Log.1 ダンジョン→天空に浮かぶ孤高の高原
辺りを見渡せば、そこはどう見たって立派な草原だった。
空には、突き抜けるような真っ青な空。その真ん中には、肌を焼けつくさんとばかりに輝くまん丸な太陽。
強烈なその光の恵みを、大地に広がる一面の緑の草たちが受け止めていた。風が吹くと、さわりと音を立てる。
俺は手を翳しながら太陽を見上げた。すると頬から一滴の汗が流れた。思わず呟く。
「……あつ……」
「て、ちょっと何してんの、リュウ!」
ハッと我に返り、声のした方へ顔を向けた瞬間、頭のてっぺんに強い衝撃が走った。
「ってぇ! お、おい、いきなり何すんだよアサ!」
俺は慌てて頭を抱え、げんこつを繰り出してきた隣の人物から一歩距離を取った。
その人物――アサは、ふん、と大きく鼻を鳴らした。頭の両側にくくりつけられたツインテールが、ぴょんと跳ねる。
「なんか別のこと、考えてたでしょ!
今は、あのモンスターをなんとかすることだけ考えてよ!」
「ちょ……だからって殴ることないだろ! マジで痛いんだぞ!」
「んなこと知ってるってば! あたしも殴った手が痛いんだからさぁ!」
頭を押さえながら主張する俺に、手をブラブラ振りながら反論するアサ。一緒に、その振袖も揺れる。
アサが身にまとっている花柄の浴衣は、本人お気に入りのデザインらしい。赤が基調になっているその花柄浴衣を、俺は睨みつけた。
にしても、たかがゲーム世界だってのに、こういう"痛み"もリアルに体感する必要などあるのか?
と、こういう時に限って思ってみたりする。
「……ねぇねぇ」
俺たちの間から、別の声が飛んできた。同時にそちらを見た。
その声の主は、えへへ、と微笑みながら言った。
「なんなら私も叩いてよ、アサちゃん」
「ちょっ! 何言ってんのよ、リリィ!」
次の瞬間、アサは反射的にか、ぽこんとリリィの頭をげんこつで叩いていた。
叩かれたプレイヤーが――リリィが頭部をさすりながら、無邪気に笑った。
栗色の長い髪が、さらりと揺れる。
そして、
「ホントだ、痛いね!」
と、元気よく言った。面喰ったように、口をぽかんと開けるアサ。
その様子がなんだか可笑しくて、俺は思わず吹きだした。リリィも同じように、くすくすと笑った。
殴った本人は、少し罰が悪そうに目を伏せつつも、「もう、からかわないで!」と頬を膨らませながら明後日の方角へ顔をそらした。
そんな俺たちのやり取りを笑うように、頭上に広がっていた葉っぱたちがさわりと音を立てた。
一面に緑の受け皿が広がるこのダンジョンに存在する唯一の障害物といえば、俺たちの側にあるこの巨大な樹だけだ。
そいつはこの高原の中央で、まるでここの主であると主張しているように堂々と立っていた。
幹の直径は一メートルを軽く超え、高さは十五メートルほどか。精一杯上へと首を巡らしても、その天辺は見えなかった。
俺たちは今、この巨大な樹に身を寄せている。
およそ十メートル先に、今回の討伐依頼の目標であるモンスターがウロウロと徘徊していて、そいつから身を隠す為だった。
「……まぁ、とにかくアレをどうするか考えなきゃな」
頭を戦闘モードに切り替え、樹の陰から改めて標的を伺う。
モンスターの高さは、恐らくこの樹の半分ほどだろう。人型の姿をしたそいつは、がっちりと美しい肉体に仕立てられている。先ほどからひっきりなしに頭を左右に振り、鋭く光る目をあちこちと忙しなく往復させていた。
片手には、そいつの身体と同じ大きさのごつい金棒。そこにびっしりと生える大きな針がぎらぎらと光っている。全くもって目に痛い。
モンスターが太くて短い脚を一歩一歩動かす度、どすんという地響きが鳴る。その振動が地面を伝って足の裏に伝わってきた。
「まさに、"依頼文"にあった『巨大なモンスター』って感じだよね」
俺と同じように、樹の陰から標的を伺っていたリリィがぼそりと言った。
――それと、中身もな。心の中で付け加えた。
先ほど特定のアイテムを使ってそいつのレベルを調べたら、なんと八十もあったのだ。
ちなみにこちらのレベルは、俺が五十二。アサが四十。リリィが十二。
ということは、だ。
あいつとは少なくとも、二十八ものレベル差があることになる。
「そんだけレベルが離れてると、どうも強行突破しずらいな……」
