Log.2 タウン→冒険者が集う入り口の街
「えぇぇ!?
あんだけ頑張って、報酬、こんだけぇ!?」
アサの叫び声が辺りに響き渡り、近くにいた俺は慌てて耳を塞いだ。
すぐ隣にいたリリィも、同じ動きをする。
けれど、目の前にいる案内役の女性はひるまなかった。
にこりと微笑んだまま、彼女は言う。
「はい。報酬は以上となります」
「はぁぁっ!?」
手にした『回復アイテムセット』を睨みつけながら、アサがまた、大きな声を上げた。
辺りの煉瓦造りの建物に、それはまた、反射していく。
※
ここ――『冒険者が集う入り口の街』は、通称「入り口の街」として知られている。
ログインしたプレイヤーが、最初に必ず訪れる街になっているからだ。
まるで外国を思わせるような――そう、例えばロンドンのような――煉瓦の街並みを見上げれば、隙間なく肩を並べた二階建ての建物たちがずらりと並んでいる。
ショップや武器屋などの様々な店も交じっている。まるで、俺たちプレイヤーを取り囲もうとしているかのように。
そんな街並みを、オレンジ色に輝く太陽が、優しく照らしていた。
その太陽の色合いは、いつの時間にログインしても変わることはない。この『ワールド』には、時間の概念というものが存在していないからだ。
そんな入り口の街の中心部には、大きく拓けた場所がある。
広場として有名なその場所のど真ん中には、長さ・高さとも先ほど俺たちが戦っていたモンスター並みの大きさの、電光掲示板がある。
そこで、プレイヤーたちは依頼を確認したり、ギルドの状況を確認したり、公式からの情報をチェックしたり出来る。
そんな掲示板の前にあるテントが、「総合受付所」だ。
ここで、全ての依頼の受付や、ギルド入隊申請、ゲームを辞める際の手続きまで、全て案内役の人がやってくれる。
そして今、俺たちはそこで、二時間程かけてようやくクリアした『巨大モンスター討伐依頼』の終了申請に来た、というわけだが。
「と、とりあえず落ち着け、アサ」
肩を怒らせながら呼吸が荒いアサの肩に、ぽん、と手を置くと、恐ろしい速度でこちらへ振り向いた。鬼のような形相で睨みつけられ、俺はたじろいだ。
「だって、リュウだっておかしいと思わない!?
よりによって回復アイテムよ! レアアイテムなら分かるけど、なんでこうなるわけ!?」
「いや、俺にだって分かんないけど――」
「ねぇお姉さん、これどーいうこと!」
受付のお姉さんに向かって、アサがまたもや吠える。
だが、お姉さんは既に別のプレイヤーの相手をしていた。
まるで、隣で吠えるワンちゃんにも目もくれずにテキパキと仕事をこなすお姉さん。さすが、世界規模のゲーム会社の社員は違うな、と思った。
くぅ、と悔しそうに呻くアサの横で、傍観していたリリィが、ああ、と何か納得したような声を出して言った。
「きっと、あれかな。ゲーム製作者さんの労い」
は? と言いたそうな表情で、リリィを見つめるアサ。
リリィは、にこりと微笑んだまま、ぽんと手を叩いた。
「"お疲れ様! これでゆっくり体力回復して休んでってね!"
……ていう」
俺たち三人の間に流れる、数秒の沈黙。
後に、アサが頭を抱えて「ぐあぁぁ」と地面に倒れ込んでしまった。
あれ? と首をかしげるリリィに、俺は頭を掻きながら、こっそり教えてあげた。
「タウンに戻れば、プレイヤーのHPや異常状態は自動回復するんだよ、リリィ」
「……あ、そうだっけ」
「『そうだっけ』、じゃないのよぉぉぉ!
