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君が僕を振ったことにしてくれ  作者: 九葉(くずは)


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8/10

第8話 今度は、私が選びます

 王都へ戻ってから一週間。


 私は、婚約解消後初めて夜会へ出席することになった。


「本当に行くのか?」


 出発前、父が三度目の確認をした。


「行きます」


「まだ噂は完全には消えていないぞ」


「知っています」


「お前が嫌なら、断って構わない」


「嫌ではありません」


 私は鏡の中の自分を見た。


 淡い青のドレス。婚約中なら選ばなかった色だ。

 レオナルドは濃い色を好み、私も彼が喜ぶならと合わせていた。

 今日の青は、私が好きだから選んだ。


「それに」


 私は振り返る。


「いつまでも、噂がなくなるまで待っているわけにもいきません」


 父は少し考えてから頷いた。


「分かった」


「お父様」


「何だ」


「もし何か聞かれても、助け舟は出さないでくださいね」


「……ずいぶん注文が多いな」


「自分で答えてみたいんです」


 父は苦笑した。


「承知した」


     ◇


 夜会の会場は、王都でも有名なオルブライト公爵家の大広間だった。


 扉をくぐった瞬間、いくつもの視線がこちらへ向く。

 すぐに逸らされる。



「注目されていますね」


 隣にいた父が小声で言った。


「楽しそうですね、お父様」


「娘が強くなったのでな」


「他人事だと思って」


 笑って返す。


 以前なら、この視線だけで帰りたくなったかもしれない。


 婚約者を捨てた気まぐれな令嬢か、別の女性に婚約者を奪われた哀れな女か。

 以前なら、誰にどう思われているのかだけで帰りたくなった。


 でも今は少し違う。

 全員に分かってもらわなくていい。


 私に尋ねる人がいれば、その人には私が答えればいい。


「セシリア嬢」


 聞き覚えのある声に振り向く。


「ユリウス」


 彼も今夜は礼装だった。

 領地で見る姿とは印象が違う。


「来たのですね」


「あなたも」


「父に捕まりました」


「クレイン伯爵に?」


「冬の間くらい社交をしろ、と」


「では、今日はお仕事ではない?」


「一応」


 彼は少し顔を寄せる。


「三人ほど、街道の話をしたいという方には捕まりましたが」


「十分お仕事ですね」


「あなたには言われたくありません」


「私?」


「会場へ入って十分で、もう商業組合長に声をかけられていましたよ」


「見ていたんですか?」


「たまたまです」



「あら、セシリア様」


 別の声がした。

 振り返る。


 数度茶会で会ったことのある伯爵夫人だった。


「ご無沙汰しております」


「本当に。いろいろ大変だったそうね」


 来た。


「お気遣いありがとうございます」

 夫人は声を潜めた。


「こんなことを聞くのは失礼かもしれないけれど……本当に、あなたから婚約をお断りになったの?」


 隣で父が動かなかった。

 約束を守っている。


 ユリウスも何も言わない。

 二人とも、私を見るだけだった。


「いいえ」


 私は答えた。


「婚約解消を申し出たのは、レオナルド様です」


 夫人の目が丸くなる。


「まあ」


「ただ、私も同意しました」


「では、やはり何か事情が?」


「レオナルド様に、他に想う方ができました」


 夫人が息を呑む。

 私は続けた。


「そのため婚約を解消したいとのお話があり、私が受け入れました」

「でも、あなたが結婚に迷っていたと」

「それは事実ではありません」


 言ってみると、思っていたより簡単だった。


 夫人は気まずそうに目を伏せた。


「ごめんなさいね。変な噂を聞いてしまって」


「いいえ」


「あなたから聞けてよかったわ」


 それだけ言って、夫人は去っていった。



「どうでした?」


 ユリウスが尋ねる。


「何が?」


「自分で答えてみて」



「思っていたほど怖くありませんでした」


「それはよかった」


「でも」


「はい?」


「本当に何も言わないんですね」


「言わないでほしいと言ったのはセシリアでしょう」


「そうですけど」


「不満ですか?」



「いいえ」


 私は笑った。


「むしろ、嬉しいです」


「なら安心しました」


     ◇


 その後も、二人、三人と似たようなことを尋ねてくる人がいた。


 私は同じことを答えた。


 婚約解消を申し出たのはレオナルドで、私は同意した。彼には他に想う女性がいた。私は身を引いたわけではない。

 それ以上は責めず、飾らず、事実だけを答えた。


 そして、四人目と話し終えたところで、会場の空気が少し変わった。


 レオナルドが来た。


 侯爵夫妻と一緒だった。


 でも、逃げたいとは思わなかった。


 向こうも私に気づいた。

 目が合う。


 レオナルドは立ち止まった。

 私は軽く会釈した。

 彼も同じように返す。


 以前とは違う。胸は締めつけられず、彼の表情から気持ちを読み取ろうとも思わない。


     ◇


「セシリア嬢」


 しばらくして、年配の侯爵夫人に声をかけられた。


「少しよろしい?」


「もちろんです」


 彼女はレオナルドの家とも交流の深い人物だった。


「ずっと気になっていたのだけれど」


「はい」


「あなたとレオナルド殿の婚約解消についてね」


 まただ。

 私は構えた。


「私が聞いたところでは、あなたが結婚に迷いを感じていたとか」


「それは」


「違います」


 声がした。

 私ではない。


 振り返る。

 少し離れたところにいたレオナルドだった。


 侯爵夫人も驚いて彼を見る。


「レオナルド殿?」


 彼は私の隣まで来た。

 ただし、以前のように私の代わりに話すためではなかった。


 私を見る。


「僕から話しても構わない?」


 尋ねられた。


 それから。


「どうぞ」


 と答える。


 レオナルドは侯爵夫人へ向き直った。


「婚約解消を申し出たのは僕です」


