夢の中
「任務停止、ですか」
陽向の動揺する様子に、術式円であぐらをかいて座り込んでいるイザナの目が細まる。
「当然です。魂汚染値は契約直後より上昇。黄泉予約痕あり。イザナの出力超過も確認された。初任務後の状態としては、運用継続判断には不適切だと考えます」
「でも、終電さんはまだッ――」
陽向が少し身を乗り出す。
「それを追うのは第一部隊の仕事です」
「いや、私も……!」
陽向は食い下がるが、久我の対応は淡々としたものだった。
「君は第零部隊所属で、監察対象です。つまり、采配権は私にあります」
久我は続けた。
「そもそも安全性が担保されない限り、実戦に組み込むことはありえません。十分な検査を経ずに運用すれば、隊の安全にも、天野さん、貴女自身にも被害が及ぶ。それは組織全体の危険でもあります」
その言葉は、冷たかった。
分かっている。
危険性も理解できるし、書類上もそうなのだと、何度も言われている。
でも、胸が少し痛む。
隊員ではなく、対象。仲間ではなく、運用データ。
そう言われている気がした。
「おい、データメガネ」
イザナが口を開いた。
「ヒナを物扱いすんな」
久我はイザナを見る。
「第零号。君の発言権は制限されています」
「うるせーよ」
「感情的反発は記録します」
「あっそ、勝手に記録しとけよ」
イザナの目が赤く光る。
「ヒナは戻ってきた。車内から自分の名前を持って戻ってきた。あんたらの論理より、そっちの方が大事でしょ」
イザナが、自分のことを庇っている。
陽向はそのことにとても驚いた。
久我は無言のまま、イザナと視線をあわせていたが、しばらくしてタブレットに入力し始めた。
「第零号、契約者への防衛的発言を確認……」
「だから記録するなって」
イザナが眉間に皺を寄せる。
「重要な変化です」
久我の声が、ほんの少しだけ違って聞こえた。
「君が天野陽向を、単なる魂供給源として扱っていない証拠になります」
検査室に沈黙が落ちる。
(久我隊長が、イザナの事を「君」と言った。偶然?)
陽向は言葉の変化に違和感を覚えていた。
しばらくして、玄庵が、ほっほ、と笑いだす。
「よい傾向じゃな」
「どこがッ?」
イザナは玄庵に振り返り、不満そうに言う。
「怪異が誰かを大切にするのは、危険でもあり、薬でもある」
玄庵は髭を触りながら、にこやかに目を細めた。
「薬とか、ウチに似合わなー」
イザナは肩をすくめた。
玄庵は陽向に向き直った。
「陽向君。今日はもう戻って休みなさい」
「で、でも……」
「休みなさい。これは命令じゃよ」
声は穏やかだったが、逆らえない重みがあった。
「帰ってきた者は、まず帰ってきたことを体に教えねばならん。黄泉に近づいた魂は、しばらく自分がどちら側にいるべきか迷う」
陽向は、胸元に手を当てた。
今、自分は現世にいる。
病院みたいな検査室にいる。
久我がいて、玄庵がいて、イザナがいる。
それでも、耳の奥でまだ車輪の音が鳴っている気がする。
「……はい、そうします」
陽向はうなずいた。
「よろしい」
玄庵が満足そうに頷く。
「イザナもじゃ」
「はぁ? ウチも?」
玄庵は頷いた。
「陽向君を引き戻す時、だいぶ無理をしたな」
「別に」
イザナは、ぷいとそっぽを向いたが、玄庵は遠慮なしに杖で顔を戻す。
「したな?」
杖が頬にめり込んだイザナは、口を尖らせながら答える。
「……ちょっとだけだし」
「正直でよろしい」
玄庵は笑った。
イザナはまた不満そうにそっぽを向いた。
◇
陽向は本部にある自室に戻った。
簡素な部屋。
ベッドが一つ、小さな机、通信システムを兼ねた大型モニター。
隊員たちは基本的に本部に住み込みで生活し、任務をこなす。
イザナは椅子の上で、あぐらをかいて座り込んだ。
「イザナもここにいるの?」
「五十メートル制限。そのうち二段ベッドにしてくれるってさ」
イザナは肩をすくめる。
「ああ、そっか。なんかごめんね」
「別に。スマホとタブレットとお菓子があれば、封印室より全然マシ」
陽向はベッドに腰を下ろした。
急に、体が重くなる。
さっきまで緊張で動けていたのだと、今になって分かった。
まぶたが重い。でも眠るのが少し怖かった。
目を閉じたら、またあの電車に戻るような気がしていた。
「ヒナ、ちゃんと寝なよ?」
イザナは割れた爪を苦々しい顔で見ていた。
「眠ったら、黄泉行きに戻ったりしない?」
「どうかな。ま、でも安心して寝なよ。ウチがいるし」
割れた爪にイザナが触れると、小さく光り、何もなかったように元通りになる。
「わ、凄っ。てか、羨まし」
イザナは陽向の顔を見て、自慢げに笑った。
「……もし、夢に出てきちゃったら?」
陽向はイザナを見た。
「そしたら、車掌ごと電車をぶん殴る」
イザナは、椅子にもたれたまま言った。
「怪異って、夢に入れるの?」
「……黄泉系なら、まあ」
「えー……」
「ま、危ないって思ったら、すぐ行くよ。ウチも黄泉系だし」
陽向は布団に入った。
胸元の痛みはまだある。でも、イザナの気配もある。
冷たくて、近い。
陽向は布団に包まり、目を閉じた。
「イザナ……」
「なに?」
「助けに来てくれて、ありがとう」
少しの沈黙。
それから、イザナが小さく言った。
「いいよ。もう寝な、ヒナ」
「うん、おやすみ」
その声を聞きながら、陽向は眠りに落ちた。
陽向の寝息が聞こえてきた頃、イザナは膝を抱え、組んだ腕に顔を半分うずめた。
「……こちらこそだよ。ヒナ」
その声は、無機質な仮眠室に小さく落ちて、すぐに消えた。
◇
夢の中で、電車の音がした。
がたん。
ごとん。
がたん。
ごとん。
黒い鳥居の向こうに誰かが立っている。
イザナではない。
車掌でもない。
黒い官吏のような姿。
手には巨大な帳簿。
顔は見えない。
その指が、帳簿の一行をなぞる。
天野陽向。
未収。
次回徴収。
夢の中で、陽向は息を呑んだ。
低い声が、静かに言う。
「切符は切られた」
「乗車は、延期されただけだ」
がたん。
ごとん。
紅い月の下で、黒い電車が走っている。
その行き先表示には、今も変わらず、二文字が灯っていた。
『黄泉』。




