于吉
町からなんとか逃げ切った俺達はしばらく、于吉という男のことを調べることにした。
孫権は建業の書庫に籠って文献を読み漁っている。その間、俺達は周辺の村や町に于吉の件を訪ねて回った。
そこで知ったのが、于吉という人物を敬愛している者達が多かったということだ。
なんでも、日照りが続いた時などに于吉に頼めば雨を降らせることができると聞いた。
多くの民に慕われている存在ということが分かったが、それ以外の情報は皆無であった。
間違いなく王力を使って、雨を降らせていることが分かったが、これだけ聞くと善人に思えてしまう。
俺達は情報収集を終え、砦に戻ってきたところ、ちょうど孫権も戻ってきていた。
ちょうどいい。俺達の集めた情報を孫権に伝えよう。
「于吉についてて調べたのは、かなりの者達の尊敬や畏敬の念を持たれている人物だということでした」
「なるほど。俺の調べで分かったことは、やつかどうか分からないが、百年以上前から于吉の名前がでている文献を見つけた」
「百年以上ですか? 確かに高齢でしたけど、そんなことあり得るんですか?」
俺の質問には、孫権も思うところがあるようで、少し唸り声を上げた。
「もしかしたら、二代目や三代目ということかもしれん。だが、書かれている文献を遡ると、一人しかいないように思えた」
「どういうことでしょう。于吉の狙いが分からない以上、こちらから話に行くのは難しいですね」
「また王力を使われるということだろう。王力持ちの武将を連れて来れば、戦えるだろうがどのような被害が出るか想定できない。簡単に動かすわけにはいくまい」
孫権の言う通りではある。あの厄介な王力を使われてしまえば、呉の武将の王力で戦うと、多くの死人がでるかもしれない。
悩みが尽きないところで、雨の音がどこからか聞こえた。
外に見に行くと、立ち込める暗雲から大量の雨が降っている。
こんな時に雨か。ただでさえ気分が落ち込んでいるのに、余計に気が滅入ってしまう。
そう思って天から目を前に向けると、少しだけ違和感を覚えた。
あれはなんだ。そう思っていると、陸遜が駆け寄ってきた。
「馬岱殿、この雨ですが」
「ああ。それが何か?」
「遠くに見える建業には降っておりません。降っている場所がここ周辺しかないようです」
陸遜の言葉に促されて建業の方を見ると、確かに雨が降っていない。
局地的な大雨ということかもしれないが、何か出来すぎているように感じられた。
「陸遜、今なら建業まで馬で行けるな?」
「ええ、行けます」
「このことと于吉のことを伝えに行って欲しい」
「ですが、我々の活動は内密では?」
「ああ。だが、この雨はおかしい。もしこのまま、雨が降り続ければ」
俺の言葉で事態を察知したのか、陸遜が声を上げた。
「水攻め、ですか?」
「幸い、ここは丘の上だが、下ったところは盆地だ。雨が降り続ければ、水位が上昇して動きが取れなくなるかもしれない」
「では、私と朱然で行こうと思います」
「頼む。もし杞憂だったら、孫策様達への報告は不要だ。だが、もし砦が陸の孤島になってしまえば、その時は頼む」
「分かりました」
すぐに陸遜は動きだし、朱然を連れて雨の中を馬で走っていった。
この雨がここだけに降っている理由。于吉の王力が絡んでいるならば、他にも何か手を打ってくるかもしれない。
俺は孫権の元へ戻ると、今の状況を伝えた。
「于吉め、今度は水攻めか」
「まだ、確定はできていませんが……。ただ、砦の周りを水で覆われると、兵糧攻めにあいます」
「ならば、団員も避難させる必要があるな」
「大将はいかがなさるおつもりで?」
「俺は残る」
それでは、孫権の身に危険が及ぶではないか。それは納得できないため、俺は抗議する。
「大将が残ってどうするのです?」
「于吉の出方をみる必要がある。腕利きの者達には残ってもらうが、残りの者達を一度避難させる」
