7.言葉の誘惑-5
「…恋を諦めたのは…そういうこと?」
「似てます…かね…」
「どういうこと?」
「恋をしたら…相手を求める…それが普通だと思います。間違えてたらすみません。」
「いや、合ってるよ。」
「そうですか。良かった…求めるという感覚の次は欲になってくる。」
「ああ。そうだな。」
「恋人同士の場合、それがキスとかセックスとか。そういうことになると思うんですが。」
「うん。そうだと思う。」
「その恋人同士が別れなければ、いずれ結婚したいなって欲に変わる。」
「ああ。」
「…私は…憧れても手に出来ない。それを求めることは恥ずかしい。欲を出すことは我慢しなければいけない。だったら初めから諦めればいい。恋をしなければいい。そう思っています。」
「……颯汰でも?」
「………………はい。」
「……なぜ?」
「…幻滅されたくない…からかな…結局は保身なんです。バカだと笑ってください。」
「はっはっはっ。バカだ。お前。」
「酷い!!夏目先輩!本当に言いますか!」
「バカだ。大いにバカだ。このバカ!」
「うわーーん!悩んでるのに!」
「だったら、とっとと俺を嫌いになっておけば良かっただろ。いつまでも好きでいるんじゃねぇよ。」
「颯汰!ちょっと言い過ぎ…」
「黙ってろ孝太郎。…武来、嘘つくな。」
武来を睨むと、ビクッと身体を揺らした。
目を大きくして。少し潤んで。
「…正直に言え。…なぜ恋を諦めた?」
「…………っ!!」
「武来!!」
「言ったでしょ!幻滅されたくない!!私はもう、好きな人に見せられる身体じゃないんです!大きな傷があって!変な形が身体から浮き出てて!見てて自分で幻滅した!だから諦めた!それだけです!!」
武来の本心。
それは、多分女にしか分からない外見の事情。
ナイーブ。デリケート。
そんなとこだろうが、それで諦めつくほど自分が出来ていない葛藤。
現に、俺のことを思い続けているから。
「…それで?話は終わりか?」
「……え?」
「話さなきゃいけないこと。3つの諦め。それで全部か?」
「…は……はい。」
「他に言うことは?」
「特に…ありません。」
「そ。」
キョトンと俺を見た武来。
構わず、コーヒーを口にした。
孝太郎は、俺を察しているのか、ずっとクスクス笑っていて。
……そう。
俺にとっちゃどうってことない理由。
高校時代、倒れたこいつを見て思った。
ー死ぬな。生きろー
言葉通り、ウインターカップで無事を確認し、涙が出そうなほど安堵した。
それから直ぐに消えた武来。
この3年、何度も思った。
無事でいてくれ。
生きていてくれ。
死なないでくれ。
その願いは叶えられていて、今、目の前に元気な姿がある。
俺はそれだけで十分なんだと、全く理解していない。
そんなので幻滅などしない。
受け止めてやる。
あの日、ホテルで自分の意思を固めた。
その思いはずっと胸に刻み込まれてきた。
「…武来。婚約者って誰だよ。」
「ブワハハハ!!お前な!この場面でよく言えるな!ある意味スゲー天然ボケだぞ!」
「うるさい。昨日から気になってんだ。」
一層目を丸くした武来。
次第に頬を緩ませ、笑顔を見せた。
「…先輩もご存知の方です。中身は光希さんですよ。」
「…光希?……ああ!あいつか!…なんであいつが婚約者なんだよ。」
「だから親が決めたを気にして欲しいんですけど。光希さんはこの2年間、ずっと傍にいてくれた恩人です。」
「…2年?」
「はい。アメリカから帰ってきてサーカスを辞めたんです。公演中に腕の腱を切ってしまって。ただ、孝太郎先輩のように、怪我をしても復帰するのには抵抗があったと言っていました。サーカスでの男性は、元々人を支えることが多いですから。その人を死なせてしまうかもという恐怖に打ち勝てないと。十分話し合って、悔いなく辞めたと言っていました。日本で再会して、私の傍にいると父に申し出てくれたらしいです。」
「それがなぜ婚約者なんだよ。」
「ブハッ!」
「うるさい。孝太郎。」
「順を追って説明してくれてるんだから、ちょっとは落ち着いて話を聞けよ。」
「…どうなんだ?」
2年も一緒にいたとか。
気が気じゃない。
こんなに綺麗になってる武来。
光希が武来に惚れてたりしたらと思えば…
と。今度は武来までクスクス笑い出した。
「婚約者と言い出した父に、私以上に呆れたのは光希さんですよ。先輩。」
「…え。」
「私、先輩のことを異性として意識してると助言してくれたのも光希さんです。その恋心を知って、一番私を応援してくれたのも。先輩たちのような関係、それが私と光希さんの関係です。」
「…そうか。」
「ちなみに、光希さんは彼女持ちです。」
「……!!そういうことは早く言え!!!」
「…すみません。」
「ブワハハハ!!!」
孝太郎は大笑い。
武来も俯いて、肩を揺らせていて。
ホッとした反面恥ずかしい。
…でも。
こいつは会ったその日から、恥ずかしい思いをさせられているから、どうってことない。
「ああー、笑った。勇ちゃん、相変わらずで良かったよ。…颯汰、出る?」
「そうだな。」
松葉杖を取って孝太郎に渡し、立ち上がるのを補助すると、武来が目を丸くした。
「え?…先輩、帰るんですか?」
「うん。筋トレあるし。俺は帰る。」
「行くぞ武来。」
「ちょ……待ってください!」
「勇ちゃん。」
「……はい。」