「あなたが?」


「はい」


「でも、セシリア嬢が」


「違います」


 彼ははっきり言った。


「僕に他に想う女性ができたため、僕からセシリアへ婚約解消を申し出ました」


 周囲で、何人かがこちらを見た。


 レオナルドも気づいているはずだ。

 それでも止めなかった。


「それだけではありません」


 彼の声が少し掠れる。


「僕はそのとき、セシリアから僕を振ったことにしてほしいと頼みました」


「まあ……」


 侯爵夫人が目を見開いた。


「自分と相手の女性の評判を守るためです」


 私は彼を見た。

 レオナルドは、私を見なかった。


「セシリアは断りました。当然です」


 声は震えていた。


「今、彼女から婚約を解消したという話が広まっているのなら、それは事実ではありません」


「でも、なぜそんな噂が」


「僕が」


 彼は一度言葉を切った。


「自分に都合のいい説明をしたからです」


 あたりが静かだった。


 ここまで言う必要はないと思ったが、止めなかった。


 これは彼が自分で選んで言っている言葉だから。


「ですから」


 レオナルドは頭を下げた。


「セシリアに非があったという話は、信じないでいただきたい」


 侯爵夫人は驚いた顔のまま、やがて頷いた。

「……分かりました」


 彼女は私にも軽く頭を下げた。


「セシリア嬢。変な噂を信じてしまってごめんなさい」


「いいえ」


「今度、お茶にいらしてね」


「喜んで」


 夫人が離れていく。

 レオナルドと私は、少しだけ二人になった。


「ありがとう」


 私が言った。

 彼は目を見開いた。


「……礼を言われることじゃない」


「そうかもしれません」


「僕が最初からそう言えばよかっただけだから」


「はい」


 痛くない笑顔だった。


「セシリア」


「何でしょう」


「君に頼まれたから言ったんじゃない」


「分かっています」


「僕が言うべきだと思ったから言った」


「はい」


「それなら、よかったです」



「君は変わったな。前より、ずっと言いたいことを言う」

「昔から、そうできればよかったとは思います」

「でも、昔そうできなかった私も私ですから」



「全部、あなたのせいだったとは思っていません」


「セシリア」


「私も、自分が我慢すればうまくいくと思っていました」


 それは、最近ようやく認められるようになったことだった。


「だから、これから変えます」


 レオナルドは静かに頷いた。


「僕も」


「はい」


 そこで本当に私たちの話は終わった。

 彼は彼の場所へ、私は私の場所へ。もう同じ道へ戻る理由はない。


     ◇


「ずいぶん長く話していましたね」


 手には二人分の飲み物。


「見ていたんですか?」


「たまたまです」


「二度目ですね、その言い訳」


「では、見ていました」


 正直になった。


「怒っています?」


「誰に?」


「レオナルド様に」


 ユリウスは考える。


「以前は少し」


「以前は?」


「あなたの代わりに勝手に腹を立てていました」


「まあ」


「でも、それも失礼だと気づきました」


「どうして?」


「あなたが許すかどうかも、私が決めることではないので」

 私は飲み物を受け取った。

「本当に、あなたは私を助けてくれませんね」


 ユリウスの眉が下がった。


「褒めてます?」


「とても」


「分かりにくいですね」


 笑う。


 そして、音楽が変わった。

 舞踏の時間らしい。


 何組もの男女が中央へ移動していく。


 ユリウスがそちらを見る。

 それから、私を見る。


「セシリア」


「はい」


「踊りませんか?」


 心臓が跳ねた。けれど、彼はすぐ手を差し出さなかった。


「嫌なら断ってください」


「それは」


「義理でも、噂避けでも、私に気を遣ってでもなく」


 少しだけ笑う。


「あなたが踊りたいなら」


 私は彼を見る。


 王都へ来てから、いろいろなことを自分で決めた。


 街道会議へ出ること。

 レオナルドと会うこと。

 噂に自分で答えること。


 そして、今。


 私はどうしたい?


 答えは簡単だった。


「踊りたいです」


 私から手を差し出した。


 ユリウスが目を見開く。


 それから笑った。


「では、喜んで」


 彼の手が、私の手を取る。

 広間へ出る。


 踊り始めてすぐ。


「少し速くありません?」


 私が言った。


「セシリアのほうですよ」


「私は合わせています」


「私も合わせているつもりです」


「では、どちらかが間違っていますね」


「確認します?」


「踊りながら?」


「そのほうが面白いでしょう」


 思わず笑ってしまった。


「普通、こういう場面ではもっと甘いことを言うのでは?」

「では、思いついたら教えてください」

「あなたが考えてください」


 そんな話をしながら、私たちは踊った。


 どちらか一方が、ずっと相手へ合わせるのではない。


 私が進めば彼が受け、彼が向きを変えれば私も合わせる。

 少しずれれば、そのたび二人で直す。


 それでいい。


「セシリア」


「はい」


「一つだけ」


「何でしょう」


「今日は、とても綺麗です」


 不意打ちだった。

 足を間違えそうになる。


「……急ですね」


「甘いことを言えと言われたので」


「今のは命令されたから?」


「違います」


 ユリウスは笑った。


「言いたかったから言いました」


 ずるい。

 そう思った。


「では」


 私は彼を見る。


「ありがとうございます」


「それだけ?」


「私の番ですか?」


「対等なんでしょう?」


 また笑ってしまう。


 でも、少し考えて。


「ユリウスも、今日は素敵ですよ」


 今度は彼の足がわずかに遅れた。


「……今、間違えましたね?」


「気のせいです」


「私は見ました」


「踊りに集中してください」


「はい」


 私たちは、また歩調を合わせた。


 私たち二人が、この時間を楽しむために。

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