神楽坂 澪
久我が端末を操作した。
「指令室。こちら第零部隊、久我。聞こえるか」
『――こちら指令室。現在は通信回復しています』
先ほどまで混じっていたノイズは消え、検査室の天井スピーカーからオペレーターの声が届く。
モニターには、いまだ緊急事態警報が点滅している。
壁に貼られた護符の端が、かすかに震えていた。
床下からは、もう聞こえないはずの車輪の音が、まだ薄く残っている気がした。
「医療局区画への怪異強襲は、第一部隊により鎮圧。至急、安倍総部長に繋いでください」
『ご無事で何よりです。――お待ちください』
数秒の沈黙。
その間にも、検査室の外では足音が走っていた。
結界制御班の隊員たちが、廊下を駆け抜けていく。
赤い非常灯が、白い壁を断続的に染めていた。
やがて、端末に安倍晴臣の映像が映る。
久我はそれを検査室の大型モニターへ切り替えた。
『安倍だ。全員、無事か』
晴臣の声は静かだった。
ただ、いつもよりわずかに硬い。
「こちらは問題ありません。戦闘ログは転送済みですのでご確認ください」
『すでに確認した。迅速な処理に感謝する』
「総部長、現在の状況を教えてください」
『敵勢力は――』
晴臣が口を開いた直後だった。
モニターに、ざざ、と赤いノイズが走った。
晴臣の映像が歪み、暗転する。
次の瞬間、黒い画面に赤い文字が浮かび上がった。
『怪異イザなノ、異議申し立てヲ、受理すル』
『再審ハ、黄泉駅、ニて行フ』
『天野陽向、いザな、両名出廷、されタシ』
最後に、もう一行。
『十王将、泰山王』
文字は、ゆっくりと滲むように消えた。
モニターが復旧する。
晴臣の映像が戻った。
だが、検査室の空気はもう、先ほどまでとは違っていた。
「……出廷って」
迅が乾いた笑いを漏らす。
「なんや。裁判所みたいになってきよるやん」
陽向は言葉を失っていた。
手続きで、自分の名前を黄泉側へ持っていこうとしている。
その違和感に、背筋が冷えた。
体が小さく震える。
その震えに、イザナは何も言わず、陽向の腕を掴む。
「とうとうご指名きたね」
いつもの軽い声。
けれど、指先には力がこもっていた。
「大丈夫。ウチがついてる」
陽向は、無言で頷いた。
その時、別のウィンドウがモニターに開いた。
画面に映ったのは、白衣に近い黒い作業服を着た女性だった。
髪は雑にまとめられ、目の下には薄い隈。
だが、その目だけは異様に冴えている。
『どもども! とんでもないもん≪泰山王≫まで飛び出たねぇ!』
声も表情も早い。
画面越しなのに、情報量が多い。
『あー、陽向っち、イザナっち、初めまして。解析局の神楽坂澪だよ。一連の電波ジャック、裁き烏侵入、黄泉線路干渉について、速報出たから分かってることから先に言うよ』
技術解析局長、神楽坂澪。
陽向は面食らいながら、無言で小さく会釈した。
イザナは半目のまま固まっている。
『まず結論ね。とある理由で脆弱化していた本部結界の隙を完全に突かれたせいで、泰山王に穴を開けられて、天下の怪異戦線本部が、見事にやりたい放題やられたってわけ』
神楽坂が画面を切り替え、東京本部の三次元階層図が表示される。
その外側を覆う結界層の表示はアラートを示す赤い点滅を繰り返していた。
「とある理由……、ですか」
久我が聞く。
その声はいつも通り平坦だったが、端末を持つ指先だけが僅かに止まっている。
『透真くん、そこは後。今ここで掘ってる時間はないのよ』
神楽坂は即答した。
『で、現在、第零部隊の結界制御班が本部結界の再展開中。術式の簡易補強も走らせてる。でも、応急処置で根本対処じゃないよ』
