3.夜のコンビニ
四月の終わり、真白はコンビニのアルバイトを始めた。
理由は単純だった。
お金が必要だった。
大学生になったからには、自分の定期代や昼食代くらいは出したかったし、妹の参考書代を立て替えることも増えていた。
父に頼めば出してはくれる。
でも、その空気が嫌だった。
「……あとで渡しとく」
無表情に財布から金を出される時間。
“迷惑をかけている”感じがして苦しくなる。
だから真白は、自分で稼ぐことにした。
「じゃあ、レジお願いしまーす」
夜八時。
コンビニの白い照明は、妙に現実感が薄い。
弁当を温める音。
揚げ物の油の匂い。
途切れ途切れに鳴る入店音。
大学のあと、週三回。
真白はレジに立ちながら、時々ぼんやり思う。
自分はいつから、“休む”のが下手になったんだろう。
高校の頃からずっとそうだった。
妹の夕飯。
洗濯。
進路。
家の空気。
何かしていないと落ち着かなかった。
逆に、一人でぼーっとしていると、不安が押し寄せてくる。
「真白くん真面目だよねえ」
バックヤードで、先輩アルバイトの大学生が笑う。
「新人なのに仕事覚えるの早いし」
「……そうですか」
「もっと適当でいいのに」
真白は曖昧に笑った。
適当。
それができたら、どれだけ楽だろう。
帰宅すると、時計は十時半を回っていた。
リビングには電気がついている。
妹がソファに寝転がり、イヤホンをつけてスマホを見ていた。
「ご飯ある?」
「冷蔵庫」
短いやり取り。
以前なら、真白が温めて出していた。
でも最近は、わざと少し距離を取っている。
世話を焼きすぎると、妹は嫌そうな顔をするからだ。
「……今日遅かったね」
妹が珍しく口を開く。
「バイト」
「ふーん」
それだけ。
でも真白は少し驚いた。
ちゃんと会話したの、久しぶりかもしれない。
風呂を出ると、父が帰宅していた。
スーツ姿のまま缶ビールを開けている。
「大学どうだ」
テレビを見たまま聞いてくる。
「普通」
「そうか」
会話終了。
真白は苦笑しそうになる。
この人は昔からこうだ。
怒鳴りもしない。
干渉もしない。
でも、近くもない。
幼い頃、熱を出したときも、父は仕事を休まなかった。
母が死んだ日の記憶も曖昧だ。
気づけば、父は黙る人になっていた。
そして真白も、何も言わない子どもになった。
自室に戻る。
六畳の部屋。
机の上には大学の資料と、精神保健ボランティア「ゆいゆい」の冊子。
来週から、本活動が始まる。
利用者と実際に関わるらしい。
真白は少し緊張していた。
“ちゃんとできるだろうか”
その不安が頭をよぎる。
でも同時に、少しだけ楽しみでもあった。
大学でも、家でも、バイトでも。
真白はずっと“役割”をこなしている感覚があった。
いい学生。
ちゃんとした兄。
真面目な店員。
失敗しないように。
迷惑をかけないように。
そうやって動いている。
けれど、「ゆいゆい」の空気は少し違った。
うまく言えないけれど。
あの場所では、“ちゃんとしているか”より、“そこにいるか”を大事にしている気がした。
真白はベッドに横になりながら、天井を見つめる。
遠くで救急車の音が聞こえた。
スマホが震える。
彰人からだった。
「来週のゆいゆい、ちょっと緊張するね笑」
真白は少し考えてから返信する。
「分かる。失敗したらどうしようって思う」
数秒後、返信が来た。
「失敗しても大丈夫じゃない? 学ぶために行くんだし」
真白はその画面をしばらく見つめた。
簡単に言うな、と思う自分と。
少し救われる自分がいた。
部屋の電気を消す。
暗闇の中で、真白は小さく息を吐いた。
来週、自分は何を見るのだろう。
そして。
何を知るのだろう。




