第二十四話
「ベアトリクスという女性は、それをおまじないと言ったのですね?呪いとは、言いませんでしたね?」
ジュリアン様は念を押す。それは、クラリス様の願いが呪いとしてバルタザール氏にかけられたとしても、クラリス様自身に呪いという認識があったか無かったかで、話が違ってくるかもしれないからだ。
「呪いとは言いませんでしたわ。でも私、呪いかもしれないとは思っておりました」
クラリス様の返事に、ジュリアン様の表情が曇る。面倒なことになった、と思っているのが手に取るようにわかる。
「……だって、星に願って数日で、私は彼女に『フレッドはまだ解放されないみたい、やっぱりおまじないなんて効かないのかしら?』と何度も尋ねたんです。そうしたら、ベアトリクスは『私はシスター・ベアトリクスですよ。必ずそのうち、効きます』と言ったのです」
「自分から、シスター・ベアトリクスと名乗ったのですか」
「ええ。私も『止まらない王様』を知っていましたから、すぐに意味がわかりました。ベアトリクスには物語のシスター・ベアトリクス同様に人を呪う力があって、だから私の願いは呪いとなっていつか必ず叶うという意味だと。……恐ろしいとは思いませんでした。フレッドが本当に救われるなら、むしろ呪いの方がいいと」
クラリス様は紅茶を一口飲み、ふうっと息を吐いた。
「これで私は人を呪った罪で捕まるのかしら?覚悟はできていますので、早いうちに……」
「奥様、いけません。奥様は何も知らなかった。……ジュリアン様、私です。私がバルタザール様に呪いをかけました」
クラリス様の話を遮って、アルフレッドさんがクラリス様とジュリアン様に訴えかける。クラリス様が願ったのは、アルフレッドさんの幸せだった。弟のように接してくれたクラリス様が自分のために捕まってしまうのを、何とか阻止したいという差し迫った気持ちが伝わって来る。
「嘘は事態を混乱させます。お気持ちはわかりますが、偽りの証言は控えてください」
ジュリアン様がはっきりと言う。
「……失礼いたしました。お飲み物を入れ替えて参ります」
アルフレッドさんはそう言って席を外した。頭を冷やしたいのかもしれない。皆が無言で彼を見送り、少しの間、気まずい沈黙が流れる。最初に口を開いたのは、レナード様だった。
「今日はお話を伺いに来ただけです。今すぐにどうこうというつもりはありません。……実は、シスター・ベアトリクスの名前は、私の母が遺した日記にもあった名前です。私は、あなた方と同じ立場にいる。真実を、教えてください」
私はできるだけ話の腰を折らないように、表情も変えないでいるつもりだったが、レナード様のその発言にハッと息を飲んでしまった。クラリス様からここまで話を聞き出せた今、レナード様がお母様のことを明かす必要は無いはずだ。
「まあ。カトリーヌ様が……そうですか、実は」
クラリス様が何かを迷うように目を伏せる。そして再び視線を上げ、口を開いた。
「バルタザールの……何人目の奥様だったかしら、エレーヌさんという方がいたのです」
「エレーヌ・ギヨのことでしょうか?バルタザールの七人目の奥方ですね」
ジュリアン様が確認すると、クラリス様はゆっくりと頷く。
「彼女は庶民の出で、同じく庶民からボルドー家に嫁いだ私に親近感を持ってくれていたようです。私の店を贔屓にしてくれていました。庶民向けの店ではありますが、特注で貴族向けの服を仕立てることは不可能ではありませんから」
七人目の妻が、三人目の妻に親近感を抱く。あまり聞かない状況だけれど、バルタザール氏の結婚歴自体が規格外なのだ。
「彼女がバルタザールと別れて、実家に戻ることになった時も、最後の挨拶に来てくれました。彼女は私と違って、バルタザールと添い遂げるつもりで結婚をしたので、離婚は残念そうでしたわ。でも、実家から贈られたワインを怒りに任せて捨てられて、どうにも我慢ができなかったとかで」
エレーヌ・ギヨの生家は酒造を生業としていると、ジュリアン様のノートに書いてあった。実家で親が作ったワインを捨てられたのだろうか。それなら、離婚に繋がるのも当然だ。
「それは酷いですね」
「でしょう?エレーヌも怒り心頭で、お酒を捨てるような人は、そのお酒が全部脚にかかってビショビショになってしまえばいいのにと言っていましたわ。頭から、と言わないところがエレーヌの優しさですね。バルタザールはこんなにいい子を逃してしまったのかと、呆れました」
(捨てたお酒が、脚にかかる——?)
その言葉が胸に引っ掛かる。バルタザール氏が言っていた。私と会う前夜、ワインを飲もうとしたら腐っていて、流しにそれを捨てたら何故か全部が自分の脚にかかったと。
その話はジュリアン様とレナード様にも伝えてある。隣のレナード様をこっそり見ると、レナード様もこちらに視線を向けて、合図をするように瞬きをした。
「カトリーヌ様もベアトリクスにお会いになったのなら、エレーヌの前にもベアトリクスが現れて……望み通りの呪いをかけてくれたら、良かったのに。そう、思ってしまいますわ」
クラリス様はホホホと笑う。クラリス様は知らない。本当にエレーヌ・ギヨの言葉通りのことが、バルタザール氏の死の前夜に起こっていたことを。だから朗らかに笑えるのだ。
「では……、クラリス様。あなたは、エレーヌ・ギヨが今どこにいるのか、ご存知ですか?」
ジュリアン様がクラリス様に問いかける。少しの緊張を、その声から感じる。エレーヌ・ギヨの居場所を突き止めるには、時間がかかりそうだと言っていた。クラリス様が彼女の居場所を知っていたら、一気に調査が進む。その期待からくる緊張だろう。
「ヴォルテンシア国内には居るはずですが……最後に手紙が来たのがいつだったかしら。そうだわ、バルタザールの十度目の結婚について書いてあったから、五年近く前ね」
思ったよりは最近の話だった。それなら今も同じ場所に住んでいるか、転居したとしても足取りを追えそうだ。
「少しお待ちくださいね。手紙を、探して参りますわ」
クラリス様が自ら、腰を浮かす。内密の訪問なので、ここに使用人はアルフレッドさん以外にいなかった。だから仕方がないのだが、面倒をかけて申し訳ないなと思う。
「お手を煩わせて申し訳ありません」
レナード様がスッと立ち上がり、先回りをしてドアを開ける。
「まあまあ、お客様にそんなことを」
「我々は今、奥様からお話を聞かせていただく立場です。変装までして来ているのですから、客ではないとお考えください」
クラリス様は戸惑いながらも、満更ではない様子で部屋を出て行く。クラリス様もアルフレッドさんも席を外した状況で、ジュリアン様が声を潜めてレナード様と私に話しかける。




