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第10話 憂の自由《黎明視点》

 碧桜ビーインといえば、帝国内では有名な、革新派の貴族だ。

 碧桜ビーインシーとは碧桜家の末娘にあたる。


 策を弄して政治の対抗勢力を削ごうとする腹黒爺の一人娘。未婚で箱入り。


 容姿端麗な者が揃う貴族のなかでも、西の血筋を感じる茶金の髪に明るい水色の目。

 長い髪を額の真ん中で左右に分け、小柄で胸はなく、落ち着いた雰囲気の女だ。


 なぜ黎明リーミンが無能力者である彼女のことを覚えているかというと、彼女は、聖女を保護する塔の管理者だったからだ。


 端的に言ってしまうと、彼女が、ペイシャンの先生である。


黎明リーミン様、本日、館に碧桜が来訪したとのことです。憂様にすでに接触済み……と」


「アホ。なんで接触を許したんや、無能ども」


 黎明リーミンが部下にそう吐き捨てると、テーブルの対面の座っていた男たちはわずかに身じろぎした。

 薬の売人・武器の売人たちとの交渉。こうして話し合いをして薬の流通量を制限している。

 ここにいるやつらは強面だが、内心は黎明リーミンの出方を窺う小心者だと知っていた。


 黎明リーミンは嘆息して席を立った。


「会議は後や。急用ができたんでな」


 言い置いて、背を向ける。

 馬車に乗り、館に急ぎ向かう。


 そのころにはもう、憂と碧桜の話はついていた。

 黎明リーミンの予想外の方向へと。


 ◆


「おかえりなさい、黎明リーミンさん」


 扉を開けると、憂はそう言った。

 声音だけはいつも通りであることに、黎明リーミンは安堵する。

 どうやらいじめられてはいなかったらしい。

 

「碧桜さんのとこのお嬢さん、俺あんたのこと知っとるで。あんた失礼やと思わんの? 予約もせずにウチの嬢ちゃんと話そうなんて、金積んでも足らんで」


 黎明リーミンは憂の隣に腰をおろす。ソファは音をたてて軋んだ。


「初めまして、黎明リーミン様。わたくし、碧桜家の末娘、碧桜・シーと申します。お噂はかねがね」


「俺が碧桜家に手を出したら粛清対象になる。でも、そんなもん俺が怖がるとでも? なんでもかんでも許すとは思わんでほしいなぁ」


 薄く笑いなら睨んでみるが、碧桜・織は笑みを浮かべるだけだった。

 ――こいつ、本心が読みにくい。

 相対したのは初めてだが、苦手な感じがする。貴族らしい貴族だ。

 けっ、と声に出してしまう。


黎明リーミンさん」


 憂が黎明リーミンの手に、手を重ねた。


 てっきり応酬をやめてほしいだけかと思ったが――


「私、先生といっしょに行きます」


 憂ははっきりそう言った。


「…………」


 耳がおかしくなったのかと思った。

 黎明リーミンは、少し口を開いて、閉じた。


「……まずは理由を聞くわ。なんで?」


 憂は首を振った。


「私の意志、です。理由は私と先生だけが知っていればいい。すべてを話す必要ない。でしょ? 黎明リーミンさん」


「俺はあんたに世界のことを黙っとったわけでは……」


「いいんです。春燕チェンイェンさんにいろいろ教えてもらいました。それに、黎明リーミンさんの気持ちは、私、とてもよくわかってるから」


「わかるわけないやろ。俺の気持ちなんて」


 即座に言ってしまい、後悔する。

 脳裏に蘇るのは島の国の聖女・柚月ヨウユェの虚ろな目。


 ――あんなふうに、憂になってほしくない。


 傷つけたくない。守りたい。


 光のところにいてほしい。


 俺が血みどろに汚れてもいいから。


 すっと口を引き結ぶ。


「俺は認めない」


黎明リーミンさんに認められなくても、私は先生と一緒に行きます」


 憂は言葉を続けた。


「私は自分の目で、確かめます」


「なあ……碧桜さん。あんた憂をどないして脅したのん? 話によっちゃ殺す」


 織は微笑んだだけだった。


「憂には選択肢を与えただけです。わたくしと行くか、あなたと居るか。憂が選んだのはわたくしのほうです。それに知っていますよ。あなたへの依頼」


「あんた……」


「本来の依頼人は、あなたへ聖女の殺害を頼んだはずでしょう? なぜまだ殺していないのです? 憂を守り、保護者面しているあなたがなにを考えているかなんて、推測することしかできませんけど」