画面上で、結界制御班の現在位置が青い点として表示される。
青い点は本部の各階層へ散り、赤く点滅するあたりに集結しつつあった。
晴臣の表情は変わらない。だが、その目だけが、わずかに細くなった。
「では、やはり今回の襲撃は終電さんではなく、泰山王の関与と見てよろしいですか」
朱音が問う。
『間違いないねぇ、鞍馬隊長。むしろ、泰山王で断定してもいい』
人差し指を立てたり、OKサインをしたりと、神楽坂は画面越しでも忙しい。
『終電さん単体じゃ、うちの敷居を跨ぐことすらできないよ。もっと言えば十王将でも、こんな簡単にはね』
神楽坂は、肩をすくめる。
『……本当、タイミングが悪すぎたとしか言いようがないって感じ』
その一言に、検査室の空気がわずかに沈む。
「で、その泰山王の目的は、やっぱ陽向やろか?」
迅は腕組みをして、少し怪訝そうな顔をしていた。
『それ以外にないと思うよ』
「いや、そこが腑に落ちんのよ」
神楽坂の意見に、迅は眉を寄せる。
「陽向一人のために、わざわざ怪異戦線本部まで乗り込むか? 第一部隊だけやのうて、ここには晴臣さんもおるんやで? 戦闘になったら、いくら十王将つっても、タダじゃ済まんやろ」
その問いに答えたのは、イザナだった。
「そういうヤツなんだよ、泰山王ってさ」
イザナは自慢の爪を見つめながら話し始めた。
いつもの軽い仕草のはずなのに、その目だけは笑っていなかった。
「切符を渡した。なのに、勝手に途中下車しちゃうイレギュラーが起きた。ヤツのルールじゃ、それはあっちゃいけないことなんだよ」
陽向の胸元が、じくりと痛んだ。
黒切符の痕が、まだそこにある。
「それだけで、アイツからしたら本部まで乗り込む正当な理由になる。たとえ晴臣がいようとね」
『だろうな。十王将ともなれば、安倍家の名前だけで怯むようなことはないさ』
いつの間にか音声のみになっていた晴臣の声が、低く響いた。
晴臣がいた画面には、『Sound Only』とだけが表示されているが、その音声の後ろで靴音が小さく響いていた。
『泰山王は台帳にあることがすべてだ。辻褄が合わないなら、合わせに来る』
「そう」
イザナはメインモニターに表示にされている赤く点滅する結界を見つめた。
その横顔に、いつもの茶化すような色はなかった。
「寿命、魂、契約、密約。誰がいつ死ぬか。誰が黄泉へ行くか。誰の未練が怪異になるか。ぜんぶ帳簿にしたがる」
指先が、爪を弾く。
かち、と乾いた音が検査室に落ちた。
「魂ひとかけら。寿命一秒。言葉尻ひとつ。貸した、借りた、払え、戻せ。あいつの世界は、そればっか」
イザナは、そのひとつひとつに指を折りながら、数えるように呟き、最後に肩をすくめた。
誰も口を挟まなかった。
久我は無言で端末を操作している。
朱音は刀の柄に手を置いたまま、イザナを見ていた。
迅の軽口も、今だけは出てこない。
イザナは最後に、吐き捨てるように呟いた。
「だから、ウチは嫌い。死を数でしか捉えてねーんだよ、アイツ」
陽向は、イザナを見つめていた。
同じ死の怪異であっても、こうも違うものなのかと少し不思議に思った。
『話を戻すわよ』
神楽坂が画面を切り替える。
怪異戦線、東京本部の三次元階層図が望遠で表示された。
地上階一般区画から、地下最深部、さらにその周辺の真っ黒な空間まで。
その何もない空間から、本部に向かって細い線が、蛇行しながら伸びてきていた。
『たぶん泰山王は、裁き烏に最低限の命令しか出してない。赤札を届けろ。天野っちを回収しろ。それだけ』
神楽坂の指が、画面の端を弾いた。
モニター上の三次元階層図が回転し、先ほどの検査室が赤く点滅する。
