第十四話
「何か説明の足りないところがありましたか?」
上手く話せたか自信が無い。私の問いかけに、レナード様は軽く首を振った。
「そうではありません。シスター・ベアトリクス……何か、聞いたことがあるような気がして」
「本当か? 思い出せ、早く」
「急かすな、思い出せなくなる。ええと……あっ」
レナード様がハッと表情を変えた。
「思い出した……! ベアトリクス! 母の遺品にあった……その名前が刺繍されたハンカチが!」
「本当か?」
ジュリアン様が疑うような目でレナード様を見る。
「今度見せるよ。……同一人物だろうか?」
「君の母君が彼と結婚したのが、ええと……いつだって?」
ジュリアン様がそう呟きながら、テーブルの上にノートを広げる。そこにはバルタザールの結婚・離婚歴が書かれていた。
きっと、私が見てはいけないものだ。慌てて目を逸らす。
「おい、それは部外者に見せない資料だろう?」
レナード様も手でノートが見えないようにしながら、ジュリアン様を叱責する。
「そうだった。見なかったことにしてくれ」
ジュリアン様はしれっと言い放って、ノートを見る。
「……バルタザールがカトリーヌ・ベルナールと結婚したのが四十歳の時。離婚がその三年後。ロザリー嬢と結婚した時には六十五歳、離婚はその二年後。ざっくり言うと、三十年以内の出来事か」
「シスター・ベアトリクスが、ハンカチの持ち主と同一人物である可能性はあるな」
「あ……、ロザリー様は、シスター・ベアトリクスをお祖母様のように思っていたと仰っていました」
大事なことを言いそびれていた。付け足すと、ジュリアン様がうんうんと頷きながらノートを閉じる。
「バルタザールと同年代と仮定すると、同一人物説も辻褄が合う。そうであれば、バルタザールの二人の元妻が同じ女性に愚痴を聞いてもらっていたというのは、偶然とは思えない。……しかし、シスター・ベアトリクスが故意にカトリーヌ・ベルナールとロザリー嬢の両者に近付いたとしたら、何のために?」
「バルタザール・ボルドーに恨みがあって、呪いをかけるためかな?」
「それなら自分でかけたい呪いをかけたらいい。わざわざ元妻に接触して、どんな呪いをかけたいかを怪しまれずに聞き出すなんて、ものすごい労力だぞ」
「一般的に考えられる動機としては、金か情報か……金はおそらく無いと思うが。バルタザール・ボルドーと離縁した直後の母は、自分の自由にできる金をあまり持たされていなかったようだから」
「では、情報というと何だ?弱みを握って脅す、とかか?他の貴族ならともかく、バルタザールが公にできない商売をしていたのは公然の秘密だったからな。今更脅しが効くとも思えん」
お二人の会話を聞きながら、私もシスター・ベアトリクスという謎の人物について考えていた。
ロザリー様によれば、聞き上手な老婆。きっと、人に警戒心を抱かせないような、優しげで穏やかで、のんびりとした雰囲気の、普通のおばあちゃんなのだろう。
けれど、もし二人の女性に、両者がバルタザール氏の元妻であることを理由に接近したとしたら――何かしらの意図を、三十年近く持ち続けていることになる。穏やかなおばあちゃん像と、その執念深さが、結びつかない。
「フィーネさんの元には、シスター・ベアトリクスからの接触は無かった?」
レナード様に突然問いかけられて、少し驚いた。でも、言われてみれば私もバルタザール氏の妻になりかけた身だ。カトリーヌ様やロザリー様と、そこだけは共通点がある。
「ありません。接触しようにも、できなかったのかもしれませんが……」
バルタザール氏の死後しばらくは家から出ることを許されず、そのままこの別荘地に逃げて来た。外部の人が近付こうとしても、その隙は無かっただろう。
「バルタザールを呪うのが目的だったなら、フィーネさんに近付く必要は無いな。今回は呪う相手が既に死んでいるのだから」
ジュリアン様の言葉に頷き、レナード様が溜め息を吐く。
「……ものすごく、気は進まないんだが」
「ああ、言ってみたまえ。多分、私も同じことを考えている」
「フィーネさんにしたのと同じ質問を、バルタザール・ボルドーの元妻全員にして回るしか、ないんじゃないか……?」
「だろうな」
レナード様が絞り出すような声で言ったことに、ジュリアン様はあっさりと頷く。
「え……」
私も思わず小さな声が出てしまった。
カトリーヌ様とロザリー様を除いても、バルタザール氏の元妻はあと八人いる。あまり詳しくは知らないが、年齢も出身地もバラバラだったと聞いている。
「ボルドー家をこれ以上調べようにも、あの非協力的な態度では成果は望めない。それならボルドー家を放逐された側を調べるしかない」
「そうなる気はしていたが、考えただけで気が遠くなるな……」
(レナード様、嫌そう……。確かに、全員の居場所を調べて、連絡を取って、出向いて話を聞くとなると、かなり大変)
この世界では、一般人が使える通信手段というと、まだ手紙止まりだ。ジュリアン様が設置した転送ゲートなんて、異例中の異例。
「仕方がない。消息不明者を探すのが一番骨が折れるだろうが、人数だけで言えばそれほどでもないさ。故人を除けば六人だ。三人で手分けをして、二通ずつ手紙を書こうか」
「三人?」
レナード様が首を傾げる。
「私と君と、フィーネさんだ」
「え?」
聞き間違いかと思った。小さく声を上げてそちらを見た私に、ジュリアン様はにっこりと極上の笑みを向ける。
「手伝ってくれますよね?女性の協力者が欲しい。それに、ここまで事情を知っているフィーネさんなら、説明の手間が省ける」
「それはお前の都合だ。手伝ってもらうこと前提で話を進めるな」
「この家も調査の拠点として大変理想的なのです。誰かに話を聞かれる心配が無くて、紅茶を煎れるための水も美味しい」
その二点なのか。確かにここは高原だから、王都より水源に近くて水は美味しいだろうけれど。
「お前が自分勝手なのは重々承知だが、年下のレディに甘えるのはやめろ。みっともない。俺たちはフィーネさんの受けた傷をほじくり返しに来ているようなものだ、今日の調査だって、フィーネさんとしては不本意だったはずだぞ」
「それなら、また妙な噂が立ってもいいのかい?私と君が頻繁に会っているだけで、よくわからない噂が立つんだ。いい加減、学習してくれ」
ジュリアン様の嫌そうな声に、レナード様も言葉に詰まる。
どんな噂が立つのかは想像に難くない。王立学院では、お二人が卒業した後も、レナジュリ派とジュリレナ派の対立が残っていた。
「……場所をお貸しするくらいなら、ご協力できますが……、お手紙を書いたりは、失礼があるといけませんので」
噂に悩まされている身として、お二人を噂に晒すのも気の毒だ。精一杯の譲歩に、ジュリアン様は「うーん」と数秒考えてから、頷く。
「わかった。とりあえずは場所だけ、貸してください。もちろんタダでとは言いません」
「……申し訳ない。俺が手に入れられる物なら、何でも欲しい物を言ってください。持って来ます」




