第20話 旅人が消える噂の真実
「さっき、咲夜さんが部屋に訪ねてきて……」
「扉開けたんか?」
「開けてません、でも、扉越しに会話して、それで……」
黎明は舌打ちをした。
憂はびくっと肩を揺らしてしまう。
昨夜、黎明を感情的に拒絶してしまい後悔していた。
けれど今はお酒の匂いをさせて帰って来た黎明が、怖い。
なにを考えているのか、憂では察する事が出来ない。もし黎明が本当に怒っていて、ここでお別れになってしまったら、悔やんでも悔やみきれない。
――どうしよう、どうしよう……。
「関わらんほうがええ」
「なんでそんなこと言うんですかっ」
惑いの最中にそんなことを言われて、思いのほか強い口調で反抗してしまった。
黎明はため息をつく。
「俺は嬢ちゃんが怪我をしないことが大事、嬢ちゃんが一番大切。ほかの人は関係ない」
大切と言われて、また目尻に涙が浮かんでくる。
「大切でも、私のこと、伴侶としては……」
――認めてくれないんですね。
黎明だけが欲しいのに、どんな黎明だって、いいのに。
汚れていたって、過去になにをしていたって、なんだっていいのに。
言葉じゃ伝わらないなら、……。
黎明のほうへさらに身を寄せようとした瞬間、乱暴なノックが響いた。
憂の体は止まってしまう。
「僕です、咲夜です! 扉を開けてくれませんか!?」
扉を開けると、ぜえぜえと息を切らした咲夜が立っていた。恰好は整える暇もなかったのか、昨日のままだ。
「朝早くからごめんなさい、お二人とも……。星蘭を探すのに、協力していただけませんか!? もう頼れる人がいないのです」
黎明と憂は目を合わせた。
そして、黎明はやれやれと言ったふうに肩を竦める。
「俺ら、なんでも屋さんちゃうねんけどな……。嬢ちゃんが望むなら、協力したるわ」
「ありがとうございますっ!」
それから三人は宿の受付に話を聞きにったり、往来の道に開いている店などに尋ねに行った。だが、やはり、誰も知らないという。
「それで星蘭を最後に見たのはいつや?」
「実は祭のあとすぐにいなくなってしまって……ふらふらと一人で出かけてしまうことはたまにあったので、そのときは気にも留めず、夕方になれば帰って来ると思っていたんです。それなのに夜が明けても……」
「ふらふらとひとりでって、あんな幼い子をひとりで歩かせたらアカンやろ。あんたの初動ミスや」
「……はい、すみません」
「警官には?」
「もう伝えました」
人に尋ね歩く途中で「旅人はよく消える」と口にした人がいた。
頭巾をかぶった年寄りのおばあちゃんと、それを支えて歩く若い孫の二人組。
その噂自体は、咲夜も知っていたし、憂たちに警告したこともあったが、続く情報は誰も聞いたことのないものだった。
「旅人はよく消えるのさあ、あれはね、鮮血姫が食ってるんだと噂よ」
「鮮血姫?」
憂は訊ね返す。
「ああ、この国がまだ君主制だったころの王族が、この都市の端の城に住んでるのさ。政には直接関わらず、花の国の象徴として、生かされている王族さね。今の王族の一人娘は、雪姫様というんだけれども……この娘は、気が触れていると噂でね。あだ名は鮮血姫」
「ばあちゃん、そんなこと言ったらいけないよ。警官に聞かれたら大問題だ」
孫のほうが咎める。
「そう、鮮血姫に関わったら消されるってもっぱらの噂だからね。旅人さんたちも気をつけなされ」
そう軽い口調で言って、おばあちゃんと孫は往来に消えて行った。
「鮮血姫……、気になりますね」
夕刻、宿に戻り、三人は話し合った。
「咲夜、俺と来い。情報屋を探すぞ。憂は宿で待っていろ」
「わかりました」
黎明と咲夜が連れ立って出て行き、憂はベッドに寝転んだ。ふうっと息を吐く。今日は疲れた。ほぼ泣き明かして、徹夜みたいなものだったし、黎明も同じく疲労していることだろう。
そのとき、トントンと軽めのノックが響いた。
憂は身を起こす。扉の前まで行き、声をかけてみる。
「だれ……? もしかして星蘭ちゃん?」
帰って来た、ということもありえなくはないだろう。
そう思ってのことだったが――
ガチャリ、と、開錠の音が聞こえた。
