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君が僕を振ったことにしてくれ  作者: 九葉(くずは)


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9/10

第9話 あなたの隣に立つなら、私が決めたい

 夜会の翌朝。


 私は、少しだけ寝不足だった。


 理由は分かっている。

 ユリウスに『今日は、とても綺麗です』と言われたからだ。


「……今さら?」


 鏡の前で呟く。


 一晩経ったのに、思い出すたびに顔が熱くなる。

 社交辞令なら何度も聞いた。けれど昨日の言葉は違った。言いたかったから言った、と彼は言った。

 それが、とても困る。


「お嬢様?」



「何でもないわ」


「そうですか?」


「ええ」


 私は鏡から離れた。


 今日は朝から街道整備の最終協議がある。考えるべきことは他にたくさんある。


     ◇


 商業組合との会合は、思っていたより難航した。


「冬季の通行料を上げるというのは困ります」


 組合長が腕を組む。


「水路の維持費として必要なのは理解しますが、荷馬車一台ごとに徴収されては負担が大きい」


 父の代理として出席していた私は、資料を見る。


「では、年間通行証にするのはどうでしょう」

 私は、頻繁に使う商会は定額、年に数回の利用者は一回ごとの料金にする案を出した。

「それなら負担の見通しは立てやすい」

 組合長が頷く。


 隣に座っていたユリウスが資料へ目を落とす。


「料金設定を二種類にする?」


「はい」


「管理は?」

「両端の検問所で。通行証には両家の印を入れます」

「片方だけでは?」

「駄目です。この街道は両領が維持します。あとで責任を押しつけ合いたくありません」



「ずいぶん実感のこもった理由ですね」


「経験から学びました」


「それなら強い」


 組合長も笑う。


 昼過ぎ、条件がまとまった。

「この案で組合へ持ち帰ります」

 組合長を見送り、会合室には私とユリウスだけが残った。


「疲れました?」


「少し」


「でも楽しそうだった」


「最近、そればかり言いますね」


「本当なので」


 私は書類をまとめる。


「以前は、こういう場に出るとは思っていませんでした」

「婚約していた頃?」

「ええ。結婚後は侯爵家でレオナルドを支える。それが私の人生だと思っていました」

 今でもそう思う。


 ただ。


「自分の家のことなのに、私はずっと『結婚するまでの仮の場所』みたいに思っていたのかもしれません」


「アルフェルト領を?」


「はい」


 いつか離れる場所だと思っていた。


「今は?」


「残りたいです」


 言葉は自然に出た。

 自分でも驚かなかった。


「ずっと?」


 ユリウスの声が少し変わった。


「少なくとも、誰かと結婚するからやめる、とはもう思いません」


 私は資料を閉じた。


「これが私の仕事だ、と言えるくらいには関わりたいです」


 ユリウスはしばらく黙っていた。


「そうですか」


「何です、その顔」


「いえ」


「反対?」


「まさか」


「では?」


「困りました」


「何がです?」


 彼は答えなかった。


     ◇


 その意味を知ったのは、翌日だった。


     ◇


「セシリア」


 朝食後、父に呼び止められた。


「王都にいる間に話しておきたいことがある」


「何でしょう」


「クレイン伯爵から、話が来た」


「街道について?」


「いや」


 父は妙に真面目な顔をしている。


 嫌な予感ではない。ただ妙な予感だった。


「ユリウス殿との縁談だ」


 私は、しばらく言葉が出なかった。


「……縁談?」


「ああ」


「私と?」


「他に誰がいる」



 心臓が急に忙しくなる。


「いつ?」


「昨夜」


「ユリウスは知っているのですか?」


「もちろんだろう」


「もちろん……」


 昨日、会合のあとも彼は何も言わなかった。「困りました」とだけ。


「返事は?」


 父が聞く。


 私は顔を上げる。


「もうなさったのですか?」


「していない」


 ほっとした。

 それが顔に出たらしい。


 父が苦笑する。


「そんな顔をするな」


「だって」


「お前に聞かずに決めると思うか?」




「……いいえ」


「なら」


 父は椅子へ座り直した。


「お前はどうしたい」


 その質問に、もう戸惑うことはなかった。



「分かりません」


 父の眉が上がる。


「嫌なのか?」


「違います」



「では好きなのか?」


「お父様」


「何だ」


「少し楽しんでいません?」


「父親だからな」

「関係ありません」

 父は笑った。私は少し考えた。


「ユリウスと話したいです」


「縁談のことを?」


「はい」


「分かった」


「それから決めます」


「そうしろ」


 父は、それ以上何も言わなかった。


 だから、私は自分で手紙を書いた。


『お話があります』


『今日、少しお時間をいただけますか』



     ◇


 待ち合わせたのは、王都屋敷の庭だった。


 正式な縁談の話をするには少し気軽すぎる場所かもしれない。

 でも、応接室で向かい合うより、ここがよかった。


 ユリウスは私を見るなり。


「聞きました?」


 と言った。


「聞きました」


「怒っています?」


「少し」


 彼の顔が固まる。


「やっぱり」


「私には先に言ってくれなかったので」


「……それは」


「なぜお父様が先なのです?」


「正式な縁談なので」


「私へ言ってからでは駄目だったのですか?」


 珍しくユリウスが困っている。少しだけ気分がいい。


「セシリア」


「はい」


「私も、どう言えばいいか分からなかったんです」


「あなたでも?」


「私を何だと思っているんです」


「何でも意見を言える人」


「仕事なら」


 彼はため息をついた。


「こういうことは、別でしょう」


「そういうものですか」


「そういうものです」



 秋の庭に冷たい風が吹く。


「では」


 私から言った。


「聞かせてください」


