徴収期限、即時
陽向の足元に現れた赤い線は細く、長く、ホームの白線のように、陽向の足元を囲んでいく。
「天野さん、下がりなはれ!」
朱音の声が飛ぶ。
咄嗟に下がろうとした陽向の左足が白い床にくるぶしまで沈む。
「あ、足がッ!!」
陽向の足を掴む黒い影が見えた。
『……離せ』
イザナが陽向の足元に駆け寄り、そう呟くと黒い影は怯んだ。
間髪入れずにイザナが陽向の足を引き抜く。
「ヒナ、こっち!!」
イザナが陽向の体ごと後ろへ引き倒す。
赤い線の外へ抜け出せた、その瞬間、ずぶずぶと床が沈む。
白い床が黒い水面のように変化し、波を立てて揺れる。
その水面の、遥か下に線路が揺らいで見えた。
「せ、線路が!?」
陽向は目を見開いた。
錆びたレール。
黒い枕木。
存在してはならない線路が確かにそこにあった。
検査室の扉が開き、迅と烈火が飛び込んでくる。
その後ろには、黒瀬凛道。
「みんな大丈夫か! って、線路⁉ 非常識にも程があるやろ!」
「本部に奇襲とはやってくれるな!」
烈火が陽向の前に出る。
「陽向がほしいなら、まずは私が相手だ!」
巨大な籠手を打ち合わせ、赤鬼の影を背負った。
「烈火さん、床ぶち抜かんといてくださいよ!」
迅がダガーを構えながら笑う。
「迅! 黄泉行きより始末書の方が怖いのか⁉」
「公安の始末書はガチで怖いやろ!」
検査室の壁が、内側から黒く滲む。
白い壁の一部が溶けるように、穴が開いた。
その奥は、全てを飲み込むような闇。
その闇から、何かが近づいてきた。
人の目を持つ黒い烏。
嘴には、小さな赤札を咥えていた。
「出たな、裁き烏」
凛道が即座に銃を構える。
銃声。
烏は撃ち抜かれ、黒い羽を散らす。
嘴に咥えていた赤札が、宙に残る。
そして、赤札は、宙に浮いたまま、ひとりでに開き始める。
そこには細い文字がびっしりと書かれていた。
「あ、あれって……?」
陽向が札に目を向けた瞬間、久我が制止する。
「札を見るな!天野陽向!」
しかし、遅かった。
細文字が、ぐにゃり、ぐにゃりと形を変え始める。
それは赤札の中央に集まり、名前が浮かび上がった。
天野陽向。
未収。
徴収期限、即時。
陽向の視界が揺れた。
「な、何これ……」
胸元の干渉痕から、再び黒い切符の輪郭が浮かび上がろうとする。
「ヒナ!」
イザナが手を伸ばす。しかし、その手は陽向の胸元の手前で止まった。
触れれば抑え込める。
だが、雑に触れれば、陽向の名を傷つけるかもしれない。
イザナはそう考えると簡単には触ることができなかった。
その一瞬の迷いを、赤札は逃さなかった。
赤札の表面から無数の赤い糸が伸びる。
「させまへん!」
朱音の刀が、紫の炎を引いて走った。
赤い糸が斬れる。
だが、すぐに次の糸が現れる。
「因縁が深い!」
朱音の眉がわずかに寄る。
「ならば、燃やしきるまでッ‼」
烈火が拳を振り上げた。
「鬼腕・業火‼」
赤鬼の拳が炎を纏い、赤札を殴りつけ、勢いそのままに床に叩きつける。
衝撃で検査室の床がひび割れた。
しかし、床がひび割れても赤札は砕けず、またユラユラと宙に舞い戻る。
「やりおった! ほんまに始末書もんや!」
迅が破壊された床を見て叫ぶ。
「ぬぅ! 紙切れのくせに硬いっ!」
「外殻損傷、三パーセント!」
久我が端末を見ながら言う。
「ならば、百発殴れば三百パーセント!」
烈火は両拳を激しく打ち合わせる。
「烈火さん! 俺に任せろ!」
迅が風をまとい、身を捩る。
「刻むで! 風刃・連‼」
二本のダガーが幾重もの斬撃を繰り出す。
しかし、赤札は表面に細かい傷を残すばかりだった。
「迅、追撃くるぞ!」
凛道の声。
壁に出来た穴から、何羽もの裁き烏が、銃弾の一斉掃射のように飛び出してくる。迅は紙一重のタイミングで身を捻って躱し、態勢を整える。
凛道のハンドガンが一羽目を撃ち抜く。
紫苑の影が二羽目を床へ縫いつけ、闇へと溶かす。
烈火の鬼腕が三羽目を叩き潰す。
迅のダガーが四羽目を切り裂く。
「何羽出てくんねん!」
終わりの見えない裁き烏の追撃を、四人が連携して迎え撃つ。
討伐された裁き烏の嘴から赤札がはらりはらりと落ちる。
一枚。
二枚。
三枚。
四枚。
数を増やす。
赤札は床に触れた瞬間、赤い線へと姿を変え、検査室に線を引く。
「ここをホーム化しようとしている!」
久我の声が硬くなる。
「させまへんで!」
朱音が咄嗟に呪詛を口ずさむと、紫炎が彼女を包んだ。
そして、刀を検査室の床に突き刺すと、そこを境に紫炎の境界が走った。
「橋姫の結界術。越えられるもんなら越えてみなはれ」
その言葉の通り、赤札の赤線は、その境界の手前で弾き返される。
裁き烏と第一部隊の攻防は続く。
壁には、いつの間にか電光掲示板のような黒い板が浮かんでいた。
『まもなく終電が到着します』。
『乗車予約』。
『天野陽向』。
赤い文字が延々と流れる。
「私のせいで、本部が……」
陽向が呟いた瞬間、胸元の切符痕が強く痛んだ。
「ヒナ!」
イザナが陽向の肩を掴む。
「今の思考、アウト」
「え?」
「自分のせいとか思ったでしょ」
「でも、私を狙って」
「狙ったのはあっち。悪いのもあっち。ヒナは被害者!」
イザナの声が、いつもより強い。
「自分を責めると、あいつらの切符になる。それを忘れんな!」
陽向は息を呑んだ。
罪悪感。
未練。
自己犠牲。
終電さんは、そこに切符を差し込んでくる。
「……分かった。もう自分のせいにはしない!」
陽向は頷いた。
「なら、やり方変える」
イザナは不敵に笑った。
「やり方?」
「ヒナ、ソレ抜きな」
イザナが、陽向の腰を指差す。
そこには陽向に支給された特殊警棒があった。
「え?……警棒⁉」
「直接あんたに力を流したら壊れる。だったら、器を挟む」
「器……」
陽向は警棒を見つめた。
「その武器に、ウチの力を通す」
イザナの瞳が、紅く燃えた。
陽向の背後に立ち、背中へそっと手をかざす。
『我が名はイザナ』
声が、古く沈む。
『黄泉誘いの死の怪異。我が契約者、我が力とともに、汝らの因果を絶たんとす』
次の瞬間、どす黒い靄がイザナの手からあふれた。




