第8話 春燕という女
憂が朝の支度をしていると、とんとんと扉がノックされた。
「どうぞ」
扉を開けた先にいたのは、黎明と知らない女の人。
黒髪を猫の耳のように編み込み、大胆なスリットが入った帝国服を着ている。
胸は大きく、腰は引き締まり、赤い唇の端は吊り上がっている。
派手な化粧をしている、美人なお姉さんだった。
「朝早くにごめんな。こっちは、春燕だ。春燕、こっちの小さいのが憂」
「あら、かわいいじゃないの? 十八歳って聞いてたけど、ずいぶんと幼いこと」
幼いの部分が、グサッと憂の胸に刺さった。黎明もそうだし春燕も憂を子ども扱いするのか。
「まあ、いいわ。仕込み甲斐があるじゃない」
にんまりとしている春燕に、憂は少し不安げに眉をよせた。
「あの、仕込み甲斐って? 春燕さんはなんのためにここへ?」
「ああ。春燕は憂の話し相手に、と思うてな。春燕は叔父貴の娘。俺の姉のような人やから、安心したってな。いつも国じゅうをうろうろしてるんやけど、今日帰ってきたから、ここに泊まっている間は世話頼むかな、と思うて。同性の話し相手いたほうがいいやろ?」
「話し相手……」
「ほら、女の子だったら、化粧も覚えたほうがいいでしょ? 世界のこともいろいろ知りたいだろうし」
世界が知りたい――という気持ちはあるものの、少し抵抗を覚えた。
「あぁ……まあ、はい。嬉しいです」
でも憂は内心を隠し、そう答える。
「今日は掃除とかいらんから。二人で話といてくれや。要るものもあるだろうし‥‥…外出は護衛つけたるから一言断ってな」
そう言うと、黎明は手をひらひらと振り、二人を置いて出て行ってしまった。
◆
引き続き、憂の部屋。化粧台に座らせられて、憂は髪を梳かれていた。
服装はまた緩い感じの白いワンピース。
鏡には困った顔の憂が映っている。
「最低限しか、ケアされてないみたい。ちょっと痛んでるわね。綺麗な銀髪なのに、勿体ない。これ流行の櫛。見て、椿の飾りが綺麗でしょ? こういうの好き? 気に入ったらなら、あげる。椿が嫌いなら、珊瑚の飾りもある。どっちが好きとかある?」
「あ……あの」
「っていうか、黎明ってダメダメね。女の子の世話なんて任せられない。さすがおじさん。……まぁでも、私は黎明より年上だから、黎明のことおじさんって言ったら、あたしもおばさんになっちゃうんだけどね。あは」
「お二人とも綺麗なので、そんなふうには思いません。お兄さんとお姉さんです。あの……」
「ああ、ありがとう。ねえ、ほかに黎明のことで、困ってることない? あたし、ガツンと言ってやるわ」
そこでようやく春燕の言葉が途切れたので、憂は必死になって言った。
「あの、黎明さんは春燕さんのこと、姉って言ってましたけど、け、奥さん……とか、婚約者じゃないんですか!?」
――気になっていたことだった。
叔父貴の娘という立場に、黎明は今は組の首領。
そうなっていてもおかしくないと思った。
だが。
「あらら、そこ気にしてたの? あたしと黎明はほぼ姉弟よ。あいつが野良犬みたいだった頃から知ってるし、デカイ殴り合いの喧嘩もしたし、あいつと結婚するとか考えたくないなあ。てか考えただけで、無理。気持ち悪い。あいつも同じだと思う」
それを聞いて、憂の胸のつかえが少しとれた。
春燕はまだ言葉を続ける。
「たしかに叔父貴がいよいよ亡くなるってところで、次期首領とあたしを結婚させようという向きもあることにはあったよ。でも私も黎明もそんな気一切ないし。あ、まだあいつ、結婚とかしてないから、安心してね? てか憂ちゃんって黎明のことが好きなんだ。えーかわい」
むふっと春燕がにやける。
憂は急に恥ずかしくなって、頬を赤く染めた。
「あの……本人には言わないでほしいんですけど」
「もち。てかてかてか、黎明のどういうところが好きなのよ? 顔? あいつ顔だけは良いよね。性格は悪いけど」
「顔……も良いとは思いますけど、それだけじゃなくて、強いのに、繊細なところもあるのに惹かれますね。あと、危ないところを……ずっと助けに来てくれるので」
「ふうん。王子様に見えるってわけ? 聞いておいてあれかもしれないけど、憂ちゃんは今、黎明しか傍にいないから、あいつのことが好きだと錯覚しちゃってるのかもしれないよ? 黎明を好きな気持ちをすっごく変とか言うわけじゃない。でも憂ちゃんは世界にあいつと憂ちゃん自身、二人しかいないって思ってるのかも」
「それは……」
たしかにそれは否定できない事実だった。憂は黎明が好き。たぶん、ずっと変わらず好き。でも黎明は憂の気持ちを、一過性のものみたいに――春燕が言ったように考えている。