「何を?」


「どうして、私と結婚したいのですか」


 ユリウスが息を止めた。


 直球すぎても、これを聞かずには決められない。


「私がアルフェルト伯爵家の娘だから?」


「違います」


「街道の仕事ができるから?」


「それも違う」


「では?」


 彼は、しばらく考えた。


「最初は、あなたをとても我慢強い人だと思っていました」

「それは褒めています?」

「今は褒めていません。王都で見かけるあなたは、いつも周りが一番困らない答えを選んでいた」

「……見ていたのですか」

「何度か。立派だと思いました」


 一度、言葉を切る。


「でも、領地で再会して」


 私は待った。


「でも領地で、自分の意見を言ったあとに不安そうな顔をするあなたを見た。それでも次の日にはまた意見を言った。間違えたら訂正して、反対されたら理由を聞いた」

 ユリウスの表情が柔らかくなる。

「自分がどうしたいのか、少しずつ口にするようになった」


 彼が私を見る。


「私は、そのあなたが好きです」


 言葉が出なかった。


「誰かのために何でもできるセシリアではなく、嫌なことは嫌だと言うあなたも、間違えるあなたも」

「そこは入れなくても」

「重要です。完璧だから好きなのではないと伝えたいので」


 本当に、この人には困る。


「仕事を続けたいなら、結婚しても続けてほしい」

「クレイン領へ移らなくても?」

「それも相談しましょう。普通と、私たちに一番合う方法は別です」


 私は彼を見る。


「昨日」


 ユリウスが苦笑する。


「あなたが、誰かと結婚するから仕事をやめるつもりはないと言ったでしょう」


「はい」


「それを聞いて困った」


「なぜ?」


「私が求婚したら」



「あなたがまた、自分のしたいことを諦めるのではないかと思ったからです」



「だから」


 ユリウスは言う。


「先に伯爵へ、条件を伝えました」


「条件?」


「結婚しても、あなたがアルフェルト領の仕事を続けること」


「……」


「住む場所も、役目も、子どもができた場合も」


「そこまで?」


「全部、二人で決めること」


 私は笑った。

「すごく、あなたらしいと思って」

「褒めています?」

「とても」


 それから、私は急に怖くなった。


 幸せになりそうだと思うほど、また間違えたらどうしようと怖くなった。

 結婚したら彼も私も変わり、私はまた相手へ合わせすぎるかもしれない。


「ユリウス」


「はい」


「私」


 喉が少し乾く。


「怖いです」


 彼は笑わなかった。


「何が?」


「結婚することが」



「一度、もうすぐ結婚するところまでいったから」


「はい」


「今度は大丈夫、と簡単には思えません」


「そうでしょうね」


「それでも?」


「それでも」


 即答だった。


「怖くなくなるまで待ちます」


「……」


「結婚しないという答えでも、受け入れます」



 優しいからだけではない。この人が、本当に私の答えを必要としているからだ。


「私が断ったら?」

「かなり落ち込みます」

 思わず笑った。


「でも」


 彼は続けた。


「それであなたの答えを変えさせようとはしません」


 私は目を閉じた。


 レオナルドは「私なら分かってくれる」と言った。

 ユリウスは、私が分からないと言っても待ち、嫌だと言っても受け入れる。

 小さく見えるその違いが、きっと人生を変える。


「すぐには」


 私は言った。


「すぐには、結婚すると言えません」


「はい」


「でも」


 一歩、彼に近づく。


「あなたと一緒にいたいです」


 ユリウスの目が見開かれる。


「それは」


「求婚への返事ではありません」


「……厳しいですね」


「大事なので」


「はい」


「まず」


 私は笑った。


「恋人になりませんか」



「……私から言う予定だったんですが」


「遅いです」


「伯爵への話を先にしてしまったので」


「知っています」


「順番を間違えましたね」


「かなり」


「やり直していいですか」


「どうぞ」


 ユリウスは一度息を吸った。


 それから、私へ手を差し出さず、まっすぐ見た。


「セシリア」


「はい」


「私と、お付き合いしてください」



「はい」


 自分で選んだ。


 家の都合でも、相手を傷つけたくないからでもない。

 私が一緒にいたいと思ったから、その答えを口にした。


     ◇


 帰宅すると、父が執務室で待っていた。


「どうだった」


 私は椅子へ座る。


「結婚の返事は保留です」


「そうか」


「でも」


「でも?」


「お付き合いすることになりました」


 父が、しばらく無言になった。


「……なぜ縁談から交際に戻るんだ」


「順番が逆だったので」


「誰のせいだ」


「ユリウスです」


「そうか」


 父は机に肘をついて額を押さえた。


「お父様」


「何だ」


「反対?」


「まさか」


 顔を上げる。


「お前が決めたのだろう」


「はい」


「ならいい」


 その言葉に、私は少し笑った。


     ◇


 その夜。


 私は王都屋敷の自室で、アルフェルト領の地図を広げていた。


 街道。

 水路。

 村。

 これから整えたい倉庫。

 冬の輸送。

 春になったら確認したい畑。


 やりたいことが、たくさんある。


 そして、机の端には、ユリウスから届いたばかりの小さな手紙。


『明日の昼食はいかがですか』


『仕事の話は半分までにします』


 思わず笑う。


 私は返事を書く。


『半分もするのですね』


『でも、行きたいです』


 そこまで書いて、少し考え、一行足した。


『私からも話したいことがあります』


 やりたい仕事も、行きたい場所も、話したいことも、少しずつ増えている。


 誰かの人生へ入れてもらうためではない。


 私自身の人生に、私が選んだものを一つずつ置いていくために。


 私は手紙を封じた。


 明日もきっと、自分で決めることがある。


 それが今は、楽しみだった。

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