第3話 聖女の力
憂が我に返ると、汚い路地を歩いていた。薄汚い恰好のゴロツキっぽい人が歩いているし、ゴミがテキトーに捨てられている。なんだか魚の腐ったような、生臭さも鼻をつく。
憂はさきほどの表通りとの違いにびくびくとしながら、しかし戻り方も戻っていいのかもわからず、内心途方に暮れていた。
さきほどの子供はこちらを曲がっていた気がする、と思いながら、走ってここに辿り着いた。頭から黎明と離れたらいけないだとかなんとか、すっぽり忘れていた。
生まれて初めて、本気で怒っていた。癇癪を起こして先生にあたることは幼いころはあったけれど、物心ついてからは、そんなことはほぼなかった。
自分の激しい怒りにも、憂はびくついていた。
「あ……!」
あの子供がいた。
しかし、なんだか様子がおかしい。
大人に囲まれている。
「おい、おれの取り分だ……! 返せ!」
「どうせスリでとってきた金なんだろ? だったら俺様に渡すのが道理だよ」
「なにが道理だ……! 返せ!」
「この世界は常に強いものが暴利を得ている。俺様がお前から金をふんだくるのも道理。弱肉強食ってこと」
子供は財布であろう布袋を、大男にとられて、取り返そうと躍起になっている。
子供の頬には殴られたような赤い痕。
周りの大人たちはゲラゲラと下品な笑い声をあげている。
「あ、あのー……」
明らかに危険な状況であったが、憂は声をかけてしまった。
「ん? なんだこの姉ちゃんは。ガキの姉ちゃんか?」
「いいえ! ええと……私の指輪を返してもらえないでしょうか、えっと、そこの男の子」
「指輪!? んなもん知らねえよ!!」
子供に逆ギレのように言われ、憂は少し怯む。
「で、でも、指輪、落ちてなかったんです。だから、あなたが盗っていったんだと思って……」
「盗ってないったら、盗ってない」
だが、大男から財布をとろうと、子供がジャンプすると、ぽろんとなにかが零れ落ちた。
それは、憂の指輪だった。
「ん? こいつはガキの姉ちゃんが探してる指輪じゃねえの?」
大男が指輪を拾い上げて、憂に見せつける。
「それです! 返してください!」
「まさか……素直に返してやるわけねえよ。な?」
大男が周りの男に呼びかけると、皆、にやりとした笑みを浮かべた。
「まあ、そのほっそくてちっこい身体じゃ、なーんも期待できねえけど、ご奉仕してもらおうか。こーんな偽物の石のやっっっす~い指輪を奪い返しに来て割に合わねえかもだけどよ」
「え……!?」
憂はまるきり予想していなかった展開に、困惑してしまう。
憂は社会経験がなさすぎて、ゴロツキがどういう思想で、どういう危険なことをするのかまったく想像できていなかった。
彼らが迫ってくるのに、憂は後ずさりをする。
が、逃げ切れるわけもなく――
「うっあ……!」
頭を上から鷲掴みにして引き寄せられて、憂は呻く。
――怖い、助けて!
――黎明!
「うちの嬢ちゃんに、なにしてんだ」
「黎明!」
背中側から、黎明の声がした。
振り返ることができないが、彼だということがわかる。
「ふん、誰のもんに手を出そうとしとるかわかっとるんやろうな?」
表情は見えないけれど、凄んでいるのはわかる。
すっと、頭を鷲掴みにしていた手が離れる。
それから周りに寄ってこようとしていた大人たちも、たじろいで、後退していく。
「これは、これは、黎明様。ご機嫌はいかがで……」
「機嫌がいいわけないやろが。疾く去ね」
「はいいいぃぃ」
情けない叫び声をあげて、ゴロツキたちは逃げ帰った。さきほど子供から奪った財布も指輪も放り出していく。
後に残ったのは、スリの子供と、憂、黎明の三人だけ。
黎明は、落ちた財布を拾い上げた。
「……ったく、周りもよう見んと走んなや。危ない場所にも踏み込むな。指輪一個で命捨てる気か。アホにも程がある」
「ごめんなさい」
憂は指輪を軽く拭き、指に嵌めなおした。もう二度と、なくさないように。
憂はさきほど、黎明が助けに来なかったときのことに想像を巡らし、また急に怖くなった。どれだけ自分は危険なことをしていたのだろう。
黎明が来てくれてよかった……。本当に、良かった……。
子供は二人に寄ってきて、しばし躊躇っていたが、突然声をあげる。
「あの……黎明様って本当ですか? あなたが超越者なんですか……?」
「そんなダサい能力名、今は呼ぶ人おらんわ」
「でもあなたは……あなたは……貧困街のみんなの憧れ……」
「昔の話はよしな。血なまぐさい話をする気はないで。あんたも家に帰りぃ」
子供がすこし怯んだ。
「ねえ、ここ、殴られたんですか……? 腫れているような……」
憂はつい気になってしまい、子供の頬に触れた。
そのときだった。子供の頬に触れた指先に、光が灯る。一瞬にして、赤みが引き、腫れも治まる。
わずか二秒程度の奇跡に、憂はなにが起きたかわからない。
戸惑っているうちに、黎明の、はあっというため息で混乱から醒める。
「いまのことは他言無用だ。絶対にな。誰かに言うたらわかっとるやろな」
黎明は子供にそう脅しつけると、憂の腕を急に掴んで、表通りへと歩き出した。
……。
…………。
路地裏にひとり取り残された子供が、頬を触りながらつぶやく。
「聖女……災厄の魔女だ……」
◆
人の少ない路地にある屋台で、黎明と憂は休憩することにした。
憂は氷菓子を食べながら、隣に座る黎明に問いかけた。
