第9話 奴隷市場と招かれざる客
「憂ちゃん、勉強のために連れていきたいところがあるの」
そう春燕に提案されたのは、彼女がやってきて二日ほど経ったころだった。
「なんですか?」
「まずは何も言わずに着いて来て」
そう言われてなにも聞けないまま、西の国の民族衣装のような布を被せられて、徹底的に白髪を隠されて、馬車に乗り込んだ。
着いたのは、工場街のような場所だった。作業着姿の人が行き来し、あちこちから金属音と、プシュー! という小さな爆発音、人々の掛け声が響いてくる。空気は焦げたような、煤のようなものが混ざっており、吸い込めば吸い込むほど咽てしまう。
二人は鼻と口を布巾で覆った。
「なんですか、ここ……」
「ここはね、能力者街。ここは金属を作っているところ。この街で働く能力者はほとんどみんなが帝国が所有する奴隷で、ここから出ることはできない」
「え……」
そんなものの存在を聞いたのは初めてで、憂は呆気にとられる。
「まあ降りてみましょう」
馬車を降りると、街の活気が伝わってきた。
「ここでね、奴隷市場があるの。行ってみましょう」
進んで行きたい場所ではなかったが、拒否する権利は憂にはないように思われた。
世界を知りたい――そう願ったのは憂なのだから。
歩いて行くと、この汚くて薄く曇った空気の中では場違いな、カラフルな看板が見えた。ストライプ柄のテントが複数ある。
今度は一気に空気に獣くささが混じった。
なのに、テントの前には露店がいくつか並び、お菓子などの軽食を売っていた。
奴隷市場といいながら、娯楽場も兼ねていることは、一目見てわかった。
――私はここをこれから見なければならないの?
布巾を押さえつける手が震えた。
最初に入ったテントは、カジノのテントだった。
何色にも明滅する照明。当たりが出るとベルが鳴らされて、うるさい。
こんなところで、ワインを片手に談笑する男女たちの気持ちがわからない。
煙草の煙さと酒の臭いが混じって、憂は気分が悪くなる。
目を瞑っても、ちかちかと網膜に焼き付いて、離れない。
「ここいるのは帝国貴族とか商人とか。次に行きましょ」
手を握られて、先に進まされる。
手に拘束具を嵌めた人たちが並ばされているところまで来る。
身に着けているのは、粗末な貫頭衣。
年端もいかない少女から、成人男性までが並んでいる。老若男女――と言いたくなるが、老人はほぼいない。労働者として高齢者は向かないということなのだろう。
「さあさあ、今日の目玉商品は、付与術師の一族の子供! 付与術師の出品は珍しいよぉ、見ておいき。見ておいき」
「病気はないのか? 歯をみせろ!」
「歩かせてみろ!」
やいのやいの、客が騒ぐ。
奴隷の子供に向けられた声なのに、キンキンと憂が直接言われているみたいに胸が痛くなった。
人だかりの後ろの方で、春燕と憂はひそひそと会話する。
「付与術師はわかる?」
憂は首を振る。
「まあ、だいたい想像できるかもしれないけど、物体に異能力を付与できる人たちのこと。首飾りとか、馬車とか。ほら、私たちが乗っている馬車も付与術師が気配遮断をかけてる」
「そうなんですか……」
「まあでも基本は彼らは隠れて住んでる。付与術師が異能を付与した物品は、魔法道具として売られていることも多い」
二人はテントを出た。会場から離れても、うるさい司会の声が耳のなかで反響して、ぐわんぐわん頭の中が揺れていた。
「知ってる? 能力の発現は血筋が関係しているって。世の中では能力者は前世の宿業が関係しているって言うけど、あんなの絶対うそ。この世界には神様なんていないからね」
「全然……その前世の宿業の話とかも聞いたことなくて……血筋、ですか……? 遺伝ということですか?」