あんた、これでプレイすんの何回目だっつーの!」
アサが地面をごつごつと拳で叩きながら、叫ぶ。
リリィが、しばらく考え込むように空を見上げた後に、ぱぁっと花を咲かせたような笑顔で、
「きっと五回目くらいじゃないかな?」
と、あっさり答えた。
アサはがっくりと肩を落とし、またもや地面に倒れた。
俺はそのアサのリアクションに、またもや「くっ」と吹きだした。
次第に腹を抱えて笑い声を立てた俺の横で、同調するかのように、リリィもくすくすと笑いだした。
しばらく頬を膨らませてこちらを睨みつけていたアサも、観念したかのように苦笑し、やがて笑いの輪に加わった。
三人分の笑い声が、夕暮れに染まる煉瓦の街に響き渡ったかのように思えた。
※
ぴこん。
アサの方角から、軽い電子音が聞こえてきた。メールの着信音。
同時にアサが、「うわっ」と叫びながら立ち上がった。
「いっけない……! ギルドメンバーからだ!
ギルドの集会に遅れちゃう!」
「? ギルド?」
あわあわと慌てだすアサ。その様子を見たリリィが、またもや首を傾げた。
俺は、またもやこっそりと教えてやる。
「ギルドってのは、まぁ……。『集団』、て感じかな。
同じような目的を持った奴らが一つの集団を作って、そこでいろいろ交流したりするんだ」
ふーん、と頷くリリィ。俺は、アサに問いかけた。
「そういや、アサってギルドに入ってたんだな」
「入ってるよ、当たり前じゃん! オンラインゲームの基本でしょう?」
「何のギルド?」
胸を逸らしながら、へへん、とアサが答えた。
「ギルド、『ラヴあんどピース♪』よ。
ただ単に、雑談目的な仲間が集まって、お喋りするギルド。
結構人気のあるとこで、ギルド加入数はランキング百位以内に入る程なんだから! すごいでしょ!」
へぇ、と俺は呟いた。そういう平和目的のギルドは、あまり聞いたことがない。
結構、モンスター退治や難しい討伐依頼をこなすためのギルドが多いような印象があったが、そういう穏やかなギルドもあるもんだな、と一人感心する。
「……てか、リュウは入ってないの?」
目を丸くしながら問いかけてくるアサに、俺は肩をすくめた。
「入ってない。面倒臭いし」
「ちょ……なにそれ。
『面倒臭い』ていう理由、一番損してるよ」
びしっと人差し指を向けながら言い放ったアサに、俺は苦笑した。
「まぁ、面白そうとは思うけどさ……。なんか乗る気になれなくて。
てか、早く行かなきゃいけないんじゃないか?」
「あ、そうだった!」
アサは、くるりと俺たちに背を向けた。そして、手を振りながら言った。
「じゃね。また依頼やる時は、いつでも誘ってくれていいからさっ」
そう言い残すと、ワープ装置のある方角へ向かって、アサは走っていった。
全てのプレイヤーが通過するワープ広場は、ここから西の方角にある。
長い橋で隔離されているそのワープ装置から、プレイヤーは各ダンジョンやタウンに移動できる仕組みだ。
俺は、走り去っていく小さな浴衣姿の弓矢使いを見送る。それは数秒もしないうちに、混雑するプレイヤーの波に飲まれ、忽然と消えていってしまった。
はぁ、とため息を吐き出しながら腰に手をあてたら、苦笑も漏れた。
「とか言って、いっつもアサの方から突っ込んでくるんじゃないか」
「でも、なんだかすっごく輝いてるよね。アサちゃん」
隣でリリィが、ふわりとほほ笑んだ。
「……だよな。
アサのやつ、リアルでもああいう風に振る舞えばいいのに……」
そう呟いてから、俺はリリィへ顔を向けた。
「んで、そろそろこのゲームには慣れたか?」
「うん。リュウ君や、アサちゃんのおかげで」
大きな笑顔で頷いた。さらりと揺れた髪が、俺の腕にかかる。
こそばゆい感触に、俺の心臓がどきっと跳ね上がる。照れ隠しのように、あはは、と笑った。
――そういや、こんなふうにリリィと二人っきりなのも、久しぶりなのかもしれない。
何故かいっつも、アサが乱入してきたから。
そう意識しだすと、何を話せばいいのか分からなくなる。
