第4話 魔女の名をほしいままに
【この世界には、能力者と徒人がいます。
これからお話するのは、世界中に散らばっている能力者のなかでも聖女といわれる人たちです。
聖女は人の傷を治癒することができます。
聖女の力を持つ人たちは、古くから崇められて大事にされてきました。
これはそんな聖女が招いた、災厄のお話です。
どうか風化しないように、私はここに記します。】
憂はそこまで読んで、本を閉じた。
あまりにも表現が乏しく、読書として面白味がないというのもあるし、この簡素な文章でなにか重大なことが書かれているようだと察した。
もしも読んでしまったら後に引けなくなるような、そんな気がした。
数日経っても、憂は本を読めないでいた。
薄い本なのに。世界のことを知らなきゃいけないのに。あれほど知りたいと望んでいたのに。
――今は全然知りたくない。
この本を読んで、自分が傷つかずにいられるのか、自信が持てなかった。
夜更けである。
憂はどこか心細くなり、耐えられなくなって、カンテラを持って屋根裏部屋を出た。
黎明に会って、話がしたくて、たまらなくなった。
彼の声を聞くと落ち着く。なぜだかわからないけれど。
憂に本を与えてから、ここ数日、黎明は外出しっぱなしだった。夕食の席も彼は帰って来ず、一人で食べた。塔での生活と同じはずなのに、この館での一人の食事は、食べ物を飲み込むのが苦しかった。
なんとなく予感がして、書斎に行くと、扉の隙間から灯りが漏れていた。
ノックをすると「どうぞ」と黎明の声がした。
「なにをしているんですか?」
「天体望遠鏡を覗いとるんや」
黎明は今は三つ編みをとき、ゆったりとした寝間着を身につけていた。新鮮な姿だった。
書斎の窓際に厚い布をかけられているものがあったのは覚えている。
今日はその布が外されてある。三脚に支えられる大きな筒のようなものが天を仰ぐように斜めに設置されていた。
「ほら、ここ覗いてみぃ」
言われるがまま、小さな硝子の穴を覗き込むと、丸くてでこぼこのある薄い黄色がかったものが見えた。
「……? これはなんですか?」
「月」
「月!? あの夜空に輝いている、月?」
硝子穴から目を離して、思わず月を指さしてしまう。
「せやで。こういうものも見える」
すこし筒の位置をずらしてから、また硝子穴を覗き込ませてもらう。
「綺麗な色……」
桃色と青の発光しているような、煙状のものが、星々との間を漂っていた。
「あれはなんですか?」
「わからん」
「わからないんですか?」
「今はまだ研究途中、っていうのが現時点での公表」
「……へえ、綺麗ですね」
「せやろ。俺、望遠鏡覗くの好きやねん。未知のもんがあると嬉しゅうて」
「未知のものがあると嬉しいんですか?」
憂は今は、聖女・世界……未知のものが怖いというのに。
「私は未知のものが怖いです。傷つけたり、傷つけられたりする可能性がある、じゃないですか……知らないままでいたら、楽なのに。知らないままでいたら傷つかないで済むのに……って今は思っちゃって」
「怖い思うんも普通や。けどな、長く生きてると思うねん。この世界は穢れたものばかりで、綺麗なものなんてないって。それが俺の世界の常識。だけど、まだ誰も答えを知らんもんを見ると、この世界も捨てたもんやないと思える」
「え……?」
「この世界にはまだ、穢れていない綺麗なものがあるんじゃないかと希望を持たせてくれるんや。世界を知ることは絶望を知ることでもある。でもけして闇だけじゃない、闇があるならきっと光もどこかにあると期待させてくれる。……それに手つかずのもんは、知的好奇心がくすぐられるやん? なーんて、このセリフと状況、ちょっと夢想家か」
黎明は歯を見せて笑った。
希望――
たしかに未知の世界に踏み出して、黎明と出会えたのは、今憂を支える希望になっている。
知らない事柄にも、希望は隠れているかもしれない。
