7.言葉の誘惑-6
傍にいてと願ったあの日
惚れたと認識して負けたと思った日
淡い恋心が、愛に変わる。
大人になって理解出来た愛は、今まで以上に相手を思う気持ちに変えていく。
手を離すと、武来は横向きになってブラウスを手繰り寄せた。
そのままの状態でシートベルトを掛け、運転席に乗り込んだ。
帰りの車内は沈黙。
ただ、武来の鼻を啜る音だけが終始響いていた。
「…武来。着いたぞ。」
「………はい。」
やっと車内に響いた声は、別れのときを知らせるものだった。
シートを立て、ベルトを外すとドアを開けた。
それに合わせて俺も外へ出て、武来の前に立つ。
頬を包み、涙の跡を親指の腹で撫でる。
その手を後頭部へずらすと、自分へ引く。
何の抵抗もなく俺の懐に収まって、さっきの出来事で嫌われた訳じゃないと理解できた。
「…勇。執着心の話。…お前にとってそれが必要ならば、俺に執着してくれよ。お前が生きることを俺が望むから生き続ける。それだけの理由じゃダメか?」
「……………」
「俺がお前の辛さを味わえないのは分かってるから、お前の辛さは理解できない。でも、その辛さを受け止めることはできると思う。どんなに辛いか俺に全部吐いたら、俺は一緒に泣いてやるから。」
「……………」
「お前の全部が好きだよ。病気になろうが外見が変わろうが、丸ごと好きなんだ。俺と付き合って欲しい。」
「……先輩……」
「分かってるよ。自分のすべてを言うのに3年時間がかかったんだ。付き合うのだって相当な勇気が要るってんだろ?」
小さく頷いた武来。
その迷い。全部受け止め優しく頭を撫でた。
大事にしたい。大切な存在。
だから俺は……
「今週末、俺は海外遠征。」
「……え?」
「全日本の代表だから。試合。」
「……………」
「そんな顔するな。…襲われたいの?」
「…なっ!!」
「ハハッ!冗談だ。
…ちゃんと考えて答え出せ。お前の居場所も分かったことだし。気長に待ってやる。」
そう言って部屋に入るように促し、部屋のライトが点くまで見守ると、車に乗って帰宅した。
「どうだった?どうだった?」
「うるさい。」
帰宅と言っても孝太郎の部屋。
待ってましたと言わんばかりに、犬のように周りを片足でピョンピョン跳ねながら聞いてきた。
ビールを2本取り出して、孝太郎の腰を支えソファに座らせると、二人で遅い晩酌。
「どこ行ってきた?」
「知多。」
「…マジか!アホだなお前!」
「ドライブコース調べるの忘れてた。」
「俺に電話しろよーー!教えたのに!」
「忘れてた。」
「忘れないで!……そんで?ちゃんと伝えた?」
「伝えた。でも、迷ってたから。」
「迷ってた?どうして?」
「付き合うことも勇気だってこと。」
「ああー…そうか…そういうこと…」
「ああ。」
「フラれたわけじゃないんだろ?」
「ああ。…俺、遠征の前にどうにかしたいって思ってたけど…無理だった。あいつの抱えてるものは想像できない。…お前が言った通り、俺はあいつの気持ちを理解できねぇよ。」
「…颯汰…あれはそういうつもりじゃない。思ってないぞ?そんなこと。」
「実際そうなんだよ。大事なのに、一番理解してやりたいのに理解できねぇ。それが辛い。」
「颯汰…」
「…気長に待つって言ってきた。どうなるかは分かんねぇ。あいつ次第。」
「…ああ。」
「ありがとうな。孝太郎。」
缶ビールを合わせると、鈍い音がした。
ほぼ満杯のビールを一気に飲み干すと、更新されてたスケジュール表を見せた。
「…颯汰…!これって!」
「俺が武来のこと、早くどうにかしたかったって焦ってた理由。」
「マジかよ…」
「ちょっと不自由になるが我慢してくれ。それから武来を頼んだよ。見張ってて。」
遠征先はアルゼンチン。
移動だけで2日。
試合に2日。
翌週はロサンゼルスで試合。
遠征チームは、わざわざ日本に帰らず、ロスの試合が終わってからの帰国だろう。
帰国したら月が変わっている。
ISNの合同合宿が始まる。
「勇ちゃんには言ったの?」
「言ってねぇよ。」
「なんで?」
「……孝太郎。」
「分かってるけど!でも!やっと会えたのに!」
「付き合いたいって全面に出しておきながら、勇気が持てなくて葛藤中。そんなあいつに、わざわざ言う必要もない。俺はあいつだけ。他は眼中にない。だから待てる。決意ができるまで待てる。」
「…颯汰ぁ…」
「ハハッ!…なんでお前が泣きそうなんだよ!」
「お前…カッコいい…」
「惚れるなよ。」
「もう遅い。」
一緒に笑い、もう一度ビールを合わせて乾杯。
「…遠征中、エサやっといて。」
「了解。俺の世話させておく。」
「いいな、それ。」
「いいのかよ!突っ込めよ!」
「和華に電話してやる。通い妻いるぞって。」
「マジ勘弁!!俺は和華だけ!」
「アハハ!」
なぜだろう?
焦っていたはずなのに、こんなに落ち着いているのは。
本気で思った。いつまででも待てると。
これが成長した気持ち?
愛ってやつか?