頭を掻きながら、地面の煉瓦を見つめる。
その境目を意味もなく目で追っていたら、いつしかぐるぐると頭の中が回りだした。
……ヤバい。俺、めっちゃ動揺してるじゃないか。
しばらくして、隣から大きく息を吸い込む音が、聞こえた。
「――すごいよね」
と、小さく呟くリリィ。
俺は咄嗟に顔を上げた。
「……え?」
「あ、いや」リリィがハッと気付いた様子で、躊躇いがちにはにかんだ。「ホントにこのゲーム、すごいよなぁ……って」
「え、うん……。まぁ、すごいよな」俺は、頷いておく。
「だってさ、ここの空気をちゃんと感じることも出来るし、ちゃんとここに立ってるんだ! て感じもするし。
凄い、よねぇ」
「ああ……。ホント、最先端の技術、だよな」
俺はそう呟き、あの巨大モンスターと戦う前の時みたいに、自分の手を握ったり開いたりしてみた。
オンラインネットゲーム、「Real World in Online」――通称、『ワールド』。
専用のヘッドホン上部に設置された小型コンピュータが、脳内の電気信号を残らず把握してその意味を分析し、それら全てを行動に反映させてくれている。
それは視覚・聴覚だけではなく、味覚・触角・嗅覚の五感、全てに及ぶ。
そのおかげで、俺たちプレイヤーは、本当にその世界にいるような感覚を、味わうことが出来ているんだ。
その間、現実の身体は眠りに近い状態となっている。
だから、意識は丸ごと、『ワールド』へと投げ飛ばされるのだ。
そんなことを思いながら、ふと静かになったリリィを見た。
その顔から、笑顔が消えていた。何故か、悲しそうに目を伏せている。
思わぬ事態に、俺は戸惑った。
どうしたんだろう。
何か俺、変なこと言ったか……?
やがて、その哀愁を帯びたような瞳は、俺を捕えてきた。
驚く表情のまま固まる俺の姿を映し出すその瞳は、少しだけ濡れているように見えた。
心臓が、どくっと跳ねた。
「……ねぇ、リュウ君」
その問いかけるピンク色の唇が、ゆっくりと動き出す。
「なんでリュウ君は、この『世界』をプレイしているの?」
「――え?」
思わぬ質問に、息が詰まった。
リリィの悲しげな視線は、真っ直ぐに俺を貫いていて、まさに真剣そのものだった。
そんな視線からわずかに目を逸らし、俺はどくどくと唸り始めた心臓を抑え込みながら、考えた。
なんで、俺はこの『世界』を、プレイしているのか……?
なんで――
「――ううん、ごめん。やっぱり何でもない」
リリィが頭を振りながら、明るい声で言った。
この場に張り詰めた緊張がほぐれた気がした。俺は拍子抜けしたかのように肩の力を抜かしてしまう。
見れば、リリィの瞳は、いつものような明るい色に戻っていた。
そして、えへへ、とはにかみながら言った。
「ごめんね、なんか変な質問しちゃったね。
あ、私、そろそろログアウトしないと。夕飯の支度、手伝わなきゃ」
その言葉でふと気づき、俺は頭の中で、リアルタイムのデジタル時計を確認した。
<PM.19:31>。
いけない。俺は頭を掻いた。
「時間のこと、すっかり忘れてた。……そろそろヤバいかもな」
「夢中になっちゃうと、つい忘れちゃうよね」
ふふ、とほほ笑むリリィ。そこにはいつものように、可憐な花を漂わせている。
俺は気が緩むのと同時に、頬も緩むのを感じた。
俺たちプレイヤーには、『ワールド』に居られる限度時間が設けられていた。
――四時間。
身体と脳の影響を考えられた、プレイ最長時間が、その数字だ。
ちなみに残り数分程前になれば、警告音が鳴りだし、強制ログアウトの時間が迫っていることを、知らせてくれる仕組みになっている。
「それじゃあ、また明日。
学校で会おうね、リュウ君」
「あ、ああ。また」
笑顔で手を振ったお花畑の魔導師は、アサと同じように、ワープ装置に向かって走っていく。
俺は、いつまでも馬鹿みたいに手を振り返して、その姿を見送った。
小さなスカートをひらりと揺らしながら駆けていくその背中は、すぐに多くのプレイヤーに紛れ、溶け込んでいってしまった。