「そうですね。私にとって黎明さんは希望です。出会えて本当に良かった。私、最近とても楽しいんです。塔で生きてたら、こんな感情、味わえなかった。未知の人と出会えて嬉しいっていう感情も知らないままだった……」
黎明は口を閉じた。
少しだけ困ったように、上を見つめてから、落ち着いた声を出した。
「本、読めてへんのやろ?」
「……わかりますか?」
「知るんも、知らんままでおるんも、自分で決めたらええ。読む、読まないも、自由選択。誰かに答えを押しつけられて生きるんは、塔で十分やったやろ」
「私、どうしたらいいかわからないです」
「知っとる」
「怖いです」
「せやろな」
「知ってしまったら……私は……」
「憂」
そこで黎明は目を合わせた。
「知ったとて変わらんものもある。知らないとて変わるものもある。全部、自分で決めたらいいんや」
「…………」
「お前が何者か、俺は決めへん。俺は聖女だろうが、聖女でなかろうが、仕事なら請け負う。守れと言われたなら、なにがなんでも守る。絶対に」
「意地悪な言い方……でも、ここにいていいって……言ってくれるんですね。ありがとう……ございます」
憂の目から熱い雫がこぼれた。
思わず黎明に抱きつき、声をあげて泣いてしまう。抱き返してはくれないが、背を軽くぽんぽんとされる。
「俺の胸は高くつくで」
「払えません。私、給金も支給されてない、ただ働きなんで」
「ハハッ。言うようになったやん。せやけど、逃げたらどうなるかわかってるよな? 逃げたらジリ貧になるだけやで。あいつらは着々とこっちに迫ってくるんやから。そして嫌なときに、殴ってくるんや。こう、カツーンと」
「はい……」
「負けたらあかんで。自分にな。もう夜も結構更けたな。そろそろおやすみ」
部屋に帰されて、憂はその日ぐっすりと眠った。
早朝、いつもより早く目が覚めて、曙光のなかで、本を開いた。
【この世界には、能力者と徒人がいます。
これからお話するのは、世界中に散らばっている能力者のなかでも聖女といわれる人たちです。
聖女は人の傷を治癒することができます。
聖女の力を持つ人たちは、古くから崇められて大事にされてきました。
これはそんな聖女が招いた、災厄のお話です。
どうか風化しないように、私はここに記します。】
【帝国歴2000年。南の国と島の国では、戦争が起きていました。肥沃な土地を得たいために、南の国が海を挟んだ隣国へ侵攻を開始したのです。
戦場は海辺へと集中。数多くの能力者を従えた南の国の侵攻は著しく、亡骸が累々と重なり合う、過酷な戦場へとなりました。
劣勢の島の国。島の国は能力者が少なく、奇跡を起こせる人は限られていました。そこで島の国では破れかぶれに、聖女が戦場に送り出されることになりました。
息も絶え絶えの亡骸になりかけている者をもう一度蘇らせて、兵士として使うという計画でした】
あまりの内容に、憂は口の中がからからに乾いていくのを感じた。
話が、予想していたよりスケールが大きく、悲惨だった。
【計画は実行されましたが、そこで誰もが予期していなかったことが起こりました】
【聖女の力は治癒ではなく、生命を、新しいものへと変化させる能力でした】
【治癒はその力の上辺の部分だけだったのです。細胞を進化させる過程で、傷が治ったように見えていただけでした】
【聖女の力が奮われた戦場では、肉の樹が生まれ、この世のものとは思えぬ醜悪な怪物が生まれ、人を飲み込みました。そこにあった植物も虫も鳥も一様に人の背丈をゆうに超えるほど、大きくなって、既存の生態系とはかけ離れた世界へと変貌を遂げたとされています】
【島の国は人が住める環境ではなくなってしまいました】
【聖女の力は災厄の魔女の力】
【忘れてはなりません】
本はそう締めくくられていた。
憂は茫然としたまま、本をぱたんと閉じる。
そうして。
数分して、あまりの世界の醜悪さに吐き気を催して、嘔吐いた。
私って本当にこの本に書かれている聖女なの?
だとしたら、私は封じられるべき災厄じゃないの?




