第四話
「お恥ずかしいですが、資料を広げられるような場所はここくらいしかありませんので……こちらへ、お掛けください。お茶を淹れて参ります」
二つ目の書庫として使っている、元応接間へと二人を案内する。人が来る予定の無い一人暮らしに、応接間は必要無いと思って、本棚に使えそうな棚を片っ端からここに運び込んだ。ソファとテーブルは閲覧席として使っているから、応接間の面影も残っている。
「使用人はいないのでしょう? 飲み物、あとは菓子を適当に持って来ました。フィーネさんも、こちらでよろしければどうぞ」
ジュリアン様がテーブルに瓶入りの飲み物と、紙袋を次々と出す。紙袋の中は、音の感じからクッキーだろうか。荷物が多いと思ったら、そのほとんどは手土産だったのだ。発言は無神経だけれど、悪い人ではないのかもしれない。
「……ありがとうございます。外に行けないので、お構いもできず、申し訳ありません」
送られて来る物資に頼っているので、飲み物でも食料でも、突然消費量が増えるというのは怖い。それに、お客様にお出しできるような物も無い。正直に言って、ご自分たちの分だけでも持って来てもらえたのは、助かる。
「謝らないでください。あなたがこのような境遇にあるのは不当だと、我々は思っています」
レナード様が力強い声で言う。ろくに客人のおもてなしもできない私に、同情したのだろう。自分が惨めに思えたけれど、面と向かってそう言ってくれた人はいなかった。複雑な気分だ。
「レナード、とりあえず飲み物でも開けないか? 喉がカラカラだし、堅苦しい話が始まると食べ飲みしにくいだろう」
ジュリアン様はそう言って、ご自分の持つ瓶を開けてから、私の前に瓶を並べ始める。
「林檎は好きですか? 葡萄がいい? あとは……何だこれ、桃?」
「ありがとうございます、先にグラスを持って参ります」
私はそう言って立ち上がる。小さめの瓶だけれど、さすがに瓶に直接口を付けるのはお行儀が悪い。
なけなしのグラス三つを持って戻ると、瓶は私の席の前に並んだまま、レナード様はまだ飲み物を選んでいなかった。
「お待たせしました。レナード様からお先に」
「俺はいいよ、先に選んで」
レナード様にとっては、いつでも買える物だ。私は遠慮なく林檎の瓶を選んだ。
「こちらをいただきます」
「じゃあレナードは葡萄だ。乾杯するから二人とも早く開けて」
ジュリアン様はレナード様に葡萄の瓶を押し付け、自分のグラスに飲み物を注いで掲げる。慌てて栓を開けようとすると、レナード様が苦笑しながら隣のジュリアン様を見る。
「女性を焦らせるなよ。待てないなら、開けて差し上げろ」
「ああ。開けましょうか?」
ジュリアン様が手のひらを差し出してくださったけれど、ほぼ同時にポンと栓が開いた。
「……ありがとうございます、開きました」
「良かった。じゃあ、乾杯」
「何に?」
「ここまで辿り着いたことと、フィーネさんに会えたこと」
「いいな。乾杯」
三人でグラスを掲げてから、喉を潤す。緊張していたのか、喉が乾いていることに気付かなかったようで、体に染み渡る。
「……あまり時間が無いので、単刀直入に言いますが」
頃合いを見計らって、レナード様が話し始める。
「バルタザール・ボルドーの件について、一通りのことは調べました。大変でしたね」
「いえ……驚きましたが、バルタザール様は前日から体調が優れなかったとのことですので、ご無理をさせたのであれば申し訳ないと思っております」
「生きているバルタザールを最後に見たのはあなただと複数人から証言を得ています。間違いありませんか?」
ジュリアン様の問いかけに頷く。
「はい。その時もバルタザール様は中座をされていて、しばらく戻られなかったので、父に言われてバルタザール様がいらっしゃるであろう場所へと向かいました」
「彼は腹具合が悪いと言っていたそうですね。あなたはバルタザールがいるのはどこだと目星を付けたのですか?」
「……お手洗いか、書斎かと。どちらも同じ方向にあると教えていただいたので、とにかく、部屋を出て左へ向かいました」
「彼がどこから出て来たかは見ましたか?」
そう言われて、返答に詰まる。記憶を辿ると、バルタザール氏の悲鳴が聞こえて、それから……?
「応接間を出て、左に向かって……廊下の奥、向かって左側のドアが勢いよく開いて、バルタザール様が出て来られました」
ジュリアン様は私の説明を聞きながら、テーブルに何か広げ始めた。建物の間取り図だ。
「ボルドー邸の間取りです。二階の応接間がここ。あなたはここから出て、左へ向かった。廊下の奥、向かって左のドアというと、これですね」
ジュリアン様は私の言った場所を順番に指先で辿った。
「はい」
「書斎のドアだ。では、ここから出て来たバルタザールの様子は?」
「最初に絶叫が聞こえて、こちらへ走って来る時も何かから逃げるような様子でした。絞り出すような悲鳴を……」
そう、彼は鬼気迫る形相だった。そして、その後――
「っ……」
バルタザール氏が階段を落ちていく光景が、頭の中に蘇る。今まで、あまり思い出すことはなかった。それは無意識のうちに、自分を守ろうとしていたのかもしれない。
「フィーネさん?」
「ジュリアン、一旦中断だ。嫌な記憶を思い出させて申し訳ない。大丈夫ですか?ソファに体を預けて、楽にした方がいい」
レナード様が、ソファを立って私の傍らに膝をつく。震える私の手を取り、脈を測る。下から私の顔を見て、顔色の確認も同時にしているようだ。
「あ――」
口を開こうとすると、わなわなと唇が震えた。お客様を床に跪かせるなんて、申し訳ない。そう思うのだけど、言葉は出なかった。
「そうか……人の死ぬ瞬間を見たのだから、深窓の令嬢には衝撃が大き過ぎたか」
「お前、ちょっと黙ってろ。それも片付けて、早く」
レナード様がテーブルの上の間取り図を指す。ジュリアン様はバサバサと雑にそれを畳んで片付けた。ゆっくりでいいのに。彼の発言は無神経だが、やはり悪い人ではない気がした。
「……申し訳、ありませんでした。ご心配をおかけしてしまい……もう、大丈夫です」
レナード様の手の温もりのおかげで、指先に血が通い始めた感じがする。手や唇の震えも止まり、声も出せる。
「今日はもう、この話をするのは終わりにしましょう」
「でも、ここまでかなり時間がかかったのではありませんか? 機会を改めるにしては、遠いので……私、大丈夫です」
まだ、あの日のことを話し始めたばかりだ。ジュリアン様の「聞きたいこと」というのが何かわからないけれど、まだそこまで達していないだろう。
「そう、確かに遠い。そこで提案があるのですが」
ジュリアン様が右手を顔の横に上げ、長い人差し指をぴんと立てる。




