第21話 雪姫と鏡と星蘭の命
憂は雪姫の広いベッドの上に寝かせられたが、一睡もできないまま、朝を迎えた。
「おはよう、聖女さま。ゆっくり寝られた?」
眠れるわけがない。
朝食が部屋に運ばれてきたが、また生き血が容器に入れられている。
臭いだけで吐き気を催し、嘔吐いてしまう。でも本当に吐いてしまったら、雪姫が豹変するかもしれない。手で必死に口元を抑えた。
朝食は二人分用意されていたが、そもそもなにも食べる気が起きず、また毒かもしれないとも思い、手をつけられなかった。
「雪姫様の能力はなんなのですか……?」
「わたくしの能力? 【この土地を浄化する能力】。だから泉の周りでは花が咲き、泉はいつも澄んでいて、この都市では疫病は流行らない」
「……血を摂取したところで、効果は変わらないと思います」
「そう思うでしょ? それが違うのよ、実は。生き血を飲めば飲むほど、私の能力は拡大するの。血が能力者のものなら、なおさら」
雪姫は鈴を転がすような笑い声をあげた。
憂はまたぞっとして、雪姫から目を逸らした。
怖くて直視をしていられなかった。
「……私、探している子がいるんです。星蘭っていう、黒髪褐色肌の小さな女の子なんですけど。ここに捕らわれているのではないですか?」
「牢に行ってみる? あまり綺麗なところではないけれど」
「星蘭がもしここにいるなら……彼女だけでも逃がしてくれませんか」
「ふふ、じゃあ代わりに、あなたになにができる?」
憂は答えに詰まった。
「……なにも」
「なにかひとつお願いをきいてもらおうかしら」
食事が終わると、雪姫は召使を呼んで、ネグリジェを脱いだ。
憂はぎょっとしたが、傅かれる身分というのは、人に着替えさせてもらうのが当たり前で、だから人前で裸になることに抵抗がないのだろう。
骨の浮いた、肉付きの薄い身体。
喋らなければ、お人形さんのように美しいのに。
憂は雪姫の一挙手一投足にびくびくとしてしまう。
簡素なドレスに着替えて、髪を召使に結ってもらうと、雪姫は立ち上がった。
「さあ、行きましょう」
◆
地下牢は冷たく、空気は淀んでいるかと予想していたが、幽かに風が吹き抜けており、臭いはそれほどこもっていなかった。
ただ濃い血の臭いだけ、こびりついている。
牢にはたくさんの女性が閉じ込められていて、憂たちを見ると、
「助けて!」
「ここから出して!」
と叫んだ。
「お慈悲をくださいませ」
そう泣きながら訴える若い女の子もいる。
「ここにいる皆さんを解放することはできないのですか」
憂の握りこんだ拳は震えた。
「だめよ。わたくしの糧になってもらうの」
「どうして……こんなことを……」
「それは決まっているでしょう。わたくしがこの国の君主であるからよ。議会制になったって、わたくしが王族であることは変わりない。国民を守護し、この地を守らなければならない」
そういう雪姫の声は、自信に満ちていた。
微塵も自分のしていることに、疑問がないようだ。
「それでも、雪姫様のやっていることは、間違っています。無為に命を奪ってはいけません。彼女たちにも母親がいて、家族がいて、帰るべき場所があるかもしれない……! 彼女たちには人それぞれの人生がある! 地道に生きている人間なのですよ!」
「無為じゃないわ、ちゃんと理由があるもの。それに栄えある花の国のために、その命を捧げているのは、とてもよく立派なことよ」
お話にならなさ、鉄壁の意志を、感じとった。反論しても無駄だ。
憂は今すぐここで【進化】の能力を使ったらどうなるか想像してみたが、それは雪姫とは別種の恐怖を感じる行為だった。
震える手を押さえつける。
「……見つけました、星蘭ちゃん」
憂は指差す。
牢の奥に、あの鏡を覗き込んでいる星蘭がいた。
皮肉なことに、奴隷の服と鎖は牢の景色に馴染んでいた。
牢番に言って、鍵を開けてもらい、星蘭のみを連れ出す。星蘭だけしか助けられないことに、憂の胸は罪悪感でいっぱいになった。
当の星蘭は、この事態がよくわかっていないのか、鏡を持ってぼうっとしている。
「じゃあ、さっさと行きましょう」
牢の前を通り過ぎる途中、小部屋の扉が開いていた。
そこには、人間大の大きさの鉄板に、杭がたくさん刺さった器具が置いてあった。
あれは人間を押しつぶして、血を採るための器具だ。
なぜか憂は、そのことがすぐさま理解できてしまった。
――雪姫の能力がなければ、国が途絶えるというのなら、こんな国、滅べばいいのに。
湧き上がってくる黒い思念を、憂は止められなかった。
◆
嫌がる星蘭を、召使たちは風呂に入れていた。潤沢なお湯を使った、帝国式の風呂である。さすが雪姫の住む城というべきか、お金がかけられている。
星蘭は召使たちに唸って、それでもなお触って来る彼女たちを噛んでいた。悲鳴があがるが、雪姫が「綺麗にするまでわたくしの部屋にはいれない」と命令したせいで、召使たちもやめることができない。
騒がしい風呂の時間だった。
憂はその光景を少し離れたところで見ながら、考えていた。
星蘭について知っていることは少ない。
咲夜と行動を共にしていること。
喋れないこと、元奴隷であること、鏡をよく見ていること。
もしかして鏡に、姿見以外の効果がなにかある?