「あの……前々から気になっていることがあるのですが、質問してもいいですか?」
「ええで。答えられることなら、なんでも答えたる」
「領地とは……? 黎明は領主なの?」
「いや、ちゃうで。俺はただの悪党の元締め。領主はべつにいる。けどなあ、まあ、これも政治やねんけど、俺らは手を組んでるんや。だからここは俺ら・組の領地と呼んで差支えない」
「……?」
「俺が強すぎるから、普通の領主じゃ、俺らを押さえつけられないんだ。だから領主は俺らに権力を与えた。暴力・薬・怪しいこと全般、そして異能力、この街すべての無法に悪党の法をひくのが、俺の仕事。まあ、縄張りの、元締めやな」
それから黎明は異能力について話してくれた。
「基本的には、俺らの組は主に異能力者が集っている。俺が最も強いから、俺のところに集まるのは、そうやね。集まって力を貸してもらう代わりに、俺はあいつらを庇護している」
「私も……?」
黎明は少し遠い目をした。
「聖女さんは、例外的に、俺の手に負えない能力かもしれん」
「そうなんですか……?」
「聖女の力についてもっと知りたい?」
「はい。……そもそも、私って、聖女なんですか……? 一回もそう呼ばれたこともないし……私は……」
息がつまった。
胸の奥にじんわりと、先生が思い浮かんだせいだった。
麦色の長い髪の、先生。先生は一度も憂を、聖女などと呼んだことはなかった。
「じゃあ、ええもん買ぉたる」
かき氷を食べ終わったあと、黎明は古本屋に寄った。
購入した本を手渡されて、憂はそのタイトルを読み上げる。
「『聖女、あるいは災厄の魔女について』……絵本?」
「読みやすかろうと思ってな。帰ったら読んでみぃ」
「わかり……ました」
本を胸に抱いて歩く。
その帰り道のことだった。とぼとぼと迎えの馬車まで歩く。あとで聞いたがこの馬車は異能により、視認しにくくなっているらしい。塔から逃げる時も、この馬車に乗ったから、敵から勘付かれなかったという。
とぼとぼ歩いていると、不意に。
「ちぃっ」
黎明が急に舌打ちしたと思ったら、後ろを振り返った。
「ついてきてる輩はなに? 出て来や」
大きな声が路地に響いた。
憂の頭の中は「???」だったが、道の陰になっているところから実際に人が現れると、恐怖で固まってしまった。
刺繍の入った黒い布を被った、長身の、おそらく女だった。黒い布は体に張り付き、胸を、腰を、ぴったりと浮き上がらせている。
「…………」
「誰や。名を名乗れ」
くっ、と女は肩を震わせた。
そして、バッと、布を脱ぐ。
露わになったのは、薄い麦色の髪に褐色の肌が印象的な、踊り子衣装の女であった。腹も胸のあたりも、露出しており、憂は一瞬顔を赤くしてしまった。
「久しぶりじゃない、黎明。セイレーンよ、セ・イ・レーン♪ まさか私の気配を忘れちゃったの?」
セイレーンはにっこりと笑っている。
「あんたなんか気配遮断の能力でも身につけたんか? あんたなのか確信持てへんのやけど」
黎明の纏う空気は緊張しているが、セイレーンと名乗った美女の喋り方は独特のイントネーションがあり、気が抜ける。
「んー別に? 魔術具ってやつを、中古屋さんで買って持ってるだけよ~。特別なことはしてないわ。それより、私の財布を返してもらうわよ」
「財布、ああ、財布な」
黎明は懐から布袋を出し、差し出す構えをする。
セイレーンはゆっくりと近づいてきて、その布袋を受け取った。
「ねえ、あなた、握手しましょ」
もう離れていくだけなのだと思っていたら、セイレーンは急に憂に話しかけた。
「え? あぁ……」
黎明の顔には、余計なことすんなやと書いてあったが、憂は応じてしまう。
握手、というものに馴染みはないが、本で読んで知っている。
右手を差し出されたので、憂も右手を出した。
ぎゅっと握りこまれ、女性のしなやかな手の筋力にわずかに驚く。
「ふうん、あなた、やっぱり……」
セイレーンは憂の目線に合わせるために屈んで、手にした布袋から、大きな紫の石がはめ込まれた首飾りを見せた。
「これはね、私の友人の形見なの。いる?」
「えっ、な、なんで私に」
予想しない言葉に、憂は反応できない。
「あなたと友人が似ているから♪ 私、本当は全部見てたの。あなたがスリの子供と、その周りの大人たちに突っ込んでいくの。勇敢だと思ったわ」
にこにこと言われて、目の前の人物への怪しさがわきあがってくる。
「勇敢? アホの間違いやろ」
黎明もそう言っている。
「……でも、それって思い出の品なんですよね。だったらあなたが持っているほうが、友人さんも喜ぶのではないでしょうか? 私はその友人さんについてなにも知らないし、受け取っても、大事にできない……」
「そうかしら? きっと、友人も喜ぶと思うけれど」
「セイレーン、もういいだろ。離れろ。帰るぞ、憂」
憂の肩に、黎明が触れて、前を向かされる。
二人の背中に、セイレーンの明るい声がかかった。
「黎明のお姫様は、私にとってもお姫様だわ!」
――お姫様?
憂は黎明の顔を見たが、口を引き結んだ顔から感情はうかがえない。
「首飾りを取り返してくれたお礼は必ずするからね!」
黎明の既知なのは推測できるけど、なんだか掴みづらい、よくわからないお姉さん――と憂は思った。
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