「…………どうしてそれをっ」


 憂に一番知られたくなかった事実を開示され、黎明リーミンは一瞬言葉を失った。こんなふうに伝えるはずの事柄ではなかった。場合によってはずっと伏せておこうと考えていたのに。


「憂はわたくしと来たほうが幸せになれるはず。黎明リーミン様が憂のこれからに口を出す権利はないと思うのですが」


 しれっとした碧桜にイライラを抱える。


「なあ、憂。いまからでも撤回して。俺にはあんたがなにを考えているかわからん。どう見ても、脅されてるやろ!?」


黎明リーミンさん……」


 黎明リーミンの手を握る憂の手に、力がこもっていた。


黎明リーミンさんは私の意志を尊重してくれました。今回も、そうしてくれますよね。私、先生と一緒に行きたいんです」


 あかんわ。こいつ、梃子でも動かん。


 憂の目を見て確信する。


 気持ちがない人間を動かすのは、無理。

 一瞬、言うことを聞かせることはできても、今後、絶対に関係に綻びができる。


 数々の交渉をしてきた黎明リーミンには、わかっていた。


「……わかった」


「理解を得られてなによりです。さあ、行きましょう、憂」


「はい、先生」


 憂は黎明リーミンの手を放し、立ち上がる。


 待て、と言いたかった。


 行くな、と命令したかった。


 だが、できなかった。


 憂はモノじゃない。


「碧桜の嬢ちゃん、覚えとけよ」


 ふっと、最後だけ、碧桜・織は勝ち誇ったように笑った。





 二人が出て行ったあとで、黎明リーミンは目に手をあてて、唸っていた。


 すでに部下には、碧桜を追跡・監視するように命令している。


 ――俺、嫌われたんかな?


 好かれているように感じていたけど、それは勘違いだったのか?


 憂がなにを考えているのか知りたい。

 憂の体温が名残惜しい。

 あの純真な目が、無垢な表情が、名前を呼ぶ声が、恋しい。


「あーあ……」


 認めるのは少し癪だった。


 ――俺、憂ちゃんのこと、気に入ってたんやな……。


 能力者云々の話の前に、人として気に入っていた。


 そばに居れよと言い聞かせていればよかった。


 もう遅いが。


「…………」


 目元から手を離す。

 露わになった黎明リーミンの目は、獰猛な光が宿っていた。


春燕チェンイェン、居るんやろ?」


 問いかけると、空気が揺らいだ。

 目は誤魔化せても、体温は誤魔化せない。生温い空気の流れと、花のような匂いで、春燕チェンイェンの存在は感じ取っていた。


「いるよ」


 声がして、ふとそちらを見ると、大胆なスリットの入った帝国服を着る春燕チェンイェンが立っていた。

 春燕チェンイェンの能力は、自身の姿を気付かれないようにする能力である。諜報に長けた能力だ。


春燕チェンイェン、あんた、憂に余計なことしたやろ?」


「あんたが世界を見せろって言ったから見せた。それに仕方ないじゃん。籠の中にずっと収めておけるような小鳥ちゃんじゃないよ」


「それはそやけど、意地悪に思えてしまうな」


「んー多数の選択肢の中から、あんたのことを選ぶ。それが健全でしょ。世界に二人しかいないなんて不健全。逃がしちゃったなら、また取り返せばいいじゃない」


「ほんま性格悪い女やで……姉じゃなかったら蹴り倒してる」


「あはは」


「落とし前つけてもらわんと困る。働いてもらうで」


 と言いつつ、黎明リーミンは体に力がみなぎってくるのを感じていた。


 自由にしてやる。

 光の世界へ戻れるようにしてやる。


 そうして憂に問おう。


 なにが憂の幸福なのか。

 なにが憂の救済になるのか。


 必ず訊ねよう――


 黎明リーミンは手を組み、もう一度目を瞑った。


 

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