日ノ本覚醒
それからの動きは早かった。阿部正弘との密約からわずか数日後。
幕府から前代未聞の上意(内旨)が下された。
——【島津斉彬を『日ノ本公儀技術総括』に任じ、全国の殖産興業および軍事技術の指導を一任する】——
幕府の老害どもは「外様大名に全権を渡すなど!」と血相を変えて猛反対したが、阿部が「ならば、品川沖の薩摩船に並ぶ軍艦を幕府自前で作れるのだな?」と一言言い放つと、全員が沈黙せざるを得なかった。
「——よいか。お前たちが伝えに行くのは、単なる螺子の削り方ではない。この国を異国の脅威から護るための『術』だ」
斉彬の命を受け、0.01ミリの精度を身体に叩き込まれた集成館の薩摩職人たちが、図面と試作の旋盤を手に全国各地へ派遣された。
【武州・江戸の町工場】
「てやんでぇ! 薩摩の職人がなぁにを偉そうに……職人の勘を数字で測れるかってんだ!」
「……能書きはいい。江戸の旦那、あんたが今、手に持った雄螺子に、この箱の中の大量の雌螺子。どれでもいいから一つ選んで嵌めてみな」
「けっ、嵌まるわけが……な……!?」
無造作に選んだ一対がするすると滑らかに噛み合い、一切の隙間なくするりと締め合わさる。職人が誰だろうと、何処で作ろうと、寸法が同じなら噛み合う。
長年勘だけに頼ってきた江戸の頑固な鍛冶屋たちは、その圧倒的な精度の前に言葉を失った。
【長州・萩の鋳造所】
「長州の鉄は日ノ本一! 薩摩の手など借りずと
「ではせめて、この銃身をご覧いただきたい」
薩摩の職人が差し出した筒を、長州の技術者たちは訝しげに覗き込む。
内側が鏡のように研磨され、狂いなく螺旋状の溝が刻み込まれた鋼鉄の筒。
「そんな馬鹿な!!鋳造ではない、鍛造の鋼をここまで精密に削り出すなど……我が藩の大砲が、子ども騙しに見えるではないか……!」
呆然とする長州の技術者に、薩摩の職人はにやりと笑ってみせた。
「斉彬様は仰りました。『長州の意地が本物なら、この図面を見せれば死ぬ気で喰らいついてくるはずだ』とね」
薩摩の職人は『みり規格』の図面を作業台に叩き付けた。
「さあ、どうします? 薩摩に遅れをとったまま指をくわえて待つか、死ぬ気でこの技を盗み出すか」
「……ぬぐぐっ! 誰が指をくわえて待つか! おい!すぐに全員を集めろ!! 薩摩の鼻をあかしてやるぞ!!」
職人たちの意地のぶつかり合いは、やがて巨大な熱量となって全国へ波及した。
大阪で精密なシリンダーが削り出され、江戸で標準規格の雄螺子・雌螺子が量産され、長州や水戸で最新の銃身が鋳造される。
欧米が半世紀をかけて築き上げた産業革命の基盤が、斉彬の「規格化」と職人たちの執念により、わずか1年足らずで日本全土の血肉となって浸透していったのだ。
斉彬が主導する最大の国家事業も、爆速で進行していた。
陸上輸送の要となる【電気電車】の開発である。
当時、欧米で実用化されていたのは、黒煙を撒き散らし、水を補給しながら走る「蒸気機関車」であった。アメリカが誇る大型蒸気機関車ですら、時速は40キロ程度。
だが、斉彬が見据えていたのは、その一歩先をゆく「電動力」であった。
集成館の巨大水車による水力発電と、高純度の銅線を巻き上げた「大型高出力電動機」そして全土から集められた超精密な歯車と車軸。
それらが組み合わさり、品川~横浜間、さらには京都~江戸を結ぶ線路の上に、一両の怪物が姿を現した。
鉄骨で補強された流線型の車体。
黒煙を吐く煙突などどこにもなく、架線から電気を取り込む集電装置が屋根に鎮座している。
「発車させよ!」
運転士が取っ手を倒すと、高音とともに、数多の客車を従えた鉄の巨躯が緩やかに加速を始めた。
加速度、静音性、そして登坂力——。
最高時速80キロを超えて滑るように疾走するその姿に、見物人たちは度肝を抜かれた。
「……信じられん。これほどの速度で大勢の人間と物資を運ぶとは」
試乗した阿部正弘は、窓の外を飛ぶように流れる景色に息をのんだ。
「江戸から浦賀、関八州への物資や兵の輸送が、わずかな時間で完了するのか……時代が変わるな」
斉彬は線路の先を見据え応える。
「えぇ。ですが阿部殿、これで驚いてもらっては困ります。
次は通信です。長崎で起きた出来事を、呼吸を突く間もなく江戸城の貴殿の机上に写真付きで届けてみせましょう。更には、異国の言葉を自在に操る若き頭脳も大量に育てねばなりません。
徳川の太平の眠りを醒ますと言ったでしょう? まだまだ、貴殿を寝かせはしませんよ」




