第18話 心のゆらぎ、関係のゆらぎ
空は青く晴れ渡っていた。家々に飾られた旗が風になびく。
いくつかあるうちの広場、憂の目の前には今、立派な音楽隊がいた。
太鼓、管楽器、シンバル。
威風堂々とした音色が響き渡る。
遠くから聞こえる、ドンドンという鈍い祝砲。
今日は花の国の祝祭の日だ。
政治家の当選祝いも兼ねている。花の国は議会制で、当選した議員たちは決められた日に揃って祝われる。
道にはたくさんの出店が並び、人々は賑やかにお祭りを楽しんでいた。
「黎明さん、あっちも見に行きましょう!」
音楽隊の演奏は、一曲だけでは終わらない。
しかし、憂は立ち止まるのもそこそこに、いろいろなものに興味を惹かれて、黎明の袖をひいた。今日は憂と黎明は、帝国風のラフな格好をしていた。例によって、憂は白いワンピースだ。
「ええよ、見たいもの全部見ようや。欲しいもんも選びぃ。値段なんか見ぃひんと、なんでもひとつ、買ぉたるわ」
そんなことを言われたけれど、憂は少し心配になる。
半年前に帝国を脱して以来、黎明の貯蓄? を食いつぶして旅をしており、二人は労働していない。
大丈夫なのだろうか? と金銭事情が気になってしまう。
懐事情を心配するのは下世話かもしれず、直接は聞きづらかった。
――我慢、しなければ。
憂は唇を引き結ぶ。
――見るだけだって、じゅうぶんお祭りは楽しいんだから!
今回は見るだけよ、見るだけ!
……という決意はどこへやら。
一時間後には、黎明は手にたくさんの食品を抱えていた。
小麦粉を溶いて焼いた生地に肉を挟み、ソースをかけたもの。
内部に甘い水を溜めているというフルーツ。
肉の串焼き。胡椒をふり、一緒にチーズとトマトをのせた円盤型のパン。複雑な甘さの、七色のジュース……。
どれもこれも憂が「黎明さん、あれ美味しそう!」と言ったものを全部買ってくれた。
――欲望に負けちゃった……。
黎明が見ていないところで、ぴえっと泣いてみる憂である。
「ここらへんで座って食べな」
都市に複数あるうちの広場のひとつ、中心の大きな舞台に対して、すり鉢状に席が設けられている場所に一緒に座る。
「黎明さん、これ美味しいですよ」
「ほんま? じゃあもらお。そこまでにこにこして食べてくれるんやったら、買うた甲斐があるわ」
黎明と一緒にご馳走を味わっていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、咲夜と星蘭が立っていた。今日は二人はこのあたりの農民が来ている、独特の刺繍入りの服を着ている。背に楽器を背負い、二人は憂も買った円盤型のパンを持っていた。
「お祭り、楽しんでるみたいだね? ここ、いいかな?」
咲夜は憂ににこりと笑いかける。
「ええ、どうぞ。私たちもそのパン……」
憂が言いかけて、急にけたたましく鳴った楽器の音に遮られる。
笛と打楽器だ。
舞台のほうを見ると、踊り子たちが現れ、軽やかにステップを踏み始めていた。
踊り子はしきりに観客席に向かって、手招きをしている。
おいで、おいで、と言うように。
実際に若い娘たちが舞台に上がり、ステップを踏み始めると、観客がざわめき、女や若い男性たちが続いた。
「行ってみませんか?」
「え?」
咲夜は、憂に微笑みかける。その微笑みは女性の心を掴んでしかるべき甘さを含んでいたが、憂は一切心が動くことはなかった。
「行ってき、行ってき。せっかくの祭なんやから、楽しんで」
咲夜のことが気にならないのか、黎明もそんなことを言う。
――本当は黎明さんと行きたい。
けれど、大量の食品と荷物を見ている人が必要だし、こんな大勢が見ているところで陽気に踊るような人でもないのは知っていた。
「わかりました、黎明さんがそう言うなら」
憂は内心を押し隠して、咲夜の手をとった。
星蘭はなにやらまた熱心に鏡を覗き込んでいる。
二人だけで舞台に向かう。
舞台に上がる人数は数えきれないほど、大勢になっていた。
憂は咲夜の導くままに、ステップを踏み、くるりと廻ってみせる。
「上手、上手」
そう咲夜に褒められても、憂はあまり心が弾まなかった。