「そう。だから実は、島の聖女と、あなたは家系が近しい」
「え……し、親族?」
急に、憂の頭の中に、両親の存在が浮かぶ。先生に両親のことを訊ねたとき、両親は死んだと言われた。祖母も祖父も生きていない。そう言われ、そう信じ込んできた。
それ以外に親族がいる可能性を考えたこともなかった。
「帝国では、聖女は二十年に一度程度、能力が発現する。島の聖女が没したあとも、何度か、帝国では聖女が覚醒したけれど、どの子もみんな、なにかで殺されたり事故に遭ったりして、今残っているのは憂ちゃんだけ」
それは黎明が語らないことだった。
「……私、そもそも疑問だったんですけど、なぜ能力者は、能力を持っているのにこんな目に遭っているのですか?」
初歩的すぎて、ずっと黎明に訊けなかったことを、ついに訊けた。
「歴史を知らないんだね、憂ちゃんは」
そこから春燕は話し始める。
「帝国は千年以上続く国だけれど、ずっと昔から縮小と拡大を繰り返してきた。為政者は能力者が多かったのだけれど……。百年ほど前の帝王が残虐な人間で、能力のない徒人を殺し合わせることが趣味だった。自分も数多くの徒人を殺す人でね。まあいわゆる暴君」
そこで一度言葉を切り、また再開する。
「能力者のなかでも彼に嫌悪を持つ者は多かった。で、徒人たちは力を合わせて、国家を転覆させた。いまの治世の流行は『能力者嫌悪』。能力者をとにかく差別して、差別して、貶めるっていうのが正義になったの。また帝王に能力者がつけば話が違ってくると思うけど。徒人はみんな能力者を恐れている。恐れからくる差別ね。これは」
「そうなんですか……」
「塔に収容されなければ……、そして黎明にさらわれなければ、憂ちゃんもここに並んでた」
憂の心が揺れた。
馬車に乗り込む前に、この街のテントのほうを仰ぎ見る。
――こんなの、醜い。
「おい、待て!」
そのとき、にわかに人だかりのほうが騒がしくなった。
大人たちの足の隙間から小さな子供が、弾け飛んでくる。
「おい、逃げたぞ! 追いかけろ!」
その子供は前も見ずにがむしゃらに走って、憂にぶつかった。
「きゃっ」
いつぞやのように、子供にぶつかられて、しりもちをつく。
その子供は真っ赤な顔をして、泣いていた。
「お母さんっ!」
子供が叫んでいる。
「私、あなたのお母さんじゃ……」
「おい、取り押さえろっ!」
「お母さん、どこ――っ!!」
駆け寄ってきた大人たちが奴隷の子供の手足を掴んで引き戻すまで、子供は母を呼ぶ痛切な叫びをあげ続けた。
――自分もあんなふうに泣いた日があったのだろうか。
気がつけば、憂は涙をこぼしていた。春燕に知られるのがなんとなく嫌で、袖で拭ってしまう。黎明に泣いているところを見られたのは大丈夫なのに、なんだか春燕に見られるのは嫌だった。
すぐに涙は収まったが、なにか、大事なものが零れ落ちた気がした。
先生は私に外の世界を教えなかった。外の世界は危険だからって……。
こんなに残酷なことを教えずに、いままで私を欺いて――
憂の胸は痛んでいた。キリキリと痛んで、血を流しているようだった。
◆
その日の翌日、報せが舞い込んだ。
館をいきなり訪れたのは、麦色の髪に薄い水色の目をした、憂の見覚えのある人。
帝国で流行しているドレスを着て、館に付き人と共に訪れた彼女は、憂の手をとった。
「憂、こんなところで、暮らしていないで、いっしょに城に行きましょう。そしてまたいっしょに塔で暮らしましょう」
「先生……」
憂はごくりと唾を飲み込んだ。
「先生が私に真実を教えてくれるなら、いっしょにいきます」
先生を見つめる憂の目には、昏い光が宿っていた。