「分かりました。数名だけ残して、あとは建業まで避難させます」
俺は言うが早く、団員たちに雨のなかを建業まで行って欲しいと任務に見せかけた指示を出した。
誰も異論を唱えることなく、団員の多くは大雨の中を建業まで向かった。
孫権の部屋へ戻ると、全琮と謝旌がいた。
「お前達に残ってもらったのは一つだ。死ぬ覚悟があるかを聞きたい。俺のために死ねるか?」
「はい。死んでもお守りします」
「大将は俺らがいねぇと危なっかしいですからねぇ」
二人は孫権のために生きていることを改めて実感できた。
「馬岱。お前はどうする?」
「私は死にたくありません。だから、死ぬ気で戦います。私の王力があった方が良いでしょうし」
「皆、すまない。俺の不徳のせいだ」
孫権は深々と頭を下げた。それが欲しくて話したわけではない。
「大将、頭を上げてください」
「俺達に任せとけば、大将は死なせませんぜ」
全琮と謝旌が言った。孫権もその言葉で救われたのか、穏やかな笑みを見せた。
雨は一晩中降り続き、それが二日、三日と続き、四日目に入った。
砦の周りには立派な池ができていた。これで外界との連絡は困難になった。
兵糧攻めで来るのか、それとも自分の力を見せつけるために行ったのか。
どちらか判別がつかないとき、じわりと霧がかかってきた。まさかこれは。
薄い霧がかかると、どこからか声が聞こえた。
「どうじゃ、孫権殿? 水攻めに会う気分は?」
勝ち誇ったような声音で于吉の声が聞こえた。
「ふん、残念ながらこちらの兵糧は沢山ある。囲むだけでは、倒すことはできんぞ?」
「やれやれ。負けを認めぬか。それではお主と話すことは無さそうじゃの」
「話す気がなかったのは、お前であろう? 正しく年貢を納めれば、それ以上のことはすまい」
「我々には必要なのじゃよ。じゃから、お前達とは分かり合えんのだ」
于吉が、どのような手で来るのかを見極めるため、ツバメを呼び出した。
ツバメの嗅覚が捉えたのは、複数の人間の匂いであった。
この霧がかかっている状態で人が動けるのか。いや、もしかしたら于吉はまた我々だけに霧を巻いているのかもしれない。
「大将達は建物の中へ! 屋内なら霧が晴れるかもしれません」
「馬岱、お前はどうする!?」
「できるだけ数を減らします。俺の王力なら戦えますから」
「ダメだ! 子分を置いて逃げる事はできない!」
孫権の優しさが伝わる言葉に胸が熱くなった。だからこそ、孫権にはこんな場所で死んで欲しくない。
「ほっほっ。お優しいことじゃ。我らにも、それくらいの優しさを持って接して欲しいものじゃな」
「于吉! お前達が何を隠しているかは知らんが、ただでは置かないぞ」
「威勢がいいことじゃ。しかし、貴様らはもはや囲まれておる。我らに干渉せぬと誓えば見逃してやるが?」
于吉の提案は今の状況では、乗ってしまいたくなるものだった。
だが、孫権は違った。
「俺は万民に等しく、穏やかに過ごせる時代を求めている! 俺の天下取りにお前のような悪逆な者は不要だ!」
全面から于吉の提案を断った。これでこそ、孫権だと俺は笑みを浮かべてしまった。
「良いだろう。お前達は皆殺しじゃ。皆の者、かか――」
于吉の号令の声を遮ったのは巨大な爆発音だった。それはいくつも連鎖的に広がり、鼓膜を盛大に震わせた。
「まさか!?」
于吉が何かに気づいたようで、驚きの声を上げた。
かかっていた霧が晴れると、砦を囲んでいる湖の上に浮かぶ小舟。そこに見えたのは孫策であった。
「仲謀! それがお前の目指す天下か! なかなか良い意気込みだ!」
「伯符兄!? どうしてここに」
「話は陸遜から聞いている。于吉とやら、王力には王力だ。俺の爆炎を防げるものなら防いでみろ!」
孫策の手から火球が放たれた。