ふと呟くと、隣にいたリリィがポンと手を叩いた。
「でも、私たちのレベル全員足したら、百十四もあるよ!」
「いや、リリィ。その足し算なんの意味もないからね?」アサが即突っ込んだ。
とにかく、どうするか。
少しずつダメージを与えながら回避しまくる戦法も考えた。だが、ここのダンジョン構図がそれを許さないだろう。なんせ身を隠せるものなんてこの樹しかないから、死角が少なすぎる。
……いいや、ここは。
今までの思考を振り払うように、俺は頭を振った。
ここは――
「ここはもういっそ、あたしらお決まりの戦法で行くしかないんじゃない?」
アサが、持ち前の武器――弓矢を構えながら言った。「その方が、やりやすいと思うし」
「うん、そうだね!」
リリィも、いつの間にか愛用の長い杖を手にしながらにこりと微笑んだ。「私、なるべく頑張ってサポートするよ」
「……そうだな」
こくり、と俺は頷いた。
改めてモンスターを伺う。こちらに背を向けていた。今なら、不意をつく絶好のチャンスだろう。
よし、と俺は手を打った。
「そうと決まれば、いっちょやるか」
「うん、頑張ろうね!」リリィが少し緊張気味に、ガッツポーズをした。
「こっちはいつでも準備完了!」アサが親指を立てた。
俺は二人に目配せをした後、頭の中で自分の愛用武器を握り締めるイメージを描いた。すると右手が光り出す。すぐさま力を込めた。自分の武器――剣が出現した。
このゲーム、『ワールド』では、持っているアイテムなどをイメージすれば出現してくる仕組みとなっているから、便利だ。
俺は剣の柄をしっかりと右手で握りしめて一薙ぎし、その感覚を確かめる。
……よし。
「――行くぜっ!」
俺が叫んだのを合図に、三人一斉に樹から飛び出し、標的目掛けて走り出した。
相手モンスターの背中が、ぐんぐん迫ってくる。
※
半分ほど距離を縮めた時だった。
巨大モンスターはぴくりと反応し、くるりとこちらへ身体を向けてきた。その険しく鋭い視線が、俺たちを突き刺す。
こちらも負けじと睨みつけながら、モンスターとの距離を詰めていく。左手には、俺と同じ速度で駆けるアサ。
背後で強い光が発せられた。リリィが俺たちへ掛ける補助魔法を詠唱し始めるのが聞こえた。
「リュウ、来るよっ」
相手まであと数メートルといった地点。
巨大モンスターは突如呻きながら、金棒を大きく振り上げてきた。
それが地面に激突する前に、俺は右側へ、アサは左側へと飛びのく。
――ずぅん。
金棒が、地面に思い切りめり込んだ。重い振動が胃にずっしりと響いてくる。辺りに砂埃が舞う。思わずよろけた。
そいつは、金棒を両手で握りしめて固まったまま俺の方を睨みつけてきた。
「はああぁっっ」
すかさずそいつの足元へと急接近。剣を横薙ぎした。
『1hit』の文字。その上に『106』と控えめな数字が、目の前に小さく表示される。
俺はすぐに頭の中で、相手のHP状況を知らせるウインドウを表示させるよう念じる。
視界の左上隅に小さなウインドウが現れた。
HPの欄には、「99894/100000」。
十万のうちの、マイナス百六。ちっ、と舌打ちした。全然効いていない。
取りあえず、モンスターから距離を取ろうと足を踏み出した瞬間。巨大モンスターが、上空に向かって大きく吠えた。
同時に、金棒を勢いよく地面から引っこ抜いた。ヤバい。とっさに危険を感じた。瞬時に後ろへ飛びのく。
モンスターは金棒を大きく横振りした。ひゅん。空気を切り裂く音が耳元で鳴った。強い風圧に吹き飛ばされそうになるが、なんとか踏ん張った。
「これでも喰らえぇぇぇ!」
モンスターを挟んだ向かい側から、アサの怒声が聞こえてきた。
瞬間、モンスターがピクリと動きを止めた。急いで相手ステータスを確認する。
状態異常の欄で、髑髏の形をしたアイコンが小さく光っている。
『毒』―― 一定時間、体力が自動的に削られていくステータス異常。
「やった! 見た、見た!? 一発で成功したでしょ!」
「油断するなって! まだ来る!」
忠告すると、モンスターはまたもや上空へ向かって大きく吠えた。今度は金棒をめいっぱい上空に掲げる。
モンスターを中心に、半径一メートルの地面が緑色に光りだす。
……しまった!