鍵は黎明しか持っていないはずなのに、扉が勝手に開く。
「え?」
その先にいたのは、白装束を着た複数の男たち。
憂は後退りするが、逃げ場はもちろんない。
男たちは憂の肩を乱暴に掴むと、ドスの利いた声で「来い」と言った。
憂は顔色を悪くさせたまま、従うしかなかった。
◆
憂は目隠しをされて、牛車で運ばれた。
目隠しを解かれたのは、どこかの建物に入り、扉をくぐり抜けたあとだった。
「おい、跪け」
男にいきなりそう言われ、憂は床に膝をつく。
目隠しを解いて、きょろきょろする暇もないが、ここはどこかのお屋敷――もしかして城? の中のようだった。跪かせられている先には天蓋つきの白いベッドと、そこに座る白い影を捉えていた。
「よい、顔をあげよ」
高く、あどけない、幼き声だった。
憂が顔をあげると、少女の全貌が露わになる。
その少女は銀糸の長い髪をベッドにひろげており、繊細な白い睫毛に縁どられた瞳は艶やかな紅玉のようだった。肌は血の気のない白さで、纏うものは体の輪郭が透けた薄いネグリジェ。歳の頃は十五前後だろうに、はっと息を呑むような、美貌を持つ娘であった。
憂は予感していた。
この娘は――例の。
「わたくしは雪姫。気軽に呼び捨てで結構よ、聖女サマ」
やはり。
「私が聖女だってどこで……」
「あら、わたくしの目と耳は都市に張り巡らされているのよ。舞台の上の奇跡、それから帝国での目撃情報。二つが合わされば、特定も容易いこと。わたくし、あなたに会えるのを楽しみにしていたの」
「私をどうするつもりですかっ!?」
憂は大きな声で訊いてしまった。
雪姫の背後には巨大な権力が動いている。
その力の動き方が、今の憂には怖かった。
雪姫は口元に手をあてて、品よく笑った。
「搾り取ってジュースにする、なんてことはないから、安心しなさい。あなたはわたくしのお友達」
迂遠な言い方に、憂の不安が募る。
「姫様、今日の祝福の酒をお持ちしました」
扉の向こうから、女の召使の声がした。
「いいわよ、入りなさい」
「失礼します」
召使が持っていたのは、硝子のカップと容器。
容器になみなみと注がれているのは、赤黒い液体――
視認すると同時に、むせ返るような生臭さを感じる。
《《その液体は》》
「まさか、血を飲んでいるのですか……!?」
「ふふっ、あなたも飲んでみる? 処女の生き血。この血のおかげでわたくしの能力は強くなるのよ」
「そんな莫迦な……人を殺しているのですか!?」
「まあ、そんな怖い顔をしないで。こうやって、再利用もしているのよ」
姫はベッドの横からなにかを取り出す。
それは一見すると、ただの本だったが、再利用というのであるから、そんなわけあるまい。
「もしかして……」
「ええ、人の皮を使った本よ。日記帳。やはり人の皮は、人の手によく馴染むと思わない?」
戦慄した。
なんの罪も理解していない、幼い笑みと、その邪悪さ。
少し話しただけで、彼女の怪物性に、恐怖を抱く。
憂は体の震えが止められなくなって、自分自身を抱いた。自分の世界を、倫理観を、その輪郭を確かめようとするように。
「な、なにが目的なのですか……? 私はここで死んでも構わない。でも黎明さんたちには手を出さないで」
「黎明? あぁ、帝国の黒社会にそう呼ばれる男はいたわね……。まあ、聖女さまのことは殺さないわ。わたくしのお友達って言ったじゃない。あなたはこの国に保持されて、戦争の抑止力となる。より強く強く、この国を富ませる材料になる」
姫は生き血の入ったグラスを煽った。
「そう、わたくしたちは、これから一緒に暮らすの。ふふ……」
憂は自身の足首から上まで、血の気が引いて行くのを感じた。
◆
宿に戻った黎明と咲夜は、無人の部屋を眺めた。
室内は荒らされた痕跡はなく、ただ鍵が開いていただけだったが、黎明は異変を感じ取った。
「憂が俺の言いつけを破って、自分から出ていくはずがない」
「同一人物の犯行なのでしょうか」
「知らん。けど、はよ見つけんと……憂もそっちの嬢ちゃんも、死体で見つかるかもしれへん」
黎明は、憂に見せたことがない、怒りに満ちたおそろしい顔をしていた。




