第7話「黒雲の襲来と、最強の兵站網」
空を覆う分厚い雲が、禍々しい赤紫の色を帯びて渦を巻いている。
王都の街路に、けたたましい鐘の音が鳴り響く。
それは、外敵の襲来を告げる最大級の警報だった。
ルークは郵便商会の窓から、王城の方向をにらみ据える。
城壁の向こう側から、黒い瘴気が立ち上っているのが見えた。
地面が微かに振動し、遠くで爆発するような重低音がかすかに響いてくる。
アリアが不安げにルークの背中に寄り添い、窓の外を覗き込んだ。
「ルーク様……あれは、普通の魔獣ではありません。空気が、肌を刺すようにピリピリしています」
アリアの言う通り、魔力の密度が異常だった。
店の奥から、短剣の柄に手をかけたレオンが足早に現れる。
彼の真紅の瞳は、これまでにないほどの警戒色に染まっていた。
「魔王軍の幹部クラスだ。残党たちがやけを起こして、総大将格を封印から目覚めさせやがったんだ」
レオンの言葉に、ルークは息をのむ。
王都の騎士団は精鋭揃いだが、幹部クラスの魔族となれば被害は甚大になる。
外では、人々が悲鳴を上げながら避難所へと走っていた。
商会の扉を激しく叩く音が響く。
ルークが扉を開けると、そこには王城の侍従長が肩で息をして立っている。
彼の豪華な衣服は泥と埃で汚れ、額からは血が流れていた。
「ルーク殿……! 騎士団が城壁で食い止めているが、敵の攻撃が激しく、前線の物資が尽きかけている。回復薬も、矢も、剣さえも足りない!」
侍従長は膝から崩れ落ちそうになり、ルークは慌ててその体を支える。
アリアが即座に清潔な布を濡らし、彼の額の傷に当てる。
「落ち着いてください。具体的に、何がどれだけ必要ですか」
「すべてだ……。だが、倉庫からの運搬ルートが敵の飛行部隊に空から狙われ、馬車が次々と炎上している。これでは、前線が崩壊するのは時間の問題だ」
侍従長の顔に、深い絶望の影が落ちていた。
前線に立つ兵士たちに武器や薬が届かなければ、どれほど強い騎士であっても戦い続けることはできない。
ルークは立ち上がり、レオンとアリアを振り返る。
「レオン。お前は前線に出て、騎士団の援護をしてくれ。敵の飛行部隊を叩き落とし、防衛線を維持するんだ」
「了解だ。暴れさせてもらうぜ」
レオンは短剣を抜き放ち、真紅の炎をまとわせながら扉の外へと飛び出していく。
「アリア。君はここを拠点にして、在庫の魔法具をすべて起動できる状態にしておいてくれ。それと、俺が運んでくる物資の仕分けを頼む」
「はい。結界の魔法具を店中に展開して、絶対にここを守り抜きます」
ルークは深く息を吸い込み、思考を研ぎ澄ませた。
自分は前線で剣を振るうことはできない。
だが、今の彼には、どんな勇者にも真似できない武器がある。
それは物流だ。
ルークは虚空に向けて両手を広げ、空間収納の扉を最大まで開く。
『空間解放・全在庫確認』
彼の中に蓄積された物資のリストが、脳裏に一瞬で展開される。
これまで様々な街や国との取引で得た、膨大な量のポーション、矢束、予備の剣、そして防具の数々。
それらを瞬時に引き出せる状態にセットし、ルークは最初の転移を発動させた。
◆ ◆ ◆
王都の北側城壁。
そこは、まさに地獄絵図だった。
空からは翼を持った魔族が炎の槍を降らせ、地上では四腕の巨兵が城壁を叩き壊そうとしている。
騎士たちは傷つき、折れた剣を握りしめながら必死に抵抗する。
「回復薬はまだか! 負傷者を下げろ!」
指揮官の喉を振り絞るような叫び声が、爆発音にかき消される。
そのとき、指揮官のすぐ隣の空間が激しく歪み、ルークが音もなく出現した。
ルークの姿を見た兵士たちが、一瞬呆気にとられる。
「郵便商会です。お荷物をお届けに上がりました」
ルークは冷静に告げると同時に、空間収納の扉を開く。
大量の木箱が、まるで滝のように地面へとあふれ出す。
木箱の蓋が開け放たれ、中から青く光る上級ポーションの瓶が数百本姿を現した。
「なっ……これは、全部回復薬か!」
