第十八話
「……念の為に持って来て、良かった」
レナード様はそう言い、何かの袋を取り出した。中から取り出したのは、ハンカチと、日記帳だ。どちらも少し古びてはいるが、かと言って傷んでもいない。大切に保管されていたという感じだ。
「母の遺品です。これは昨日言った、『ベアトリクス』と名前の入ったハンカチ。こちらは母の生前書いていた日記で、俺も中を見たことはありません」
「え……」
ハンカチはともかく、日記帳はここで開くべきものではない気がした。
「レナード様、日記は……これからも、ローウェル家の方々で大切になさった方がよろしいかと」
「もちろん大切にします。でもこれは、子供の頃からずっと、何冊も日記を書いていた母が、一冊だけ敢えて残したものなのです。俺が生まれる前のものです。何か、伝えたいことが書いてあるから残したのではないかと思う一方、親子と言えども見るべきではない気もして、開かずに来ました。今こそ開く時かもしれない、しかし一人で開く気にはなれなくて……まずは俺だけが中を見ますから、二人は立ち会ってくれるだけでいい」
レナード様の言葉に、それでも私は「いいのだろうか」と思ってしまう。
「わかった。もし今回の件に関係のある記述があれば、教えてくれ。秘密は守る」
ジュリアン様はきっぱりと言う。レナード様との信頼関係の違いだ。
「……それじゃあ、読んでみる」
レナード様は堅い声で言い、テーブルの上で日記帳の表紙を開けた。私はそちらを見ないように、ベアトリクスという刺繍があるハンカチを見つめる。
「私は刺繍に詳しくないので、フィーネさんの意見をお聞きしたい。これはシスター・ベアトリクス本人の手による刺繍だと思いますか?」
ジュリアン様もハンカチに視線を落としながら私に尋ねる。
「あくまで、想像ですが……、こちらは、どなたかがシスター・ベアトリクスに贈ったものではないかと思います」
「ほう。なぜ、そう思いましたか」
「単純に、自分のハンカチに自分で名前を刺繍するというのは、練習以外ではあまりしないからです。記名というのは紛失したりした時に、自分の元へ返るためにすると思うのですが、ハンカチはある程度、消耗品と言うか……落としたりしても、手元に戻ることをあまり期待しませんよね」
日本人の記憶がある私には、自分で言っていて違和感を抱くところではあるが、この世界で特に貴族にとっては、ハンカチの扱いはティッシュに近い。もちろん、洗って繰り返し使うけれど、洗っても落ちないような汚れにも躊躇なく使い、すぐに捨てるような使い方もする。
「それはそうですね。失くしたハンカチを、そこまで探したことはないな」
「プレゼントなら、買ったハンカチをそのまま渡すのではなく、何か心を込めたいと思った時に、贈る相手のお名前を刺繍することはあります」
「なるほど。他には?刺繍の腕前なんかは、フィーネさんから見てどう思いますか?」
「とてもお上手ですが、プロのお針子さんかどうかは……」
私が答えると、レナード様がハンカチに手を伸ばした。
「触ってもいいですよ。刺繍の出来は、裏側も見た方がわかりますよね?」
そう言いながら広げて裏返し、刺繍の裏を見せてくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、レナード様はにこりと笑って日記に視線を戻した。
刺繍を裏側から見ると、ごく小さな玉止めの部分が見てわかる。これはプロのお針子さんなら上手く隠すところだ。
「ジュリアン様、ここの結び目が見えますか?プロの方なら、こうはなりません」
「ああ、本当だ」
「他は本職の方と見分けがつかないくらいなので、とてもお上手です。どこか良家のお嬢様かもしれませんね」
「あ」
私が話し終えるのとほぼ同時に、レナード様が小さく驚く声を上げた。
「どうした?」
「……ちょうど、そのハンカチについて日記に書いてあった」
「え?」
なんてタイムリー。レナード様は日記に目を落としたまま、話し始めた。
「……そのハンカチは、母がシスター・ベアトリクスにプレゼントしようとしたものらしい。刺繍をしたのも、母だ」
「……!」
私は声を殺して息を飲んだ。刺繍の腕前について、ああだこうだ言ってしまったからだ。
「『次にお会いしたら渡そうと思っていたのに、シスター・ベアトリクスは姿を消してしまった。もう会えないのだろうか。根拠は無いけれどそんな気がする』……そう書いてある」
冷や汗をかく私に気付かない様子で、レナード様は日記の該当箇所を読み上げる。
ハンカチは、シスター・ベアトリクスの所持品ではなかった。それでも、彼女との繋がりを示す物ではある。
「それは、彼女と知り合ってからの記述だろう。その前に、出会った頃のことは書いていないのか?」
ジュリアン様が尋ねると、レナード様はページを遡ってめくった。
「あったよ。バルタザール・ボルドーは母を妻とした途端、急速に興味を失った様子だったと。彼は間もなく若い踊り子に夢中になり、母は長く社交界で腫れ物扱いのまま離婚。ベルナール家に戻ってしばらくは、慈善活動に精を出していたらしい。そこで出会ったのが、シスター・ベアトリクス。孤児院への寄付活動をするうちの一人として知り合ったそうだ」
ぞくりと寒気がした。ジュリエット・バザン様と出会った時には酒場を渡り歩く占い師を装っていたのに、孤児院とは。
シスター・ベアトリクスは、接触する場所や自分の身元を変えている。おそらく、狙った相手の性格に合わせて。
「孤児院か。どこの孤児院かは書いてあるか?」
「それは書いていないが、父に聞けばわかるかもしれない。その時期の父は、母に会いたくて、外出先を調べていたらしいから」
「……怖っ」
「仕方がないだろう。母は『こんな出戻りよりも、あなたに相応しい女性はたくさんいる』と言って、手紙すらやり取りしてくれなかったのだから」
レナード様はお父様に肩入れしているようだ。確かに、手紙も拒否されてしまったら、家に突撃しても出て来てくれないだろうし、外出先でばったり会ったという偶然を作るしかないかもしれない。
「ではその確認は任せる。呪いについての記述は?」
「ある。発動条件があったよ。バルタザール・ボルドーには、いつも付き従っている側仕えの男性がいた。フィーネさんがボルドー邸を訪れた日も、彼はいたと思いますが」
そう言いながら私の方を見たレナード様に、こくりと頷く。バルタザール氏は彼を「愚図な従僕」と私たちに紹介し、名前も教えなかったが、彼が子供の頃から側仕えとして働いていることは、彼を叱責するバルタザール氏の言葉から伺い知れた。「いつも儂の側にいて、そんなこともわからんのか!」「何年ボルドー家に仕えているんだ!」などと、怒鳴りつけていたから。




