第10話 大地のサーバント
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浮島に足を踏み入れると、まるで別の世界に迷い込んだような光景が広がっていた。
小川が透き通った水をさらさらと流し、岸辺には名も知らない草花が群れ咲いている。頭上をうっそうと覆う木々の葉が揺れ、こぼれた光が水面にきらきらと散っていた。小鳥のさえずりが洞窟の静寂に溶け込み、ここが地の底であることを忘れさせるほどだ。
細い流れに沿って奥へと分け入ると——先頭を歩くカリオンが、不意に足を止めた。
「……! 誰かいるぞ」
声をひそめて後ろに手をやる。耳を澄ませると、パシャリと水の跳ねる音と、鼻歌が聞こえてきた。
木々の合間から覗くのは、小さな水場。そこで、二十代ほどの女性が水浴びをしていた。
「……な……なんだ?……女神か?」
カリオンが呆然と目を細める。
「……いや、たぶん死神だ」
俺は静かに剣へと手を伸ばす。じりじりと間合いを詰めようとした瞬間、シェリーの指が俺の頬をきゅっとつまんだ。
「覗き見なんて、趣味が悪いわよ! 何者か知らないけど、私が様子を見てくる」
「気をつけろよ、シェリー」
シェリーは単独で水場のほとりへ近づいていった。鮮やかな緑色の長い髪、きりっとした眼差し、整った顔立ち——神秘的な美しさをまとった女性だった。物音に気づいた彼女は、ゆっくりとシェリーへ視線を向ける。
「……お客さんね」
ばしゃん、と水の跳ねる音とともに、その右手が高く掲げられた。指の隙間から水がこぼれ落ちていく。
「この水のように——ぜんぶ、手からこぼれ落ちてしまうのよ」
「誰だ、お前は」
シェリーが剣を構える。
「私の名前はガイア。大地のサーバント。会いたかったわ——グリーンフィールドの守り人たち」
ガイアはそっと目を閉じ、ゆっくりと再び開いた。その瞳の周囲に、邪悪な黒いオーラがとぐろを巻いている。
「シェリー! 逃げろ!」
俺は咄嗟に叫んだ。
「ガイア・レイジ」
ガイアが低く、重く呟いた瞬間——彼女の肩口にステータス画面が浮かび上がる。
大地のサーバント——レベル80。
こんな序盤で出会うなんて!
次の瞬間、浮島が小刻みに揺れ始めた。地面の一部が突然、シェリーの足元から鋭い土の刃となって突き出る。
「きゃああああっ!」
間一髪、横っ飛びでかわす。その直後、第二波、第三波が連続で地面を割って噴き出した。
「うおおおおっ!」
「な……なんだあっ!?」
次々と地面が割れ、尖った岩が突き上がる。転がりながら必死で躱し続ける。さらに土と岩の混じった瓦礫が舞い上がり、頭上から一斉に降り注いできた。轟音と粉塵の中、カリオンの叫びが聞こえる。
「ちょ……めちゃくちゃじゃねーか!」
レベルの差は歴然だ。こちらの攻撃が届く気がしない。
「シェリー!」
俺はがれきの雨をかいくぐり、なんとかシェリーの横に辿り着いて耳打ちする。彼女は一瞬だけ目を閉じ、頷いた。
「……そうするしかないか……無茶しないでね!」
水場の中央でガイアは両手を天高く掲げ、光に包まれながら詠唱を続けている。
「わが創造神オブリビオンの名において——グリーンフィールドの守り人を殲滅する……!」
「……あいつ……イカれてやがる……!」
浮島が更に激しく揺れ始め、もはや立っていることすらままならなかった。
「ガイア・フォース……!」
ざらついた地鳴りとともに、拳大の岩のつぶてが嵐のように降り注ぐ。HPがみるみる削られていく。
「いて……いてえ!」
そのとき、シェリーとカリオンは波打つ大地を這うように進みながら、浮島から離脱を始めていた。
「カリオン! 急いで!」
二人は浮島と岸とを繋ぐ細い岬を渡り切ると、その根元にファイアドレイクの肉片を数個、素早くばら撒いた。
「フレア・ソード!」
カリオンが炎魔法をまとわせた剣を一閃し、肉片に着火する。
ドォン! ドォン!
激しい爆発音とともに炎が岬を飲み込み、繋がりを失った浮島が、ゆっくりと岸から離れていった。
「すまない、リュウジ! あとは頼んだぞ!」
これが合図だ。浮島は完全に洞窟から切り離され——今この島にいるのは、俺とガイアだけだ。
——ここなら、バーサーカーが暴走しても、仲間を襲うことはない。危険な賭けだが……これしかない。
ピピ……ピピ……
コンソール画面が赤く明滅し、警告音が鳴り響く。HPは残り3。降り注ぐ岩のつぶては容赦なく、わずかな体力を削り続ける。買い込んだポーションを立て続けに飲み干すが——それも底をついた。
(しかし……俺には、もう一つの切り札がある!)
「フラウ・デル・ソル!」
「ファイア・ウォール!」
その瞬間、聞き覚えのある声が浮島の対岸から響き渡った。
光と炎の防御魔法が体を包み込み、降り注ぐガイアの攻撃を弾き始める。
(——そうだ。俺には、仲間がいる!)
浮島の外周を迂回したシェリーとカリオンが、岸壁にへばりつきながら、魔力を振り絞って俺を援護していた。
「リュウジを守るのよ!」
「やっちまえ、リュウジ!」
声が枯れるほどの叫びが、洞窟全体に響き渡る。
(防御力も体力もガイアにはるかに及ばない——でも、仲間の力でカバーする!)
頭上から巨大な岩の塊が迫る。その瞬間——
ヒュン、と鋭い風切り音が鳴り、岩がぱかりと真っ二つに割れた。
「STRマックス、バーサーカーの力——今、解放する!」
剣を振るうたびに、迫り来る岩のつぶてが次々と消し飛んでいく。圧倒的な破壊力。意識の端が霞みはじめる。それでも足を止めない。ひたすら剣を振り続けながら、ガイアへと向かって突き進んでいく。
「おおおおおおっ!」
その鬼気迫る様に、ガイアがわずかに後退した。瞳に初めて動揺の色が滲む。
「……何なの……あいつ……きしょっ!」
両手を頭上高く振りかぶり、ガイアが叫ぶ。
「……これで終わり!」
「モノリス・ドラゴン!」
浮島の背後に広がる巨大な岩盤が——轟音とともに動き始めた。岩と岩が組み上がり、ぎしぎしと軋みながら形を成していく。茶褐色の巨体、鱗のように連なる岩の板。それは紛れもなく、ドラゴンの形だった。
「うお……お……お……」
意識が遠のきながらも、俺は空気ごとなぎ払うように剣を振り続ける。
そして——岩の鱗をまとった巨大なドラゴンが、咆哮とともに俺へと襲いかかった。
防御魔法を送り続けていたシェリーとカリオンが、突如出現した岩竜の姿に目を奪われる。
「な……なんなの!?」
「岩でできたドラゴンだ……! あんなものが、どうして動けるんだ」




