薩摩の廻天独楽
ノギスの導入から城下に響く槌の音は、以前とは明らかに変わっていた。
「殿! ご覧くだされ! 殿の仰られた通り、風圧を上げて温度を極限まで引き上げ、目盛りで厚みを測りながら鍛え上げた鋼にございます!」
西郷が興奮冷めやらぬ様子で差し出してきたのは、一振りの刃物だった。表面には不純物の影ひとつなく、鏡のように美しい光沢を放っている。
「……見事だ。職人たちの腕が、確実に『理』を捉え始めているな」
俺は頷き、その出来栄えを称えた。
職人たちが「数値を測り、理を考えて作る」という基本を身につけた今、次の段階へ進む時だ。
夜、私室にて『等価万有工房』を発動させる。
(能力発動——対価:極上の薩摩切子三器、および金三両。対象:高純度の着色用金属化合物(コバルト・銅粉末)、および化学実験用耐熱ガラス器具一式。さらに余った金属くずを対価に、現代の1/100ミリ精度で作られた金属製コマ一式)
美しい赤切子の盃が消え、ビーカーや試験管、鉱物粉末の小袋、そしてズッシリとした小さな金属製の『コマ』が現れた。
(史実の斉彬も『薩摩切子』の製造と、それに伴う『化学薬品の国産化』に心血を注いだ。紅・紺の美しいガラスを作る技術は、そのまま大砲の着火に使う雷薬や、火薬の精製技術に直結する)
ガラスはただの工芸品ではない。ガラスを極めることは、軍事化学を極めることと同義なのだ。
翌日。俺は西郷らを連れ、城下の硝子工房と鍛冶場へと足を運んだ。
そこでは、職人たちが濁りのない透明なガラスや、美しい『薩摩切子』の色付けに悪戦苦闘していた。
「殿……! お出ましとは知らず!」
平伏する職人たちに、俺は昨夜召喚した耐熱ガラスの試験管と、コバルトの粉末を授けた。
「これを見よ。長崎の商人を通じて手に入れた『着色用の薬』と、異国の理で作られた硝子器だ」
職人たちが息をのんで覗き込む。
現代の理化学用ガラスは、当時の技術では信じられないほど薄く、均一で、熱に強かった。
「お、お館様……! この硝子、底から縁まで一切の歪みがございませぬ! それにこの青い粉末は……!?」
(コバルト化合物であるこの青い粉末——史実では『花紺青』と呼ばれ、長崎でも高値で取引されていた貴重な着色剤だ)
「これは長崎でも滅多に手に入らぬ『花紺青』という異国の青薬だ。これを溶かした硝子に極めて薄く被せ、カット(切子)を施してみよ。これまでにない深い紺碧の色が出せるはずだ。そして」
俺は自作の指導書を開いて見せた。
「ガラスを美しく焼くだけで終わるな。この硝子器を使い、酸や薬品の精製を行え。不純物のない『黒色火薬』や『強酸』を作り出すのだ。美しい切子は薩摩の特産品として売り出し、資金(対価)を稼ぐ。そしてその副産物である化学技術で、我が藩の兵器を強化する!」
「特産品で資金を稼ぎ……その技術で兵器を……」
西郷の目がカッと見開かれた。職人たちも全ては把握できずとも喉を鳴らす。
『美しい工芸品作り』をそのまま『国の防衛のための科学技術』に直結させる思想の凄まじさに、皆の心が震えた。
「それと……。みな、これを見よ」
俺は懐から、一握りの小さな金属製のコマを取り出し、平らな台の上に据えて指で弾いた。
シャーーッ……!
かすかな音を立て、コマはぶれることなく回転し始めた。
あまりにも完璧なバランスで回り続けるコマは、軸のぶれが一切なく、まるで静止しているかのようにピタリと台に吸い付いている。いくら時間が経過しても倒れる気配すらない。
「なっ、何故倒れぬ!?速すぎて止まっておるのか、回っておるのかすら分からぬぞ!」
「殿! これは一体どんなカラクリで……!?」
職人たちが子供のように目を輝かせ、膝をついてコマを覗き込んだ。
「ノギスを使い、中心を『一厘(約0.3mm)』どころか『一毛(約0.03mm)』の狂いもなく削り出せば、コマはこうして倒れず回り続けるのだ。どうだ、面白いだろう?」
「お、面白すぎるに決まっております! なんですかこれは!」
職人の一人が興奮気味に叫ぶ。俺は口角を上げた。
「皆のもの、遊べ。大人が本気で遊んでこそ、技は真に磨かれる。このコマより長く回るものを削り出した者には、褒賞を与えるぞ。それと、吉之助」
「は、はいっ!」
「職人が作り、これと比べれば僅かしか回らぬ代物であっても、その辺の独楽とは比べものにならんだろう。これを『薩摩の精密独楽』として江戸や他藩の富裕層に売り出すぞ。大物大名や豪商どもに売れるはずだ」
「……! 職人の技量を上げる『遊び』が、そのまま我が藩の『新たな財源』に!?」
「吉之助。驚いている暇はないぞ。そろそろ、あの地を動かす時よ」
「あの地……と、申されますと」
「錦江湾に面した『磯』の地だ。鍛冶、硝子、製鉄、そして薬学……これらすべての工場を一箇所に集めた、我が藩の巨大科学拠点——『集成館』を建設する!」
「し、集成館……!」
「そうだ。これまで職人たちが培った技術を結集させるのだ」




