第二十一話
冗談のつもりだったのに、そのまま本当に魔導典礼省に口利きをさせてしまいそうな流れだ。私は慌てて首を振った。
「冗談です、私には魔法の能力がありませんから……。どちらかと言うと、レナード様の留学先に興味があります」
「俺の?」
「はい。どんな国に行かれていたか、良かったら聞かせてください」
不思議と、レナード様の留学先については、噂になっていなかった。ジュリアン様との会話でも国名は出て来ていない。
「俺が行ったのは……」
レナード様はそこで言葉を切ると、気合いを入れるように背筋を伸ばして深呼吸をした。
(あ……もしかして、言いたくないのかな)
留学先で、何か嫌なことがあって帰国したという可能性もある。何も考えずに尋ねてしまった無神経さに気付き、「言わなくていい」と言おうとした時、レナード様が口を開いた。
「テトラグラマトアルカディアヌス・レギヌムエテルナ」
「……はい?」
突然、呪文を詠唱したのかと思った。
きょとんとする私に、レナード様がほっとした様子で微笑みかける。
「俺が留学していた国の名前です」
「あっ……、国名ですか!」
「そう。国名自体に魔法がかかっていて、省略したり言い間違えたりすると不幸が降りかかるのです」
「怖……。あっ、失礼しました」
いつの間にか気を抜いてしまって、言葉遣いが崩れてしまった。いけない、気をつけないと。
「気を遣わなくていいですよ。年もそんなに変わらないのだから、何だったらレニーとニックネームで呼んでくれてもいい」
「それは、私がセリジエ家で叱られますから」
「それなら無理強いはしません。しかし面倒ですよね、友人関係に家が付きまとうのは」
レナード様はあっさりと言って苦笑する。
ジュリアン様は変わった人だが、レナード様も不思議な人だ。身分も背も高く、完璧な容姿の男性。私が緊張する要素の盛り合わせなのに、親しみやすくて、話しているうちに言葉遣いや態度が解されていくような感覚がある。
「実際、言い間違いさえ許されないのは怖いよね。だから皆、その名を口にしたがらなくて、国自体が謎めいているように思われています。でも、とても良い国でしたよ。そうだな、識字率が高くて本屋も多いから、フィーネさんのような読書家には特にお勧めかも」
レナード様も少し砕けた口調で言う。そこにジュリアン様が戻って来て、ははんと何か察したように笑う。
「お前が行っていた、あのクソ長い名前の国の話か」
「そうだけど、その呼び方はやめろよ」
「仕方がないだろう。言い間違えただけで不幸に見舞われるような呪いを国名に仕込む方が悪い」
呪いと聞いて、ドキッとした。けれど確かにそうだ。名前を言い間違えたら報いがある、その構造は呪いそのものだ。
ジュリアン様が煎れたての紅茶を私の前に置いてくださる。恐縮してしまうけれど、ジュリアン様は鼻歌交じりだ。この作業が本当に好きなのだな、と思う。
その後は和やかに、レナード様の留学中の話題を主にして(国名は誰の口からも出ることはなかったけれど)、ティータイムを楽しんだ様子でお二人は帰って行った。
夜になり、私は最近あまり進んでいない蔵書の整理に、久しぶりに手を出した。レナード様に読書家と言われたことが、少なからず影響している。
ここにあるのは古い本ばかり。しかし、浅木遥花としての記憶を取り戻してからの私は、だんだんと蔵書への意識が変わってきていた。
(古ければ古いほど、お宝である可能性は高いのではないかしら)
古い食器や昔の玩具が、ある界隈では思わぬ高額で取引されている。そんなSNSでの投稿を見たことがある。この世界でも、古くてレアな本なら、高額で買い取ってもらえるのではないか。そんな発想に至った私は、古い本から優先的に掘り出すことにしていた。
書庫の奥に、もう何十年も誰も開いていないのではないかという古い本がまとめてある。私は時間も止まっているような、その一帯に近付く。
古書は脆い。本の両脇の隙間に指先を入れ、背表紙を潰さないように慎重に取り出す。それは既に色の褪せた、童話集だ。
(私もこんな本を、読み聞かせてもらったなあ)
一人で読むなら早くても十歳くらいだろうか。もっと幼い頃には、母が読んでくれた。
しかし、本自体が古過ぎて、童話集なのに私の知らない話ばかりが収録されている。これも知らない、これも知らないと斜め読みしていくと、突然、見慣れた文字列が目に飛び込んで来た。
『シスター・ベアトリクス』
「え……っ?」
私は一人の書庫で思わず声を上げた。
それは童話の登場人物だった。『止まらない王様』という、その話の内容は、子供の好きそうな、コミカルな復讐譚という感じだ。
不誠実な王様と、それに悩まされるお妃様。お妃様が身分を隠し、修道院で不誠実な「夫」への不満を打ち明けると、ベアトリクスというシスターが呪術で「夫」に仕返しをしようと持ちかける。「走り出したら止まれなくなる呪い」をかけられた王様は、どこまでも走って行き、見えなくなってしまう。いなくなった王様の代わりにお妃様が女王になり、国は平和になりました。そんな短い話だ。
(これ……、お二人に報告した方がいいよね?)
シスター・ベアトリクス。呪い。この共通点は、偶然かもしれない。けれど、無視はできない。
私はその古い本を手に書庫を出た。もう、本の整理をするような気分ではない。とりあえずその本を最初から最後まで読んでみたけれど、他にシスター・ベアトリクスの登場する話は無かった。
そうしているうちに、深夜になってしまった。明日は早い。
(もう、寝ないと)
そう思ってベッドに入っても、すぐには寝られず、何度も寝返りを繰り返し、ようやく眠りに落ちた。
そして翌日、予定通りに朝早く訪れたお二人と一緒に、クラリス・モンタン様の元へと向かったのだけれど、そこで待っていたのは思いもよらぬ人だった。
「ええと……最初にお伺いしたいのですが、何故『彼』がこちらに?」
さすがのジュリアン様も面食らった様子でクラリス様に問いかける。