「どうしたら、私が本気だって、認めてくれるんでしょう?」
「んー……」
春燕は少し渋い顔をして、黙ると、
「たぶんあいつ、自分のことを幸せになって良い人間だと思ってないから」
と言った。
「……そう、なんですか」
「それよりも、まず、化粧品を買いに行きましょうか。いろいろ見てあげるから」
話を濁された感があったものの、憂はうなづいた。
◆
露店で氷菓子を並んで食べる。
以前、黎明と一緒に食べてから、氷菓子は憂のお気に入りになった。
「春燕さんは恋人とかいるんですか?」
「いるよ。三人くらい」
「さ、三人……? どうやって知り合ったんですか?」
「まあ、叔父貴のつながりのある貴族かな。帝国貴族が一人。まあこの人は後ろ盾なんだけどね。あとは旅の途中で知り合った行商人が一人。この人はよく一緒に旅してるよ。残り一人は怪我をしているときに助けてくれた、各地を放浪している闇医者かな」
「へ、へぇ~。喧嘩にならないんですか?」
「ならない。最初に言ってるから。……ちなみに闇医者とはここ三年くらい会ってないかもしれない。でもたぶん生きてるんだと思う。だからまだ恋人」
「結婚とかは……?」
「しない。面倒だし。それにあたしは子供を育てられる性格じゃない。まだまだ知らない場所に行ってみたいし。放浪はやめられない」
自由に生きてる人なんだな、と憂は思った。
囚われていない、人生を謳歌している人。
憂はここに来て、初めてそんな人に出会ったかもしれない。
「憂ちゃんもここを無事に切り抜けられたら、自由に生きられるかもしれないよ。そしたら、どう生きたい? なにかになりたいとかあるの? 夢とか聞かせてよ」
「夢……ですか」
憂は考えこんでしまう。
そのとき、脳裏に天体望遠鏡が閃いた。
「星の学者……にはなれないかもしれないけど、星について詳しくなりたいです。人に説明できるくらい、詳しく」
「星好きなの? いいじゃん、ロマンがあるぅ」
それですら、黎明が教えてくれたことなのだけれども。
春燕に憂は笑った。
二人はいっしょに化粧品を見て回り、いくつか購入して、また馬車に乗って帰宅した。
◆
「どう?」
夕食の席。
黎明の前に、憂は立たされていた。
恰好は、流行の帝国衣装。
髪の毛は、三つ編みにし、瞳の色の合わせた薄紫色の花の髪飾りで留められている。
「ずいぶんと可愛くなってん」
憂は恥ずかし気に、手をもじもじとさせた。
恥ずかしくて黎明のほうを見られない。
顔には白粉を乗せて、アイラインをひいて、唇には紅をさしている。
「でしょでしょ、可愛いでしょ。やっぱり元がいいからね、憂ちゃんは」
「せやなあ。まあ化粧した姿も可愛らしいけど、化粧せんでも可愛いよ。俺はどっちも好きや」
びっくりして、顔をあげると、黎明はにかっと笑った。
その日、一日が終わるまで、憂はうきうきとした気分で過ごした。
春燕に教えてもらった方法で、化粧を落とすと、なんだか魔法が解けた気分で疲れた。でもよく眠れた。
二人が夜に交わした会話など知らないまま。
…………。
………………。
「セイレーンが帝国に出入りしているのはキナ臭いぞ」
「わかってるわよ、それくらい」
陶器の器で酒を煽りながら、春燕は答える。
ここは黎明の自室。二人掛けの洒落たテーブルに着き、二人は酒を酌み交わしていた。
春燕は国内の様々な場所で、様々な伝手を作り、情報を仕入れてくる諜報員。
今日はその報告だった。
「聖女肯定派も動き出している。あの、碧桜もね……。近いうちになにかが起こる」
「ああ、耐えたるわ。これ以上、聖女を……能力者を、駒にするのを許すわけにはいかん」
「憂ちゃんのためにも頑張ってね」
「備えるためにも、能力者の世界を、憂に教えたってくれ」
「りょーかい」
春燕は少し、顎に手をあてて、考えるそぶりを見せた。
「ときに、弟。嫁に迎える気はないの?」
「誰を?」
「えーっと、ほら、憂ちゃんとか」
「あるか、んなもん。あいつは子供やぞ。それに俺と一緒になるやつは、絶対苦しい想いをさせてまう。かわいそうや」
「そーよねえ。でも、あなたが考えるよりも、憂ちゃんは大人かもよ?」
「なんやそれ。大人だったとしても、……」
黎明は言葉を切った。
酒の器のなかで揺れる琥珀色の液体が、黎明の緑の目を一瞬映す。
「あいつを自由にすることに、意味があるんや」
春燕は苦笑した。
「あんたもまだ若いわね」
「若いってどういうことや!?」
黎明に怒られても、春燕は笑っていた。
――相手を自由にしたい、という気持ちだって、愛情の一種。
いつか黎明自身が気が付くことがあれば、憂ちゃんの望むほうへと転がるのかもね。