――黎明さんといるから楽しいのに……。
周りからは、きゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえるけれど、憂と咲夜の間は静かだった。
憂は繋いだ手を見るふりをして俯いたまま、ステップを踏んで、回転を続ける。
妙な空気を和ませようというのか、咲夜は咳払いした。
「ところで、憂さんたちは、なにを目的に旅をしているんですか?」
「未知のものを見に行っているんです。咲夜さんたちは?」
「……僕たちは平和な土地を見つけたくて。楽園を探しているんです」
「楽園?」
「はい。でも、今はそう穏やかなことを言っていられなくなりそうなんですけどね」
「なぜですか?」
「妹の仇を見つけてしまったから」
「……妹さん? 復讐するんですか?」
大事なことを聞いた気がして、憂はぱっと咲夜の顔を見上げた。
咲夜は仇などと重大なことを口にしておきながら、口元には笑みを浮かべていた。軽やかな、なにもかも受け入れたような表情。
頭のなかにさまざまな疑問が浮かぶ。
「ええ、まあ、僕は負ける気しかしませんけどね」
そのとき、舞台の上の人間がざわめいた。
誰かが悲鳴をあげている。
それに反応して、舞台から人が逃げていく。
人が割れた先に見たのは、刃物を振り上げる女と、腰が砕けて動けない女。
そしてそばで口に手をあてている男。
刃物の先は、血がついていて――
「だめっ」
憂は咄嗟にその人に向かって手を伸ばした。
瞬間、金色の燐光が舞い、怪我人に光が収束する。
「……っ」
憂は伸ばした手を引っ込めた。鼓動がどくどくと脈打っていた。
憂がしたのは、手を伸ばしたことだけ。それ以外は皆見ていない。
皆、憂よりも奇跡が起きた怪我人のほうに気をとられて――そして、その間隙に、刃物を持った女は数人の男に組み伏せられていた。
「憂さん、あなたは……」
間近で見ていた咲夜は、さすがに気付いたようだった。
「はあっ、はあっ」
だが、憂には答える余裕がなかった。【聖女】と憂を呼ぶ声が、耳元に聞こえる。幻聴。肩で呼吸する憂を、咲夜は抱き寄せて、席につれて戻った。
――肺が苦しい。きちんと空気を吸い込んでいるはずなのに、呼吸がうまくできない。苦しい。どうして……。
視界に涙が滲む。
何かを言う余裕がないまま、黎明におぶわれる。
そのまま、体が怠く、制御を失っていき――気付いた時には、宿の部屋だった。
「嬢ちゃん、目ぇ覚めた?」
「黎明さん……」
「過呼吸になったときはな、息を吐かないとだめやで」
「……黎明さん、私のこと……どう思ってるんですか?」
黎明は助言をくれているのに、憂はぼうっとしたまま、心に浮かぶことを思い切って訊ねてしまっていた。
「え? どういう意味で?」
「その、私のこと、女だと思ってくれてるんですか!?」
「え!? こんなときに!?」
「……ずっと気になってたんですけど、言えなくて」
憂の目尻から、涙がこぼれた。とめどなく、溢れてくる。
「もうこんな力いらない……いらないけど、でも、黎明さんが一緒にいてくれる理由はこの力がある《《おかげ》》だとも思っていて。だから私ずっと……」
この力がなければいいのに、と憎々しく思う一方、憂は感謝もしていた。
きっとこの力がなければ、憂は黎明と出会うこともなかったのだから。
「……憂」
黎明が寝ている憂の手に、自分の手を重ねる。
「……憂には、もっと明るい道を歩んでほしいと言ったのを覚えてるか? 光の下を歩いてほしいって」
「覚えていますよ」
「俺じゃなくて、もっと、陰のない人間が、憂に合うんじゃないかと思っとる」
「そう、ですか……」
気がついてはいた。
咲夜の部屋に行っても、彼と踊ってくると言っても、なにも心配しない黎明の態度に。
憂は微妙に苛立ち、不安になり、そして不満を抱えていた。
黎明は自分をどう思っているんだろう。
女性として……見てくれているのかな?
そんな疑問を抱えた末に、
――その答えがこれだ。
「黎明さん、今日は一人にしてくれませんか?」
憂は顔を手で覆った。
何も言わずに黎明が出て行ったあと、憂は声をあげて泣いた。