――ものに能力を付与できる、付与術師がいるとういう話を思い出す。
浴室の椅子に置かれたその鏡に目がいくが、それは星蘭の大事なもの。勝手に触る気持ちにはなれなかった。
入浴後、雪姫の部屋のテーブルに三人はついていた。
星蘭は貫頭衣ではなく、上から被せるだけのワンピースを着せられて、雪姫の前に座っている。いや、座らされていた、というべきか。足首に枷をつけられて、座ることを余儀なくされていた。
ワンピースを着せるときも、椅子に座らせようとしても、暴れて大変だったのだ。
しかも子供がいやいやするときの可愛い暴れ方ではなくて、噛むわ、ひっかくわで、人間の原始的な暴力を行使するやり方だった。
憂はこれほどまでに暴れる人間を、見たことがない。
「星蘭ちゃん、自分がどういう状況なのか、わかっていないの? わたくしの命令ひとつで、その命、消し飛ぶのに」
そう言う雪姫の声も、呆れ気味だ。
「星蘭ちゃんを逃がしてあげてください」
「まあ、ちょっと遊んでからね」
雪姫は、するりと立ち上がり、憂のところまで来る。そして、憂の服に手をかけた。そのまま脱がそうとする。
憂は服を押さえた。
「な、なにをするのですか?」
「なにって、うふふ、野暮な質問ね」
「あ、ありえない……!」
憂は混乱した。
「わたくし、背徳的なことが好きなの。子供の前でそういうことをするのも、じゅうぶん、背徳的だとは思わない?」
「狂ってる!」
叫んで、憂は席を立った。
雪姫から距離をとる。
「うふふ、わたくし、女の子が好きでね……」
そのとき、ガッシャンと音がした。
星蘭が持っていた鏡が落ちて割れた音だった。
「まあまあ」
雪姫がなにを思ったのか、星蘭に近寄っていく。一人では着換えもできない、傅かれる身だというのに、人の落としたものを拾う?
もしかしたら、憂と同じく、付与術がかかった魔道具だと思ったのかもしれない。
そして雪姫は身を屈めて、足元の鏡を拾おうとしたとき――
「ぅがぁっ」
星蘭は椅子を倒す勢いで、雪姫に嚙みついた。
途端、凄まじい悲鳴が、雪姫の口からあがる。
星蘭はそのまま前のめりに倒れてしまい、噛みつきはすぐに止まったが、雪姫は悲鳴を上げ続けて、腰をぬかしたようだった。
すぐさま召使たちがやってくる。
召使たちに雪姫は「この者を捕えなさい! すぐに処刑よ!」と騒いだ。すぐに星蘭はひっとらえられ、連れて行かれる。
一連のことに呆気にとられて傍観していた憂は、扉が開きっぱなしであることに気がついた。
今なら、逃げられるかもしれない。
けれど、足は動かなかった。
憂の胸には確信があった。
――生きてさえいれば、絶対に黎明が来てくれる。
雪姫が召使たちに囲まれて、隣の部屋のベッドに運ばれている間、憂はついに割れた鏡を覗き込んだ。
そこには、誰も、憂自身すら、映っていなかった。
不吉なものを感じて顔を歪めると、不意に顔が映った。
その顔は憂の特徴そのままに、年齢を重ねたような姿をしている。
「憂。こんな形で、会えるとはね」
声が響いてきて、憂は驚く。
「だれ……!? お母さん!?」
特徴が驚くほどに通っているので、そう口にしたが、鏡の中の人物は心底嫌そうに首を振った。
「誰がお母さんよ。私はスキルツリーの頂点、悲哀神。いい? 今から大事なことだけ言うわよ。絶対に、絶対に、聞き届けるのよ」
神だなんだと信じられない気持ちだったが、ごくりと唾をのむ。
「黎明を過去から解き放つの。そして、あなたは幸せになるの」
予想していたよりは、あっさりとした言葉だった。
「あなたは神様になりたい? 私みたいに、時間から、現実から、放っておかれた場所で、永遠に歳をとらないまま、漂っていたい?」
「……いいえ」
「黎明を大事にするのよ。黎明と精一杯、現実で生きて、生きて、生き抜くのよ」
その言葉に、憂の心の奥底がわずかに動いた。
「あなたはなぜ……」
私に似ているの?
と問いかけようとしたときだった。
粉砕音が、轟いた。




