洞天脱出
俺は座禅を組み、目を閉じて体内の気を操る。
気を目と視神経に集中させ、体内を巡る気を確かめる。
ここから出る為にまず出入り口の使い方を見つけなければいけない。
出入り口はすでに見つかっている、というか入ったその日に見つかった。
小高い丘の頂点にある門。
もちろんそのままくぐっても門の裏に出るだけであって、この空間から脱出することは出来ない。
本来、空間を裂くなんていうのはもっと上の階梯――『開光』『結丹』でも無理で、その上の『金丹』の域に達しないといけないらしい。
だが、ここはちゃんと出入り口が存在する小世界で、そのための門が存在している。ただ、その門という設備を駆動するのに『築基』相当の気が必要なのだ。
『練気』段階では体内に気を巡らせ、経絡を活性化する。そして気を外に出し、初歩的な術を使うことができる。
だが、そこではまだ気の量はさほどではない。大きな術を使うためにはもっと強い気が必要となる。
体内を巡る気や自分の周囲にある気を全部かき集めたところで到底足りない。
そこで気をドロッとした液体のような状態にまで圧縮し、体内のタンクに貯蔵するというのが次の段階になる。この圧縮した気というのは練気段階に使える気の数十倍にまで高めることができるので、文字通り桁違いの術を使うことができるのだ。
そしてこの門は、その桁違いの気を必要としている。
「うん、いけそうかな」
結論として、門を駆動するのに十分な気の量は確保できている。
俺は実際に試す前に身辺を整理する。
この場所に飛ばされたのは高校からの下校時だった。ちょうど夏休み前だったので、置きっぱなしにしてあった物をたくさん持ったままだったのが幸いした。
髪――伸びた髪は面倒なので普段は後ろに流して縛ってあるが、大事に使って何度か研いだハサミで短髪にする。当時の髪型は覚えていないが長髪ではなかったのは確かだ。文房具のハサミなのでボサボサの仕上がりだが、さほど奇異には思われないだろう。
服装――今はほぼ裸に近い格好をしている。気候変化が無いのでそれでも問題無いし、気を巡らせると虫除けも出来る。下校時に着ていた学生服は原型を保っているので袖を通す。
実年齢からすると奇妙に思われるかもしれないが、他に着る物が無いからしょうがない。それに水を張った容器しか確認する方法がないのだが、46歳よりも16歳に近い見た目を保っていると思う。
仙道の修行を進めると、見た目の老化はほとんど無くなる。ただ修行が進むまでは加齢するので、今の肉体年齢としては20代半ばというところだろう。
それではやっぱり問題があるんじゃないか? 16の体と25の体は全然厚みも違う……いやいや、喜んで良いのかどうかわからないが、16歳の時点から俺は身長も体重も大して変わらなかったのだ。そういう体質だったらしい。
なので今、学生服を着て外を歩いていてもそれほど違和感はないだろう。問題はこれからのこと――加齢が緩やかということは人付き合いを長続きさせられないということだ。
同級生はもう立派な中年だ。そしてこれから老年になっていく。同窓会には絶対出席できない。
……まあそれは脱出出来てから悩めばいい。
俺は荷物をまとめ、ここまで俺を導いてくれた日記をカバンの空きスペースに詰め込む。大きな国語辞典ぐらいの分量があるそれを入れるのに教科書やノートなどを置いていくことになるが、いまさら必要じゃないだろうし、この先人の日記は貴重な宝物だ。
「……じゃあ、やるか」
正直不安はある。
30年経った世界で……さすがに家族は生きているだろうが、俺を俺だと認識してくれるだろうか? 30年前の姿のままだから覚えていてくれているとは思いたいが……
それに公式の立場だ。
30年間失踪していて、30年前の姿のまま現れる。失踪届はすでに死亡認定までされているだろうし、説明しようとしてもこんな人知を超えた体験が理解されるとは思えない。
さらにはこれからの生活だ。
どう考えても社会で普通に生活することは不可能だろう。不死とは行かないまでも常識外れの長寿命だ。むしろ外に出たらそのまま家に帰らずにどこか離れた場所で別人として暮らす方が良いかもしれない……でも一応家族の顔ぐらいは見ておきたい。義理の関係だったとしても、両親や妹には恩もあるし親愛の情もある。
「日記の人はうまく生きられたのかな」
古風とはいえ俺にも読める日本語で書かれていたし、最大200年の寿命だったらまだ生きているだろう。日記には名前も書かれていないし、個人的なことも断片的にあるだけで特定するのは難しいかもしれない。だが、出来れば同じ境遇を通過した者として一回ぐらいは話してみたい。
ああ、だめだだめだ。
余計なことを考えるのは出られてからにしよう。
俺は洞窟の中を一通り見回って、持ち出すものに抜けが無いか確認し、カバンを背負う。
再び視覚を切り替え、門に向かって出発する。
俺は洞窟を後にし、慣れ親しんだ自然の風景の中を歩く。
ずっと使っていたたき火の跡。
近くにあるので一番お世話になったミカンの木。
この空間の至る所から植え替えられ、そこそこの規模になった霊草、薬草の畑。
川の側に作ったいくつかの設備。
瞑想修行ばっかりで運動不足が心配になって3日ぐらいジョギングした草原。
そして、丘の上に到着する。
30年前から同じように存在する朱塗りの木製の門。枠だけ有って扉はない。
この空間には雨も降るが、全く痛んだようにも朽ちたようにも見えない。
そりゃそうだろう。
今見てもわかるように異様な雰囲気をまとっている。
空間をつなげるほどの力を持っている門なのだ。
俺は右手をかざして、体内の気を門に送り込む。
いままで何度か試したが、練気段階ではうんともすんともいわなかった。
だが、今は違う。
体内に感じられる圧縮した気を一気に手のひらから放出する。
すると、門の枠に囲われた空間の風景が歪み始める。
それは四方から煙が中心に向かって漂って来るような動き、だが漂ってくるのは煙ではなく力ある気だ。
やがて門の枠の内側が真っ白になり、向こうが見えなくなる。
さらに気を送り続けると、色が立ち上がってくる。赤が混じり始め、緑が、青が、黄色が、オレンジが、と続き、やがて七色のマーブル状の光る境界面がそこに現れた。
ここに飛び込むのはさすがに勇気がいる。
だがさらに気を込めてもその状態から変化が無い。
明日にしようか……
いや、先延ばししてどうにかなるものじゃないな。
俺は意を決して、そのマーブル模様の門にダッシュし、そのまま体当たりして突き破る。
ぱりん――という音はしなかったがそのようなガラスを突き破った感触で、おれは七色に光る空間に包まれ、そして一瞬後にはアスファルトの道路に倒れ込む。
周りは暗い。夜か……
よくよく考えてみれば、道路だから自動車が通りかかることもあるだろう。そして通行人に目撃されることもある。
その意味で人通りの少ない夜だったのは幸いだ。
素早く辺りを見回す――大丈夫、目撃者はいない。
そこまで確認して、周りの風景に意識が向かう。
見た感じ異様な雰囲気は無い。30年も経っていたら建物も建替えされているだろうし、道路だって何回かアスファルトが敷き直されているだろう。
そもそも原油枯渇で全部電気自動車とかになっているのではなかろうか?
だが――
見た感じ、道路の感じは30年前から変わっていない、というか……あの工事現場の看板、なんか見覚えあるんだが……




