよ、神楽坂局長。それこそリスクが高すぎます」
久我がため息混じりに、即座に返す。
「黄泉駅は黄泉国境界域に近い。万が一、境界を一歩でも超えれば、帰還できる保証はありません。天野陽向を連れていくなら、なおのこと推奨できません」
『透真くんはそう言うと思ったよ』
画面越しに神楽坂は久我を指先でつつくような仕草をする。
『じゃ、ここで待つ? 万が一、ここで本部結界を破られたら、怪異戦線は再起不能になるよ』
神楽坂の視線が鋭さを増す。
『つまりさ。同じ「万が一」なら、どっちの方がマシかって話だとは思わない?』
久我は、一瞬だけ言葉に詰まった。
『よく考えてみなよ、透真くん。ここで待って結界を破壊されるくらいなら、黄泉駅の座標を逆探知して、陽向っちたちが先に黄泉駅へ行く』
『そうすれば、泰山王を乗せていると思われる終電さんの電車は、本部を迂回して黄泉駅へ向かう可能性が高い』
「理屈は理解できます。しかし、それでも天野陽向の出撃には慎重になるべきです」
久我の声は冷たい。
検査室の空気が、少しだけ硬くなった。
「対象は彼女です。泰山王は、彼女の名を控えている。黄泉駅に近づけば、命数帳との接続が深まる危険があります。第零部隊としては承認できません」
「でも、私が行かないと」
陽向が口を挟む。
「それは感情論です」
「違います」
陽向は思わず言い返していた。
声が震えた。けれど、止めなかった。
「終電さんは、私の名前を使っています。私が怖がって隠れている間に、また誰かが乗せられるかもしれません」
「だから自分だけが行けばいいと?」
久我の視線が鋭く陽向を刺す。
「それは……」
言葉が詰まった。
完全には、違わない。
自分が狙われているのだから、自分が前に出ればいい。
そんな考えが、まだ胸のどこかにある。
久我はそこを見逃さなかった。
「君の自己犠牲傾向は、乗車条件として利用される」
「自己犠牲傾向って……」
陽向は唇を噛んだ。
「黄泉側は、罪悪感と未練に切符を差し込む。君が『自分が、自分だけが行けばいい』と考えた瞬間、それを乗車意思と見なされる可能性がある」
朱音が静かに口を開いた。
「天野さんを外すことは、確かに安全策どす」
「ならば――」
久我の言葉を遮るように、朱音は続けた。
「けれど、相手が天野さんの名を軸に術式を組んでいる以上、本人不在では解除できない可能性もあります」
朱音の声は柔らかい。
けれど、その芯が揺れることはなかった。
「危険を理由に遠ざければ、黄泉側に名前だけを引かれ続ける。ならば、本人を伴い、第一部隊と第零部隊の管理下で切断する方が、結果的に安全かもしれまへん」
少しの沈黙の後、久我は小さく息を吐いた。
「本人の希望も拾いたいという、多少なりの情で判断していませんか」
久我の視線が朱音を刺す。
「情がないとは言いません。けれど、総合的な判断は現場情報に基づいています」
朱音の言葉に続けて、モニターを見ていた凛道が久我に向いた。
「なぁ、久我。これは要するに、『本部を壊されたくなければ黄泉駅に来い』という泰山王からのメッセージじゃないか?」
凛道の声は短かった。
「凛道さんまで……」
久我は、少しだけ意外そうに凛道を見た。
冷静沈着な凛道なら、この作戦には否定的だと思っていた。
「まあ、陽向抜きで黄泉駅行っても、泰山王に『本人連れてこい』言われそうやしな」
腕組みをして、話を聞いていた迅が肩をすくめる。
「それは可能性に過ぎません」
「せやけど、『連れてこないなら、こっちから行くぞ』なんて言われたら元も子もないやろ」
烈火が拳を鳴らし、笑った。
「なら決まりだ! 陽向を連れて行く! ただし、絶対に守る!」
「大雑把すぎますよ!」
久我は間髪入れずに烈火に抗議する。
「大事なところは合っている!」
「合っていますが、細部が足りません」
烈火の勢いに、珍しく久我も乗せられているようだった。
「細部は司令部と久我に任せた!」
久我は目を見開いた。
「なっ!? 丸投げですか!?」
「私は殴る担当だ!」
胸を張る烈火を見て、陽向は思わず小さく笑った。
怖い。まだ怖い。
でも、一人で黄泉駅へ向かうわけではない。
「天野さんが行くなら、僕が影を繋ぐ」
紫苑が静かに言った。
「黄泉駅と現世の間に、戻る影を残す」
「そんなことができるんですか」
「少しだけ」
「紫苑先輩の少しだけ、毎回すごいです」
「長くは持たないけどね」
紫苑は、いつもの静かな目で陽向を見る。
「でも、万が一の場合でも、帰る場所の目印にはなるはずだよ」
帰る場所。
その言葉で、陽向の胸が少しだけ温かくなった。
「ありがとうございます」
「うん」
紫苑は、真っ直ぐに向けられた視線に、ちょっと気恥ずかしそうに俯くと、また存在感が薄くなっていった。
久我はしばらく黙っていた。
端末に視線を落とし、魂波形、黄泉干渉値、終電さんの痕跡、泰山王系刻印を確認している。
「私の判断では、天野陽向の出撃は危険です。しかし、出撃させないことにも危険があると理解しました。」
久我は続ける。
「よって、条件付き運用を提案します」
「条件?」
イザナが片眉を上げる。
