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箱庭に揺れる毒の花  作者: 北野凛夜


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第九話

「フィーネさんは、お父様であるセリジエ卿と、セリジエ家の執事との三人でボルドー家を訪問されていましたね。用件はバルタザールとフィーネさんの婚姻の手続き。どちらかと言えばセリジエ卿の方が乗り気で、しかしバルタザールも満更ではない様子だった。フィーネさんから見て、ここまで間違いありませんか?」


「バルタザール様のお気持ちは、私からはよくわかりませんでした。私は二十歳と、これまでの方より少し年嵩ですので、そこに少しばかりご不満のようには見えましたが」


 この場では遠回しに言うに留めておくが、バルタザール氏に言われたことははっきりと覚えている。


「二十歳とは、いささかと(・)う(・)が立っているな。しかしまあ、私も七十を越えて、妥協もせねばなるまい」


 腹が立つよりも何よりも、キョトンとしてしまった。二十歳でと(・)う(・)が立っているのなら、七十歳は腐り果てているだろう。


「彼は大人の女性を嫌悪していたそうですからね。それなら女性全般に近付かなければいいと思うのですが」


 レナード様がにべもなく言って、ジュリアン様が声を出して笑う。


「その通りだ。……他に何か、バルタザールについて何か引っ掛かったことはありませんか?どんな些細なことでも構いません」


「他に……そうですね、お聞き及びかとは思いますが、前夜から体調不良で寝不足だと仰っていました。そう、ワインが腐っていたとかで、父が後から美味しいお酒を贈ると約束をしていました」


「ワインが腐る?おかしいですね、何十年と熟成させるものなのに」


「栓を開けておけば悪くなることはあるから、それを腐ったと表現したのかもしれないが、言葉遣いが稚拙だな」


 レナード様とジュリアン様が首を傾げながら言うが、ここで考えて答えがわかるものでもない。一方で私は、ワイン繋がりで蘇った記憶があった。


「今、思い出したのですが……その腐ったワインを、ご自分で流しに捨てたら、なぜか全部がご自分の脚にかかってびしょびしょになったと仰っていました。手元が狂ったにしてもあれはおかしいと、何度も仰って」


 それを聞いた時は、単なる酔っ払いの失敗談と思った。だから、どうでもいい話として忘れていたのだけれど、バルタザール氏は人格はともかく、七十歳にしては矍鑠(かくしゃく)としていた。捨てようとしたワインを全部自分の脚にかけてしまうなんて、酔っていたとしても変ではある。


「飲もうとしたワインが腐っていて、それを捨てようとしたら脚にかけてしまう……踏んだり蹴ったりですね」


「しかも、その後は書類にインク染みが付いてしまうとか……そう、その後は翌日に私の父に渡す書類を書いておこうと思ったのだそうです。でも、何度気をつけて書いても、インク染みが付いてしまって駄目だったと仰っていました」


 そうだ、バルタザール氏はそんな話をしながら、次の日に訪問した私たちの前で、その書類を広げて書いていたのだ。書類を前もって用意しておかなかった言い訳だと思った。けれど、バルタザール氏が署名を終えると、いつの間にかその紙にも端にインク染みが付いていた。あれは私も同席していたから不思議だったけれど、何か書き物をしていて知らないうちに汚れが付いていることはあるから、そんなこともあるか、くらいに思って終わった。


 しかしバルタザール氏本人は、明らかに苛立っていた。それが、従僕の男性への叱責に繋がった。八つ当たりだ。


 そこから先は昨日話した通りだ。叱責された仕返しで従僕の男性が事故を装ってカツラを叩き飛ばし、バルタザール氏が退室して行った。


「……」


 全員が考え込んで、沈黙が続く。


 ひとつひとつは些細なことだ。ちょっと不注意だったとか、ちょっと不運だったとか、本人も周りも「そんなこともある」で済ませてしまうような。


 しかし、バルタザール氏はその全てに夜から翌日の日中の間に見舞われ、最終的には亡くなった。しかも、見舞われた不運のひとつは呪いによるものではないかという疑いがある。


 偶然で片付けてしまって、いいのだろうか。


「何かがおかしい気がする」


 慎重な言い方で、レナード様が沈黙を破った。


「まあ、ロザリー嬢の件もあるからな」


 ジュリアン様がぽろっと言った。そのロザリーという名前に心当たりがある。ロザリー・ヴァシュロン。バルタザール氏の十人目の妻で、三年前に離婚した。若くして結婚、離婚をしたので、年齢は私とそう変わらないはず。さすがに私も、前妻のことくらいは聞いておいたのだ。


「ロザリー・ヴァシュロン様、ですよね?何かあったのですか?」


 私が問い質すと、ジュリアン様はハッとしたように目を見開き、すぐに諦めた様子で口を開いた。


「……ここからは内密に願います。ロザリーさんも、呪いに関係した可能性があるのです」


「本当ですか?」


 すぐには信じられなくて、私はジュリアン様からレナード様に視線を移す。レナード様も浅く頷き、口を開いた。


「とは言っても、彼女の場合は、それが呪いと知らずに加担してしまった可能性が高いのです。バルタザール・ボルドーとの離婚成立後、軽い気持ちで『おまじない』をした、と」


「おまじない……?」


 この世界では、「呪い」と「まじない」には明確な違いがある。魔法士が施す、実効性のある術が「呪い」、一般人がする魔法士の真似事、効力の無いものが「まじない」だ。


「ロザリーさんは離婚後すぐに、一人の女性と知り合ったそうです。彼女はとても聞き上手で、いつの間にかバルタザールへの不満、恨みといったことを洗いざらい話してしまった。それでつい、呪いめいたことを言ってしまったと」


「……どのようなことですか?」


「ロザリーさんはこう思ったそうです。バルタザール・ボルドーは数年後にはまた若い女性を娶り、そして捨てるだろう。しかしもう、自分勝手な老人に若い女性が傷つけられ、捨てられるのは、自分が最後になるべきだ」


 十人目の妻となった彼女に、どんな事情があったのかまでは知らない。私のように、家の都合だったのだろうか。幸せな結婚とはならないことは、最初から予想していただろう。それでもなお傷付き、傷心の中でまだ見ぬ十一人目に思いを巡らせたロザリー様は、優しい人なのだろう。

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