Log.3 いつもの、お約束パターン
今や、全世界的に有名となったVRMMO、『Real World in Online』。
世界の人口の約一割はこのゲームをプレイしていると噂されるほどであり、その名を知らない者は、ほぼいない。
発祥はここ、日本。
この地で発売された三年前に、爆発的に売れたそれは、瞬く間に世界中へ広がっていった。
社会問題にも発展するほどの勢いで、世論では身体の影響やらなんやら問題視する声が上がったけれど、今ではそれも落ち着いている。
その世界――『ワールド』で、プレイヤーたちは思い思いに、与えられた世界を旅することが出来る。
依頼という、所謂クエストをこなして報酬を手に入れて楽しんだり、単純にモンスター狩りしてレベル上げをしたり、オンラインで知り合ったプレイヤーと雑談したり。
オンラインゲームには、もちろん全体を通してのクリア条件、つまりエンディングなんて存在しない。
だから、それぞれのプレイヤーは各々自由に行動しているわけであって――
手元にある電子ペンシルをくるくると回しながら、俺は机の上に置かれた電子パッドの画面を見つめた。
そこには長ったらしい英文がつらつらと書き連ねられてあって、それを意味もなく目で追っていく。
俺の全意識は、昨日のリリィが放った言葉に向けられていた。
"なんでリュウ君は、この『世界』をプレイしているの?"
「……そりゃ、ファンタジーの世界に身を置けて楽しい、とか。
剣振りまわせてモンスター倒せて爽快だ、とか」
俺が考え付く限り、そんな単純なことしか浮かんでこない。
そもそも、そんなこと深く考えたことなんてない。
まぁ、ゲームなんて、プレイヤーに単純に楽しんでもらうために、存在しているようなもんだし。
でもきっと、リリィにとっては、そんな単純なものではないのかもしれない、と思った。
なにかこう、『ワールド』に思い入れがある、みたいな。
もっと深くて、複雑で、深層心理の深くまで突いた――
「もっと、心の奥深くにあるような理由が……」
「――理由が、分かったのか?」
突如、頭の上から声が振ってきた。俺は思わず飛び上がった。
その弾みで、机の裏に思いっきり膝小僧を強打。がつんと鈍い音が響く。呻きながら、両手でそこをさすった。
教室内の俺の周辺にだけ、くすくすと笑い声が広がっていく。
「おい、何やってるんだ。松原」
「あ、いや……すみません」
声を掛けてきた主――先生は、電子パッドを片手に持ち、もう片手で濃い髭を撫でてこちらを見下ろしてくる。俺は咄嗟に、苦笑いを送った。
大きなため息を吐き出してから、先生は俺の電子パッドを指差しながら、言った。
「ほら、この英文のこの問いかけの理由が分かったんだろ?
答えてみろ、松原」
「え」
――しまった。
リリィの問いかけを考えていることに夢中になっていて、授業の内容を全く頭に入れてなかった。
俺は慌てて、先生が指定した部分の英文を読みこむ。必死に単語を追い、意味を理解していく。
えっと、これはこうでこうだから――
持っていた電子ペンシルで、パッドに表示されている英文の該当箇所に、線を引いていった。
「えと……つまり、"――――――――"って、ことですか」
「うむ。まぁ、そういうことだな」髭をさすりながら、先生が頷いた。「だがな、松原。お前、答えが分かったんなら、挙手して発言しないと駄目だろう?」
「あ、はい……すみません」
俺を見下ろした後、先生はもう一度ため息をついた。そして、俺が答えた英文を読みながら、教室内を徘徊していった。
取りあえず、なんとか危機を脱出出来た。机に頬杖をつきながら、ほっと胸をなでおろす。そして、窓側の一番前の席へと、視線をやった。
すると、こちらに顔を向けながら、後ろで一括りにした髪を揺らしながらにこりと笑いかける、女子の姿が見えた。
俺は慌てて視線を逸らし、窓の外を見る振りをした。
窓の外には、瑞々しい葉を盛り込んだ木々が、寄り添って立っている。強靭な太陽光線に耐えながら、時折吹きつける風にさわりと嬉しそうに音をたてていた。
その空には、梅雨があけて嬉しいと言わんばかりに、色鮮やかな蒼が広がっていた。
※
終わりを告げる鐘の音が鳴り響き、ようやく本日最後の授業であるリーディングが、幕を閉じる。
英語の先生が立ち去ると同時に担任が教室内に入り、用件だけさっさと伝えると「それではまた明日」と言って、そのまま出ていってしまった。