そう思った時には既に遅かった。一瞬にして視界は大きく回転。
ふわりと身体が浮く感覚。思わず目をつぶる。遠くでリリィの叫ぶ声が聞こえた。
しばらくしてからどすんと背中から大きな痛みを感じて、呻いた。
一呼吸置いてからゆっくりと目を開けた。一面の青があった。あの突き抜けるような空が、眼前に広がっている。
強く鼻を突く土と草の匂いに顔をしかめながら、俺は頭の中で念じた。瞬時に視界の下に二つのウインドウが現れる。そこに表示されている自分のHPとアサのHPが、赤色に点滅していた。くそっ、と心の中で毒づいた。やっぱ結構喰らってたか。
この『世界』のプレイヤーの体力は、相手から受けた痛みの大きさによって減り具合が変わってくる。
例えば目も開けられないような激痛を感じてしまったら、そのまま視界はブラックアウト。
つまり、『ゲームオーバー』だ。
「――ってぇ」
上半身を起こし、ずきずき痛む背中をさすった。
見ると、モンスターはここから五メートルほど先で、一人金棒を振りまわしながらどすどすと足音を立てていた。
「……くぅ……。初っ端からきついの、やめてよねぇ」
近くで声が聞こえた。隣で同じように倒れ込んでいるアサを見つけた。
「大丈夫か」と声をかけると、「まぁ、なんとかダイジョーブ」とアサは少しだけ顔を引きつらせながら笑った。ほっとして胸をなでおろした。
――あれ。そういやリリィは。
その姿を探そうと左右に視線を走らせた時だった。一瞬にして、身体が柔らかい光に包まれる。
思わず目を細めながらも、表示させていた俺とアサのHPを確認する。一気に満タンになっていた。それと同時に背中の痛みも引いていく。
「リュウくん、アサちゃん。大丈夫?」
背後から声がしたので振り向くと、いつの間にかリリィが側にいた。杖を掲げていた両手を下しながら、心配そうに俺たちを覗き込んでいる。
俺はリリィに笑いかけた。
「サンキュ、リリィ」
リリィが優しく微笑みながら、両手を差し出してきた。その片方ずつに、俺とアサは捕まって立ち上がる。
アサも「サンキュー」と笑った。
「よし。リリィは危ないから、ギリギリまで下がってて」
「うん。無理しないでね」
リリィはこくんと頷き、後方へ向かって走っていった。
地面を見渡す。自分の剣が近くで転がっていた。俺はそれを拾い、しっかりと握りしめた。
すると横から、不機嫌な声が飛んできた。
「ねぇちょっと。どーするよ、これ。普通に考えれば、無理ゲーじゃない?」
アサも、改めて弓矢を装備し直していた。唇を小さく尖らせ、頬をむっつりと膨らませながら。
俺は遠くで一人暴れるモンスターを見ながら、小さくため息をついた。
「確かに、こんだけレベル差があって、あれだけしか攻撃が効かないとなれば、無理ゲーだろうな」
ぐぅぅ、とアサが悔しそうに呻いた。
――でも。
俺は、ぎゅ、と剣の柄を握り締めた。
「でも、やるしかない。
アサは、あの調子でどんどん状態異常仕掛けてって。俺が、あいつの注意をひきつけるから」
しばらく俺を見遣ってから、アサは、にかり、と笑った。
「……うん、分かった。
ま、出来うる限りやっちゃいましょうか」
アサは、ぐっ、と勢いよくガッツポーズを作った後に、その左手を真っ直ぐに天に伸ばした。掌から小さな光が放たれ、新たな矢が生まれる。アサはがっちりとそれを掴んだ。
俺も剣を大きく一薙ぎしながら、後方に向かって叫んだ。
「リリィ! とにかく、絶えず回復と補助魔法を頼んだぞ!」
「うん、分かった!」
威勢のいい返事と共に、強い光が発せられた。
俺はもう一度、標的を睨みつける。
毒を食らっているという様子も見せずに、そいつは相変わらず、ドシドシと足踏みをしている。
――待ってろ。
そんなに退屈なら、相手にしてやるよ。
「いくぞっ」
「オーケー!」
合図とともに、俺とアサは、同時に駆けだしていった。