「ひとつ。天野陽向は第一部隊の陣形中央から離脱しない」
「ふたつ。イザナの出力制限を第三から第二へ緩和し、不測の事態に対応できるようにする。ただし、第二制限への緩和判断は、鞍馬隊長または私の許可制」
「そんなん、やだぷー。全力で行かせろ」
イザナが茶化すように拒否する。
「拒否は認めません」
「じゃ、ヒナが死にそうなら?」
イザナは腕を組んで、久我を睨む。
「緊急時は例外とします。ただし使用後、即時遮断」
「だる」
イザナはがっくりと肩を落とした。
「必要措置です」
イザナは舌打ちしたが、それ以上は言わなかった。
「みっつ。天野陽向が自責・自己犠牲傾向を示した場合、即座に作戦中止」
「そこまで?」
考えごとにふけって俯いていた陽向は顔を上げた。
「君の思考そのものが、乗車条件に利用される」
「思考が危険物扱い……ですか」
陽向の顔がすこし引きつる。
「現状ではそうです」
陽向は反論できなかった。
イザナが横から言う。
「ヒナ、すぐ『私がやります』って顔するし」
「分かってるよ。ちゃんと気をつけるって……」
陽向がばつが悪そうに少し俯いて答えると、イザナは笑いながら続けた。
「顔を?」
「思考を!」
けらけらと笑うイザナを横目に、久我は端末に入力を続ける。
「よっつ。黄泉駅内で名前を呼ばれても返事をしない」
「名前を呼ばれても?」
陽向はその意味が分からず、怪訝な顔を浮かべた。
「黄泉側の呼名は、魂の同意を取る手段になります」
久我の話に、玄庵が補足する。
「魂の同意もそうじゃが、名を呼ばれて返事をすれば、そこにいると認めることになる。黄泉では、名は住所のようなものじゃ」
「住所……」
「だから、うかつに返事をしてはいかん」
「わ、分かりました……」
黄泉駅で自分の名前を呼ばれても、返事をしない。
それは簡単なようで、とても難しそうだと、陽向は感じた。
「まったく、君たちの無謀っぷりは、本当に困ります」
久我は小さく息を吐いた。
「……では、総部長に最終判断を伺います」
久我が端末を介して、安倍を呼び出そうとした、その時、医療局の外の足音が一瞬だけ止まった。隊員たちがそれに気付くのと同時に、医療局の扉が開く。
「その必要はない」
安倍晴臣が立っていた。
黒い隊服に、薄い羽織のような上着。
表情はいつも通り静かだ。
その背後には結界制御班の隊員たちが控えている。
「君たちの提案を採用しよう」
晴臣は検査室に入る。
「東京本部は君たちが提案する、黄泉駅突入作戦を承認する」
その一言で、空気が変わった。
全員が同じ方向を向いた。
「作戦概要は、君たちの提案通りだ。問題の黄泉駅の座標は、こちらへ伸びてくる線路を利用し、逆探知的に割り出す」
晴臣は続ける。
「作戦成功条件は、泰山王の記録から天野陽向の徴収無効を認めさせること」
「了解!」
全員の返答が飛ぶ。
「東京第一部隊は突入班。鞍馬朱音を現場指揮とする」
「承知しました」
「第零部隊は本部からリアルタイム監視。久我透真、君が制御担当だ」
「了解」
「蓮見玄庵は天野陽向に魂固定術式を施した後、待機」
「晴臣、魂固定はそう長くは持たんぞ」
「持っている間に必ず処理します」
振り向いた晴臣に玄庵は無言で頷く。
「神楽坂局長は黄泉駅座標の解析を継続」
『了解っすー!』
画面の向こうで、神楽坂は敬礼をしていた。
「京都本部には結界支援と帰還路確保を要請した。じきに連絡が入るだろう」
朱音は目を見開いた。
「京都本部も?」
「京都第一部隊長、土御門瑠璃が結界支援に入る」
晴臣がその名を口にした瞬間、第一部隊の面々も、結界制御班の隊員たちもわずかにざわついた。
土御門瑠璃。
古都の結界を守る、京都第一部隊長。
陽向もその名だけは知っていた。けれど、まだ会ったことはない。
だが、周囲の反応だけで分かった。
相当な人物なのだと。
晴臣の視線が、陽向へ向いた。
「天野君」
「はい」
「君を黄泉駅へ同行させる。ただし、これは君ひとりの任務ではないということを忘れるな」
陽向は唇を結んだ。
「第一部隊が守り、第零部隊が監視し、医療局が命を繋ぎ、京都本部が帰還路を支える」
晴臣の声は静かだった。
「君は、ひとりで行くのではない」
「はい」
陽向は頷いた。
「仲間と行き、必ず仲間と帰ってきます!」
晴臣はうなずく。
「よろしい」
そして、イザナへ視線を移した。
「イザナ」
「なに」
「天野陽向を任せる」
「べつに晴臣に言われなくても、ヒナはウチのバディだし」
イザナは、少しだけ笑った。
「最後に私は、黒子隊とともに地下第七階層の本部防衛に回る」
その宣言に誰もが目を見開いた。
「そ、総部長なら問題は起きにくいとは思いますが――」
久我の言葉に一抹の不安が乗っていた。
「君はそう言うと思ったが、こちらもやられっぱなしは気に入らんよ」
珍しく晴臣が笑みを浮かべる。
「それと、最悪の事態の場合は、第七階層からの方が私も動きやすいしな」
現代最強陰陽師と言われる、晴臣の笑顔の奥に灯る炎を見たようで、陽向は武者ぶるいを感じた。
晴臣は右の拳を上げた。
「さあ、怪異戦線諸君。泰山王に人間の底力をみせてやろう」