まぁ、帰りのホームルームなんて、大概そんなもんだ。
それから教室内は、一斉にざわめきだす。クラスメイトたちはそれぞれの電子パッドを鞄に仕舞いこみながら、帰り支度を始めていく。
「なぁなぁ! この後、家帰ったら『ワールド』やろうぜ。一緒にレベル上げの旅しよーぜぇ」
「えー、やっだぁ。美紀ったら、まだレベル二十なの? もう何年やってるのよって話じゃん? うけるぅ」
「もうすぐ隠されたイベントがあるっぽいな。俺、ちょっと参加してみようかなぁと思うんだぁ」
「あー、駄目だ。頭ん中攻略のことでいっぱいだぁ!」
いつものごとく溢れかえる、『ワールド』関連の話題。
このクラスでも、男女関係なくざっと八割ぐらいが『ワールド』をプレイしているだろう。
クラス替えの時から今まで、『ワールド』を通じて友達になったり、グループを作ったりしているやつらが、ほぼ大勢だからだ。
そう考えると、本当に『ワールド』の影響力は凄まじい。これが全世界規模なのだから、想像してみるとなんだか恐ろしくも感じてしまう。
そんな会話の渦の中で、今日一日の疲れを吐き出すように、俺はため息をついた。なんだか、色々と考え過ぎた気がする。
電子パッドの電源を切る。ぷつんと、そいつの画面が黒くなった時だった。
「――龍介君」
顔を上げると、そこには先ほど笑いかけてくれた女子が立っていた。
またもや跳ね上がる心臓。俺はそれに気付かぬふりをしながら、よう、とさりげなく手を上げた。
「昨日はお疲れ、藤川」
「うん、お疲れ様」
黒く流れる長い髪をさらりと揺らしながら、藤川は手を後ろに組んで笑った。
「二時間も格闘してたんだよね。今考えると、よく頑張ったなぁって思うよ」
その、笑顔で辺りに花が漂う感じは、『ワールド』上でも――リリィの時も一緒だ。
ただ一つ、ゲームと違うのは、今は縛られていない髪から淡いシャンプーの香りが漂ってくることだった。
くすぐられるようなその香りにどきまぎしながら、俺もなんとか、笑い返した。
「龍介君は、これから部活?」
「ああ。まぁ……、そうかな」
教室の真正面にある、真っ白な電子黒板の横に設置されているデジタル時計を見ながら、言った。
部活の集合時間までは、まだちょっと余裕がありそうだ。
「すごいね。バスケ部って、すごく大変そう」
「まぁ……練習とか、結構きつい、かな」
デジタル時計の下で、何やら楽しそうに話している数人の集団を眺めながら、ははは、と苦笑を洩らした。
すると、視界が急にセーラー服で遮られた。「ねぇ」と問いかけてきた藤川に、俺は驚いて身を引いてしまった。
それを意に介していないかのように、藤川ははにかみながら言った。
「明日もまた、『ワールド』のご指導、してもらっても良い?」
「あ、ああ!
それは、もちろん良いぜ」
慌てて頭を振ったら、こくこくと二回も頷いていた。
そんな馬鹿みたいな俺に、藤川はくすりと静かに笑った。
「ありがとう。龍介君。
――私、早くあの世界に慣れたいんだ」
急に、声のトーンが落ちた。
藤川は、遠い目をして窓の外を眺めていた。
その姿に、俺は思わず、ハッとした。
まるで、少し触れただけでも壊れてしまいそうな、危うい陶器のようで。
危ういが故に、そこから放たれる独特な静謐さに見惚れてしまった俺は、途端に動けなくなる。
しばらくして、藤川はハッと我に返った。そして、誤魔化すように、えへへ、と笑って両手を左右に振った。
「あ、なんでもないよ。
ただ、早く慣れて、もっと世界を遊び尽したいなって思っただけ。
ごめんね邪魔して。もう、部活の時間だよね。
それじゃあ」
藤川は、慌てたように、くるりと俺に背を向け、教室の外へと出ていこうとする。
その時、藤川から、ひらりと何かが床に落ちた。
小さくて黒い輪っか。髪を結ぶゴムだった。
俺は咄嗟に、おい、と呼びかけ、その腕を掴んだ。
くい、と身体が前のめりになり、そこでようやく気付いたように、藤川が目を丸くしながら振り向いた。
強く引っ張った覚えはなかったのだが、俺は急いで謝りつつ、落ちたゴムを差し出した。
「これ、藤川の……?」
「あ……、ありがとう」
藤川は一瞬だけ困惑した表情を浮かべたが、すぐににこりと笑いかけ、そのまま教室を去っていった。
まるで逃げるようなその背中を、俺は立ち尽くしながら見送っていた。
なんだったのだろう。
あの、藤川の様子は。
そういえば、昨日の『ワールド』の中でも、同じような様子だったな。
……何か、あるのか?