(そうかもな…)
情けない自分。それでも出来ることはある。
今は待つこと。
ーーそう思ったんだーー
翌日、孝太郎の病院に付き合った後、ブースに行ってシュート練習をさせた。
孝太郎は、本当にリハビリを集中して頑張ってると分かるほど、回復が早いらしい。
同時に上半身の筋肉も落とさないように、トレーニングを欠かすことはない。
バスケットマンと呼ぶに相応しい。
「颯汰。バランストレで勇ちゃんやってたやつあったじゃん?見ろよ!出来るようになってた!」
「マジか!スゲーな。」
「帰国したら、もっとすごいことになってるかもよ?楽しみにしてろ!」
「ああ。…はい。もう終わり。」
「なぜに!!早くねぇ?」
「150本目。限界。足パンパン。」
「夢中になると分からん。」
「俺がいないときは、カウント忘れるなよ。」
「分かった。」
「マッサージして帰るぞ。俺も準備しなきゃ。」
「そうだな。」
近くの芝生まで移動し、念入りにストレッチマッサージ。
触る感じでは、筋肉量も減っていない孝太郎。
その頑張りを、俺も見倣わないと。
孝太郎に見せるための遠征試合。
毎回録画しては、孝太郎のフォームを真似てプレイする。
常識では考えられないこと。
自分のフォームを崩してしまえば、プレイそのものが出来なくなってしまう恐れがあるためだ。
しかし、俺がそれを強行してる理由は孝太郎のため。
録画したものを何度も繰り返し見る孝太郎は、俺を見るたび、自分のフォームを頭にインプットしていくはずだ。
試合が出来るようになった頃には、イメージ通りに動ける。それが俺の狙い。
こんなことしかできないが、孝太郎のために出来ることはやると決意した思いに変わりはなかった。
孝太郎の部屋に戻ると、遠征の準備を始める前に、ストックできるものを作る。
「孝太郎。冷凍庫、入らなくなった。」
「…何してんの。お前は!」
「これ、ホウレン草茹でたヤツ。チンして醤油かけて食え。こっち、コーンスープ。真空してるからそのまま沸騰した鍋に入れて温めて食え。これ、ひじき煮。冷蔵庫で5日はいける。これ、ワカメの酢の物。これ、浅漬け。これ、鶏肉の南蛮漬け。冷蔵庫1週間はいける。」
「……どれだけ奥さんしてるんだ!お前!俺と結婚して欲しいです!」
「どれも美味いはず。」
「シカトしないで!颯汰!」
「洗濯、自分で出来るな?体調管理もしっかりやれ。運転は気を付けろよ。それから」
「もういいって。分かったから。自分の準備からやれ。」
「……おお。忘れてた。」
2週間分の荷物。
Tシャツやジャージばっかりだが、練習も半端ないので、一日5枚ほどは着替える。
それで毎日洗濯しても、10枚以上は持っていかないと足りなくなる。
後はタオル大量……
「孝太郎?何してる。」
「んーー?ちょっとメール。」
「…何隠れてる。」
「別に!現地集合だったよな。…お前、明日飛行機何時?」
「20時30分。送って。」
「了解ーー。」
機嫌良くメールを打っている孝太郎。
若干不審に思いながらも、準備の続き。
「あ、パスポート…。俺、一旦家に戻る。」
「おう。…そのまま寝る?」
「ここに戻って寝る。」
「ビール宜しく!」
「結局パシリかよ。」
こういうことは滅多にない孝太郎。
孝太郎のために何か出来てる自分に気付けば…
やっぱりちょっとだけ嬉しい。
大事な親友。大切な存在だから。
(タオルが足りねぇからタオルと…パスポートと…)
運転しながら頭の中で持っていくものリストを書いていく。
「…!」
同時に鳴り響いたメール着信音。
家に着いてから見ようと思い、そのまま車を走らせた。
♪♪♪♪♪♪
そして、二度目の着信音。
自分の携帯は、電話が多いため珍しい現象に多少驚いていた。
自宅について、部屋の中に入った瞬間、三度目の着信音。
「…誰だよ。ったく…」
しつこい音に携帯を覗けば。
「……武来!?…は?マジか!」
思いもよらない相手からのメールで、一瞬顔が緩んだ。
……部屋で良かった……なんて思いつつ、開けてみる。
《先輩。どこにいるんですか?》
《言い逃げする気ですか。》
《どこにいるか聞いてるの!》
「……何キレてんだよ…こいつ……」
意味の分からないメール。でも、武来からメールがあったことが殊の外嬉しいらしい自分。
返信を打ってる途中、四度目。
《シカトかよ!先輩ってば!応答せよ!》
「プッ!…何言ってんだ。」
今、鏡で自分の顔を見たら立ち直れないくらいユルんでいるはず。
《悪い。運転中だった。お前打つの早いな》
《熟練の技です!悪いですか!今どこですか!》
《だから、何キレてんだよ》
《キレる寸前です!》
《家にいるけど。それが何》
《何号室ですか!》
「はぁ…何なんだ一体…後でいいや。長くなりそう…パスポート…」
ベッドの上に携帯を投げ、準備を先にすることにした。
何度か鳴り響いたが、パスポートとタオルを鞄に詰め、家中のコンセントを抜いてる途中だった。
「………?」
…ヤバい。俺、マジで終わってるかも。
なんか、幻聴まで聞こえ始めた。
「なーつーめーせーんーぱーーーい!!どこにいるーー!!コラーー!!!」
「……ッッ!!!」
幻聴じゃねぇ!!本物!!
はっきり聞こえた武来の声。バルコニーから顔を覗かせると、仁王立ちした武来が叫んでいた。
慌てて携帯を手に取って電話をかけた。
『もしもし?』
「もしもしじゃねぇよ!近所迷惑だ!何やってんだよ!なんでここを知ってるんだ!」
『…質問多いですね…』
「お前が言うか!何なんだ一体!」
『…あ!夏目先輩発見!ヤッホー!』
「ヤッホーじゃねぇ!!俺、やることあるんだけど!」
『OKOK。邪魔はしませんから、部屋番号教えてください。オートロック解除してください。』




