5.別の誘惑-9
翌日、目が覚めると、眩しい光にサラサラのカーテンが目に映る。
それが武来の髪だと気付くのに、時間はかからなかった。
武来は、俺の頭を撫でて、あの笑顔で俺を見下ろしていたから。
「…先輩?おはようございます。」
「おはよ…何してんだよ。」
「頭ナデナデ。」
「ガキでもあやしてんの?」
「…そうする権利はありますからね。」
「何それ。」
「………………まだ彼女でしょ?」
「……………」
ちょっとの違和感。
でも、なぜだか分からない。
嘘つくときの間。嘘は言ってないはずなのに。
ちょっと不思議に思ったけど、時計を見て、それを拭い去ることにした。
後2時間。
それが俺たちの別れ。
ゆっくりとカウントダウンが始まっている。
朝食に行って
直ぐに部屋に戻って
身支度を整えて
「今日は30日ですね。もうすぐ年明け。」
「…来年、一緒に初詣行こうな。」
「…見破れるかがカギです。」
「…見破るってば。」
そして、抱き締めあって。キスをして。
「……勇……覚えていて。俺はずっと待ってるから。お前を忘れたりしない。ずっとお前が好きだから。そのこと忘れないで。絶対覚えていて。」
「…私も大好きです。ずっと大好き。」
別れを覚悟しても、離れたくないという気持ちが勝る。
それは彼女も同じだろう。
必死で泣くのを堪え、必死で笑顔を作ってるから。
手を繋いで駅に着くと、その構内で待っていた孝太郎を見つけた。
「颯汰!勇ちゃん!」
「おはようございます。孝太郎先輩。」
「…おはよう。……勇ちゃん、ちょっと。」
「何ですか?……わっ!わっ!」
孝太郎は武来の頭と頬を撫でまくってた。
ビックリしたのか、直ぐに孝太郎から離れると、俺の背中に身を隠し、頭だけ覗かせて孝太郎を見た。
「あ。ピコピコハンマー買って来れば良かった。もぐらたたき出来たな。」
「……何事ですか。ビックリした。」
「ハハッ!ゴメン。勇ちゃんが生きてるか確かめたかっただけ。」
「孝太郎もすごく心配してくれたんだよ。」
「……………」
そう言うと、ヒョコッと出てきて孝太郎の前に立って。手を握り締めて。
「私、孝太郎先輩のことも大好き。…夏目先輩をよろしくお願いします。」
そして、俺のところに戻ってきて手を繋いだ。
「んー。こりゃ地獄だったな。」
「…だろ?もう必死。」
「何の話ですか?」
「勇ちゃんが可愛すぎるって話だよ。」
「男同士の会話。」
「ふーん。可愛いならいっぱい言っていいですよ?」
「「可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い」」
「…も、け…っこうです!」
一気に顔が赤くなった武来。
それを見て、俺と孝太郎は大笑いした。
笑顔で別れられるように。
少しでも、笑っていられるように。
刻一刻と時間が迫る。
極端に武来の口数が減った。
俺と孝太郎は、必死で笑って喋りながら気遣う。
「…やっぱり思った通り。孝太郎先輩は空気が読める人ですね。ちゃんと分かってる。」
「何のことかな?」
「フフ。」
大人びた笑顔でそう語った武来。
「孝太郎先輩。…これは私が決めたんです。だから、夏目先輩をよろしくお願いします。」
「……分かった。」
「ありがとうございます。じゃ、ちょっと隠してください。」
「……!!ハハッ!了解。」
「夏目先輩。抱っこして?」
「……了解。」
駅のホーム。
柱と孝太郎の壁を作っても、きっと丸見え。
でも、構わずに抱き締めて。
今にも泣きそうな武来の唇にキスを落とす。
ゆっくりと離れると、アナウンスが鳴って。
同時にパァッと花が開くような笑顔になった。
「…じゃ、行きますね。お二人ともお元気で。」
「勇ちゃんも。」
「頑張ってこいよ。」
「はい!」
最後まで笑顔で。最後まで手を繋いで。
発車ベルと同時に手を離した。
背を向けて乗り込んだ彼女の背中を眺める。
それが小さく震えていて。
俺たちを遮る板が一枚、そして二枚と増えた。
瞬間、振り向いた彼女はボロボロ泣いて。
「……勇!!!」
叫んだとき、彼女の口が大きく動いた。
ご・め・ん・な・さ・い
その意味が分からなかった。
でも、再三孝太郎に言ったよろしくお願いしますという言葉は直ぐに理解できた。
覚悟を決めても、別れは辛く。
颯爽と消えた新幹線を見送り、俺は泣いていた。
「…こうなるのが分かってたんだな。勇ちゃんは。」
俺を支えてくれる孝太郎の存在があるから、俺は昨夜電話で呼び出したわけで。
それを分かってたから孝太郎は来てくれたわけで。
武来はそれも見抜いてたから託したわけで。
ごめんなさいの意味が理解できたのは
それから一年後だった。
待っても、武来の風を感じない。
彼女は初めて、俺との約束を破った。
二年待っても。
三年が過ぎても。
武来は俺のところに戻って来なかった。