と、俺が物思いに耽って居た時だった。
肩に、ぽんと、誰かの手が置かれた。
振りかえると、いつの間にか教室に舞い戻っていた担任が、立っていた。
「ちょっとキミ。教室掃除の人手足りないんだ。手伝って」
「……はい?」
※
「やば。掃除が長引きすぎたっ」
鞄を肩に下げ、階段を勢いよく降りていく。
慌てて腕時計を確認する。午後三時四十分。
結局担任からの申し出に断れなかった俺は、さっさと掃除を済ませようとしたものの、他の奴らが立ち話して邪魔するせいで上手くいかず、時間がかかってしまった。
「くそ……、なんでこうなるんだよ……!」
悪態を吐いても、時間は戻ってくれない。階段を駆け下りながら、唇を噛みしめた。
――すぐに断れない性格は、やっぱり損だ。
第一校舎を抜け、体育館へとつづく外廊下へと出た時だった。
「お。松原クンじゃないかぁ」
俺は慌てて、辺りを見渡した。
声の主は、体育館の入り口に立っていた。
咄嗟に、唇を一文字に結んだ。
ゆっくりと、その人物は、こちらに近づいてくる。
「なんだ? 今日は遅れ気味なのなぁ」
整った顔の横で、派手なピアスが光を放つのが見えた。
にやりと曲がる口元から覗く、所々にある銀歯も、不気味に光りだす。
バスケ部の一つ上の先輩――野村先輩だった。
「あ、す、すみません。
ちょっと、帰りのホームルームが長引いて、掃除も手伝ってた、というか」
言葉が、上手く出てこなかった。
部活のミーティングは、三時半から始まる。
俺は、そのミーティングが始まる十分前に体育館に行き、準備をしなければならない。
それが、俺に課せられた命令だから。
いいよいいよ気にすんなよ、と豪快に笑いながら、先輩は俺の肩をポンポンと叩いた。
「まぁ、たまにゃあ遅れたっていいんじゃなーい?
本当なら一年がやんなきゃならんのに、あいつらサボってばっかだしよぉ。
あ。毎回俺が頼んでおいてこんなこと言うのもアレだけど、松原クンには悪いと思ってんのよぉ。
でも、いっつも文句言わずやってくれるっしょ? マジ感謝してるわー」
「……いや、そんな」
先輩の顔面からこれでもかと滲みでるニタニタ笑いから視線を外し、俺は苦笑いで答えた。
ふと、野村先輩の背後で、同じようにこちらを見てくる部活の先輩たちが見えた。いつも野村先輩の傍にいる人たちだ。その表情は見えなかった。見なかった。
途端、何か苦いものが、食堂を伝って喉にこみ上げてくる。
「あ、ところで」先輩は何か思いついたように、ポンと両手を合わせて言った。「松原クン、今いくら持ってる?」
「金、ですか」
「そそ」
今朝、コンビニで昼飯用のパンを二つ買った記憶が蘇る。
千円出したお釣りで、確か七百円貰った筈だ。
そう伝えようとした口の動きが、ぴたりと止まる。
ここで俺は嘘をつき、「金なんてもってないです」と押し返す選択肢も、選べる筈だ。――いや、むしろそうするべきかもしれない。
こういう場面に出くわす度に、俺は何度もそのことを考える。
ここで、言い返すことが出来れば――
ぐ、と拳に力を入れた。
「……七百円、ぐらいです」
けれど、出て来た言葉は、嘘をつかなかった。
「マジで? 良かったわー」
野村先輩は更ににっこりと大きな笑みを見せ、再び俺の肩に両手を乗せた。
その顔を近づけてくる。にんにくのような匂いが鼻をつく。しかめそうになる顔を、必死で保つ。
「実はさぁ、お願いがあって。自販機でジュース四つ、買ってきてくんないかなぁ。いつものヤツね。
もちろん、金は後で返すよ。今までの分も含めて、ね。
だから頼むよ。こういうこと、松原クンしか頼む人いなくてよぉ」
パン、と掌を合わせ、先輩は小声で言う。
だが、その声はとても低く、何か牽制するような含みがあった。
監視するようなきつい視線で、じっとりと俺を捕えながら。
いつもの、お約束パターンだ。
こうなるともう、俺に選択の余地はなくなる。
俺は顔を上げ、こみ上げて来る何かを必死で飲み込みながら、苦笑交じりに答えた。
「――もちろん、良いですよ」
途端に、先輩の口はひん曲がった。人は、時にこんなにも口元が歪むのかと、驚くくらいに。
「マジマジ? 松原クン優しいな、やっぱり!」
先輩が後ろを振り向いた。そこに控えている先輩たちへむかって、オーケーの合図でもしているのだろう。
「そんじゃ、頼んだ! あ、なるべく早く頼むぜ」
先輩は大げさに手をひらひらと振りながら、後方で控えている先輩たちの元へと駆け寄っていき、そのまま体育館の中へと消えていった。
俺は財布を取り出し、中身を見た。百円玉が五つ、冷たい光を放っていた。
あぁ、そうか。七百円のお釣りもらったのは、一昨日の話だったっけ、と今更のように思いだす。
馬鹿みたいだな、と自分でも呆れてくる。
俺は自販機に向かう為、踵を返した。
ここからは距離があるから、きっと帰ってくる頃には、ミーティングが終わっているのかもしれない。
――まぁ、いいさ。どーせ、俺が居ようが居まいが、関係ないのだから。
と、そんなことを考えている自分自身に気付き、腹の底から嫌気が湧いてきた。
唇を、きつく一文字に結んだ。
俺は、いつまでこんなことを、続けるつもりなんだろうか。