「矢束と予備の剣もあります。必要なだけ持っていってください」
ルークは間髪入れずに次の木箱を解放し、大量の武具を地面に並べる。
指揮官の目に、希望の光が宿った。
「者ども、武器を取れ! 回復薬を飲んで陣形を立て直すぞ!」
物資の補給を受けた騎士たちの動きが、劇的に息を吹き返す。
ルークはそれを見届けると、すぐに次の防衛拠点へと転移する。
東の門、西の砦、南の広場。
彼は戦場のあらゆる場所に神出鬼没に現れ、必要な物資をピンポイントで供給し続ける。
敵の飛行部隊が空から補給ルートを潰そうとしても、ルークの転移には全く意味を成さない。
壁の向こう側から、巨大な魔法陣が浮かび上がり、極太の光線が城壁に向かって放たれる。
幹部クラスの魔族による、直接攻撃だ。
「させねえよ!」
上空から赤い炎の軌跡を描きながら、レオンが落下してくる。
彼の短剣が光線を切り裂き、爆発の余波を空中で散らす。
レオンはそのまま敵の巨兵の顔面に蹴りを叩き込み、空中で身を翻して次々と飛行部隊を撃ち落としていった。
しかし、敵の数は多く、次第にレオンの息も上がり始める。
魔力の使いすぎで、彼の炎がわずかに弱まった。
その背後から、敵の槍が迫る。
レオンが舌打ちをして身をよじろうとした瞬間、彼の目の前の空間が歪んだ。
中から現れたのは、ルークの腕だ。
ルークは空間越しに、レオンの口元へ魔力回復のポーションの瓶を押し当てる。
「飲め!」
レオンは瓶の中身を一気に飲み干す。
瞬時に魔力が全身に行き渡り、失われかけていた炎が爆発的に燃え上がる。
「はっ、最高のタイミングだぜ、配達屋!」
レオンは笑みを浮かべ、再び敵の群れへと突撃していく。
ルークは休むことなく、空間と空間を繋ぎ合わせた。
手持ちの物資が減ってきたと見るや、近隣の商業都市へ転移し、商会で稼いだ莫大な資金を使って在庫を根こそぎ買い占める。
さらに、傭兵ギルドへ直接出向き、金貨の入った袋をカウンターに叩きつける。
「王都の防衛依頼だ。報酬は相場の三倍出す。今すぐ集まれる奴から、俺の手を取れ」
血の気の多い傭兵たちが歓声を上げ、ルークの周囲に集まる。
ルークは彼らを一まとめにして空間転移で王都の前線へと送り込む。
物資、人員、そして情報。
戦争において最も重要な兵站を、ルークはたった一人で完結させていく。
途切れることのない物資の供給が前線の士気を限界まで高める。
どれほど強大な魔族の軍勢であろうと、尽きることのない人間の抗戦の前に確実に疲弊していく。
幹部クラスの魔族は、いつまで経っても崩れない人間たちの防衛線に苛立ちを募らせ、やがてその疲労から致命的な隙を見せた。
そこへ、レオンの最大火力の炎と、騎士団長の一撃が同時に叩き込まれる。
断末魔の叫びと共に巨大な魔族の体が爆散し、行き場を失った強大な魔力が周囲の空間をひび割れるように軋ませながら、光の粒子となって消滅していった。
残された魔族の兵士たちは戦意を喪失し、散り散りに逃げ去っていく。
王都の空を覆っていた黒い雲が晴れ、夕日のオレンジ色の光が街を照らし出す。
城壁の上に立つ兵士たちから、地響きのような歓声が上がる。
ルークは城壁の片隅で膝をつき、荒い息を吐いていた。
短時間の連続転移は、彼の精神力を激しく消耗させている。
額から流れる汗を拭うと、目の前に冷たい水筒が差し出された。
見上げると、煤だらけの顔をしたレオンがニヤリと笑っている。
「お疲れさん。あんたがいなけりゃ、ここは間違いなく落ちてたぜ」
「お前もな。よくやってくれた」
ルークは水筒を受け取り、冷たい水を喉に流し込む。
戦場に静寂が戻り、遠くからアリアが手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。
三人は無言で拳を突き合わせ、勝利の余韻を分かち合う。
王都を救ったのは、伝説の勇者でも強力な魔法使いでもない。
物を運ぶことしかできない、小さな郵便商会だった。