「勇ちゃんの思いは全部なんだろ?」
「はい。そうですが…」
「だったらあとは、勇ちゃんと颯汰の問題でしょ?俺はここで退散する。颯汰と話し合ってこれからを決めて?」
「……これから…ですか……」
「颯汰の気持ちも聞いてあげて?」
「分かりました。」
「ありがとう。」
武来の頭に手を乗せて、ポンポンと叩いた孝太郎。
言葉の少ない俺を、孝太郎がこうして補ってくれる。
同じように武来は雰囲気を感じ取ってくれる。
大事。大切にしたい二人。
その後、車で孝太郎の部屋まで送った。
「…なんで後ろ?」
「あ…いえ。なんとなく。」
「助手席に乗れ。」
「あ…はい。失礼します。」
緊張してるのか、頬を赤く染めながら乗り込んできた武来。
「時間は?」
「大丈夫です。」
「ちょっとドライブするか。」
「…はい!!」
その緊張が一瞬にして無くなった。
俺だって知ってる。こいつの喜びそうな言葉は、高校の時から知っている。
変わらずに喜んでくれる彼女を見て、さらに愛しさが増していく自分も知っている。
「どこか行きたいところあるか?」
「どこでもいいです。」
聞いてみたものの、一番困る返答。
まぁいいか…と、車を走らせ、高速に乗った。
「…え。高速?軽くドライブって感じじゃないですね…どこに向かってるんですか?」
「…知多。」
「知多!?えぇ!?今からですか!?」
「俺。いいドライブコースとか知らねぇし。」
「知らねぇって…」
「時間あるんならいいだろ。今日中には家まで送ってやる。」
日が傾いていて、長距離移動なんて予想外だったのか、驚いた武来。
こんなことなら、前もっていろんなところを調べておくんだった。
自分にガッカリしながら車を走らせて、暗くなった頃、海沿いのドライブインに入った。
「わ……飛行機だぁ……」
「何?飛行機好き?」
「毎日見るとか、名前を知ってるとか、そういうのじゃないですけど。飛行場にいたら、いつまででも眺めてられます。」
「展望台?」
「はい。降りてきた飛行機誘導するしゃもじみたいなやつやってみたいです。」
「ブハッ!…しゃもじってなんだよ。…パドルって言うんだ。」
「物知りですね…尊敬します。」
「ハハッ…おいで。ちょっと散歩しよう。」
セントレアの様子を見ながら、海沿いの遊歩道をゆっくりと歩く。
「…フフ…久し振りですね。」
「そうだな。」
「あのときとはちょっと違う幸せだな。」
「何?」
「…死ぬ覚悟の上で生きていたって言ったじゃないですか。…あのときとは全く違う。」
「………………」
歩みを止め、歩道の手摺に手をついて真っ黒の海を見ながらそう呟いた。
改めて分かった武来の今までの人生は、俺が思ってた以上に辛く苦しいものだった。
孝太郎と言い合いになったときに発した言葉、あれは本音だったと思う。
俺は全然理解できていない。
病気になっていないのだから、それは分かり得ないことといえばそれまでだ。
本人にしか分からない痛みや苦しみ、そして恐怖を、俺が味わいたいと思うなんてバカなんだろうか?
同じ立場になりたいと。
同じ病気になりたいと。
(…バカだな…)
侮辱だ。
そう思うこと自体、武来だけじゃなく、病気と戦っているすべての人に対する侮辱だ。
だったら、俺に出来ることは?
「……………」
「…先輩?」
「……ん?」
「……泣きたいの?」
「……そうかもな。」
分からない。
ただ、思うことは、こいつを俺のすべてで受け止めてやりたいと。それだけ。
それだけしか出来ない。
(…なんて…無力なんだ…俺は…)
「……武来。」
「はい。」
「…俺が……なっちゃダメか?」
「……え?」
「お前の言う執着心。」
「……どういう…意味…ですか?」
「………帰るぞ。」
小さな手を握ると、車の方に歩き出す。
「先輩!…ちょっ……痛ッ!」
助手席を開けると、投げ出すようにそこへ座らせた。
「……ッッ!?……先輩!…やだ!!」
「………手を退けろ。」
「やめてください!…どうしたの!」
座らせた武来は、足を外にはみ出したままで。
俺は地面に膝をつき、武来のブラウスに手を掛けてボタンを外した。
片手はブラウスを前で掴み、片手は俺の手を止める武来。
「……手を退けろ。」
「嫌です!」
「勇。言う通りにしろ。」
「嫌です!何を……わっ!!」
シートを倒し武来を横にすると、両腕を片手で一纏めにして動きを奪う。
武来の力など、俺にとっては子供のような力。
そのままブラウスの前を全部開けた。
「先輩!離して!嫌だ!やめてよ!」
「……………」
「先輩!!酷い!こんなの酷すぎる!!」
叫んで、涙を流し始めた彼女の訴えも無視し、ブラウスを強引にずらす。
露になったキャミソール。
その左肩の紐と、下着の紐を腕にずらす。
「嫌だ!……いやぁああ!見ないで!!」
車内灯でもはっきり見える。
肩と胸の膨らみの中間。
不自然に丸く浮き出る皮膚。
それを真っ二つに裂くように、手術の痕が。
これがICD。彼女の命。
「………ッ!!」
ゆっくりそこに顔を近付けると、その上にキスをした。
瞬間、息を飲み、身体がびくついた彼女。
「…幻滅だって……?バカにするな。
…これのお陰で…お前は生きてる。今、生きて俺の前にいて会話出来てるんだ…俺がこれを見て幻滅するはずないだろ…俺がこれにどれだけ感謝してると思ってるんだ…愛せずにはいられない。」




