第12話「世界を紡ぐ郵便商会と、次元を呑み込む空間」
肺を押し潰すような重圧が唐突に消え去り、三人の体は硬い岩肌の上に転がり出る。
むせ返るような硫黄の匂いと、焦げた土の臭気が鼻腔を突き刺す。
ルークがゆっくりと顔を上げると、そこは現実とは思えない異様な光景が広がっていた。
大地は黒くひび割れ、生命の気配は欠片もない。
そして頭上には、空を真っ二つに引き裂く巨大な亀裂が口を開けていた。
亀裂からは紫色のどろどろとした瘴気が滝のように流れ落ち、大地を溶かしながら虚空の魔物たちを次々と生み出している。
最果ての荒野。
世界の終わりの中心地に、彼らはたどり着く。
「これが、亀裂の本体か。見上げてるだけで吐き気がしてきやがる」
レオンが短剣を両手に構え、苛立たしげに空をにらみつける。
彼らの出現に気づいたのか、無数の虚空の魔物たちが一斉にこちらへ向き直る。
多面体の結晶と黒い粘液で構成された群れが、波のように押し寄せてくる。
「アリア、楔の準備を! レオン、道を開けるぞ!」
ルークの叫びと同時に、レオンが地を蹴って前方へ飛び出した。
「燃えカスすら残さねえ!」
レオンの全身から噴き上がる真紅の炎が、凄まじい熱量を持って周囲の空気を歪ませる。
彼が短剣を交差させて振り抜くと、炎の斬撃が扇状に広がり、先頭の魔物たちを瞬時に蒸発させた。
ガラスが割れるような甲高い音が響き、魔物の結晶が砕け散る。
しかし、後続の魔物たちは味方の死骸を踏み越え、際限なく湧き出してくる。
ルークはレオンの背後から空間の揺らぎを展開し、無数の鋼鉄の槍を射出して群れの中央を穿つ。
アリアはその隙に、背負っていた巨大な楔型の魔法具を大地の裂け目に突き立てた。
「次元の波長、同調開始。空間の震えを固定します!」
アリアが楔の上部に両手を当て、自身の魔力を限界まで注ぎ込む。
彼女の銀色の髪が風もないのに激しく逆立ち、額から玉の汗が流れ落ちる。
楔からまばゆい銀色の光の波が放たれ、上空の亀裂へと伸びていく。
光の鎖が亀裂の縁に絡みつき、荒れ狂っていた瘴気の流れが一時的に緩やかになる。
周囲の空間がガラスのように固定され、魔物たちの動きが泥沼に沈んだように鈍る。
「今です、ルーク様!」
アリアの喉を振り絞るような叫び声が荒野に響く。
ルークは深く息を吸い込み、亀裂の真下へと歩み出た。
見上げるほどの巨大な虚空の穴。
それを自分の空間収納の次元に重ね合わせるという行為は、自身の脳内に直接熱した鉄串を突き刺すようなものだった。
ルークは両手を天高く掲げ、指先を大きく広げる。
『空間解放・限界突破』
ルークの咆哮と共に、彼の手のひらの上に黒い小宇宙のような歪みが出現した。
それは普段の収納扉とは比べ物にならないほど巨大で、深い漆黒の色をしている。
ルークはその漆黒の次元を、空の亀裂に向けて力任せに押し上げる。
二つの異なる次元が衝突し、空間そのものが悲鳴を上げるような凄まじい軋み音が世界を揺らす。
ルークの視界が赤く染まった。
目、鼻、耳から同時に一筋の血が流れ落ち、全身の血管が破裂しそうなほどの圧力を受ける。
膝が折れそうになるのを、ルークは奥歯を噛み砕くほどの力で耐え抜く。
「飲み込まれろ……!」
ルークの空間収納が、亀裂の端に食らいつく。
紫色の瘴気が漆黒の次元へと吸い込まれ始めた。
世界を引き裂いていた亀裂が、ルークの持つ見えない袋の中に少しずつ引きずり込まれていく。
その光景に危機感を覚えたのか、巨大な魔物たちが一斉にルークを目指して殺到してきた。
「あいつには指一本触れさせねえ!」
レオンがルークの盾となるように立ち塞がり、炎の壁を展開する。
群れから放たれた鋭い触手がレオンの肩を貫くが、彼は一歩も退かずに触手ごと魔物を切り捨てる。
血まみれになりながらも、レオンは鬼神のような形相で刃を振るい続ける。
アリアは楔を固定したまま、空いた片手でルークの背中を強く支える。
彼女の手から伝わる温かな魔力が、ルークの破綻しかけている精神をギリギリのところで繋ぎ止めている。
仲間の熱と痛みが、ルークの限界を超えた力を引き出していく。
「これで、最後だ……!」
ルークは両腕の筋肉をきしませ、空間の扉をねじり切るように回転させる。
空に開いていた巨大な亀裂が、まるで布が吸い込まれるようにルークの漆黒の次元へと一気に雪崩れ込む。
最後の一滴まで瘴気を飲み込んだ瞬間、ルークは空間の扉を固く閉ざした。
直後、周囲を覆っていた暗雲が嘘のように晴れ渡る。
最果ての荒野に、温かく澄んだ陽光が降り注ぐ。
空気を汚染していた瘴気は消え去り、残されていた魔物たちも亀裂という供給源を失って、灰のように崩れ去っていく。
世界の空が、本来の青さを取り戻した。
「やった……本当に、やりやがった」
レオンが短剣を取り落とし、そのまま背中から大地に倒れ込む。
アリアも魔力を使い果たし、膝をついて荒い呼吸を繰り返す。
ルークは力なく腕を下ろし、ぐらりと体が傾く。
しかし、倒れる前にアリアとレオンが両側から彼を支えた。
三人は泥と血にまみれた顔を見合わせ、誰からともなく静かな笑い声を漏らす。
空の向こうで、分断されていた世界が再び繋がり、人々が安堵の息を吐き出す気配が感じられるようだった。
距離の壁を超え、どんな困難な場所へでも希望を届ける。
それは、勇者パーティーの荷物持ちだった青年が立ち上げた、小さな商会の成し遂げた最大の配達劇だった。
吹き抜ける風が心地よく彼らの頬をなで、新たなる穏やかな時間の始まりを告げている。