その周囲には、裁き烏が侵入したルートと、赤札が広げた線が細かく重ね表示されていた。
『穴の維持も、本部へ続くルート開拓も裁き烏の役目じゃなかったんだろうね。あくまでも泰山王の先遣隊として強襲して、混乱させて、次のフェーズへと移行させるのが目的』
久我が無言で端末を操作する。
戦闘ログと神楽坂の解析線が重なり、赤い警告表示がいくつも浮かんだ。
神楽坂が操作するカーソルが、蛇行する線を差す。
『その証拠に、検査室のある第三階層へ本体が向かっていた痕跡は一切ナシ。方向転換した様子もナシ。終電さん達は、最初っから、うちの地下に向かって、まっしぐら』
「……裁き烏は攪乱目的。あとは、あわよくば天野さんを回収できればそれはそれ」
紫苑が呟いた。
『紫苑ちゃん、正解! さすがだね! 敵の動きから、たぶん、それで間違いないよ』
神楽坂の声色が少し変わったが、紫苑は「あ、どうも。」と相変わらず、存在感は薄かった。
「泰山王の勅命を受けた終電さんってわけですね」
久我の声はいつも通り平坦だったが、端末を持つ指だけが止まっている。
『――あるいは泰山王そのものの可能性も否定できないよ』
神楽坂が画面に向かって、少し身を乗り出す。
『そして、予想進路は本部最深部、地下第七階層。まさに今、補強してる場所。最悪じゃない?』
神楽坂は肩をすくめる。
モニター上で、地下第七階層の表示が拡大された。
その周囲を囲う結界強度を示す数値が、黄色から橙へと変わる。
陽向は息を呑んで、ただじっと説明を聞いていた。
地下。
本部最深部。
そこに向かって、あの電車が走っている。
そう考えた瞬間、胸元の切符痕がじくりと熱を持った。
『それと、もう一つ気味の悪い波形が近づいてる』
「気味の悪い波形……?」
陽向の声が小さくなる。
イザナが答えた。
「黄泉から伸びてきてる線路だろ」
『正解。さすがイザナっち』
イザナは半目のまま、ぼそりと言う。
「……その呼び方やめて」
『検討するね』
「データメガネと同じこと言うな」
ほんの一瞬だけ、検査室に薄い笑いが流れた。
『敵さんは、うちを完全に黄泉行きの中継駅にしようとしてる』
「駅、なんですか」
神楽坂は、線の伸びる先を拡大した。
『さしずめ、東京本部駅ってとこかしらね』
その名前が出た瞬間、陽向の胸元がまた痛んだ。
東京本部駅。
守られるはずの場所が、勝手に駅へと変えられる、その気味の悪さに胃の奥が冷たくなる。
「だったら話は早い!」
烈火が拳を握った。
「本部まで出向いてくるなら、全力で叩き潰すまでだ!」
突然、隣で叫ばれた紫苑の肩が、ビクッと揺れた。
烈火は、今さら気づいたように横を見る。
「あ、紫苑いたのか!」
「……いました。ずっと」
烈火は自分より小柄な紫苑に肩を回し、笑いながら引き寄せた。
『烈火ちん。残念だけど、解析局としてはそれは推奨できないよ』
神楽坂の声が少しだけ硬くなる。
『泰山王に穴を開けられたとはいえ、本部結界そのものはまだ生きてる。だけど、線路を通されて、電車に到着されたら話は別。その時点で、本部結界は完全に破壊される可能性が高い』
神楽坂の早口の結論で、検査室に沈黙が落ちた。
『泰山王を退けたとしても、浄化、結界術式の再展開、地下階層の復旧、全部にどれだけ時間と費用が掛かるか分かったもんじゃない。つまり、その間、東京本部は丸裸になるからね。リスクが大きすぎる』
「じゃあ、どうすれば……」
陽向が呟く。
神楽坂は、にっと笑った。
『私にいい考えがあるんだ!』
その明るさに、『神楽坂澪』の人間性を知ってる者は、誰もが嫌な予感がした。




