第17話 咲夜と星蘭
黎明と憂は、早朝、市場に繰り出した。
最初の頃は「はぐれるといけないから手を繋ごう」と言って、つないでいたが、今はなにか言う前から繋いでいるのが普通になった。
黎明と手を繋いでいると安心する。
干し肉、家畜、果物、野菜が並ぶ市場を、憂は笑顔で見て回った。
帝国より規模が小さいが、そんなことより異国の市場という時点で楽しい。
そのうちに、人混みの多い場所で、弦楽器を演奏している二人組に出会った。
二人のうち片方は黒髪に白い肌の青年で、もう一人の小さな女の子は黒髪の褐色肌だった。兄妹ではないらしい。このあたりで一般的な砂を防ぐ白い装束を纏っていて、それ以外の特徴はわからない。
弦楽器は帝国で流通している、二本の弦タイプだ。胴体にはニシキヘビの皮が貼ってある。
乙女の優美な歌声に似ている、音色だ。
憂はセイレーンの襲撃を思い出したが、軽くかぶりを振って、その記憶に封をした。
演奏が終わると、二人組は立って礼をした。
憂と黎明、ほか数名の見物客は、拍手した。小さな女の子が、布の袋を開けて、見物客の間を回る。チップを求めているのだ。
素晴らしい演奏に心打たれたので、支払いするのに躊躇いはない。
憂も数枚、コインを渡した。
「おもしろいですね」
「憂も、なにか楽器でもやってみる? 弾いて歩くのも楽しそうやけど」
「やってみたいですね。でも私のお小遣いで足りるかな……」
最近、黎明から「金勘定を覚えろ」と言われ、お小遣い制になったのだった。
楽器屋に立ち寄ってみたが、どれも高価で、憂の持ち合わせでは足りなさそうだった。後ろ髪を引かれる思いだったが、店をあとにする。
帰り道、なにか前のほうで騒ぎが起きていることに気がついた。
「だからあっ、場所代だよっ、場所代!」
歩いている人たちは一瞬足を止めても、すぐに歩き出す。
往来の真ん中で怒っているのは、でっぷりと太った背の低い男。
怒られているのは、見覚えがある、先程の二人組。
「僕たちは貧しい旅の者です。今夜、宿に泊まれるかだって、わからない。そんな者からも取り上げようとするのですか」
「そんなこと関係ないわっ。払えねえんだったら、その嬢ちゃんと、楽器を寄越しなっ」
太った男の指が、小さな女の子の被り布をめくりあげようとしたとこで――
「待った」
黎明が男の手を掴んだ。
「小さい子供を怖がらせる真似して、大人気ないんとちゃうか」
「なっ、お前はだれだっ!」
「名乗るほどの者じゃないねえ」
そのまま黎明は男の手を絡めとって、ねじった。
「いたっ! 痛い! 痛い! やめてくれっ」
「この場は引けよ? いいな? これ以上するなら、……わかってるよな?」
「わかった、わかったって!」
黎明が男を離すと、すぐに逃げて行った。
「お礼を申し上げなければいけませんね」
「礼なんていらんわ。うちの嬢ちゃんが怖がってるからやっただけやし。ところであんた、その気配、どっかで俺と会ったことあるんちゃう?」
「……黎明さん?」
黎明の袖を軽くひくが、黎明は憂のほうを見ない。ただまっすぐに相手を見つめている。
しばし緊張感のある空気だったが――プッと相手が吹きだした。
「僕たちは西の国や帝国でも演奏していたので、もしかしたらそれで会ったことあるのかもしれませんね。有名人かもしれません、僕たち」
笑いながら青年が黎明に向かって、手を差し出した。
「僕は咲夜。こっちの小さいのは星蘭。お礼に果実酒でもご馳走しましょう」
「人と握手はしない主義なんや。あと礼なんていらん。憂、行くぞ」
「は、はい……!」
憂は足早に立ち去ろうとする黎明に手を掴まれ、急いで着いて行った。
青年はおとなしく握手を諦め、憂たちに手を振った。
その夜のことだった。
「あ」
と、言ってしまったのは、憂だった。
安い宿は一階が酒場になっていて、そこで夕食を提供している。
黎明と憂が下の階に降りて、目にしたのは、昼間出会った咲夜と星蘭だった。二人は白装束を解いていた。
咲夜はゆったりとした西の国らしきシャツを着ている。黒髪黒目の細身の青年。女みたいな細面で、女人を甘く惑わせる気配を感じる。
星蘭は、褐色肌、肩までの黒髪。赤い目が爛々としている幼い女の子。どこかで見たことのあるような貫頭衣に、大きな余裕のある首輪を嵌めている。――帝国の奴隷にしか見えない。
彼らも目を丸くして、憂たちを見ている。
座れるテーブルは彼らの隣りしか空いておらず、憂は若干気まずくなりながら腰かけた。
黎明を窺ってみるが、なんだか表情の読めない顔をしていた。
まあ、憂が、黎明の表情を読めることは少ないのだけども。一緒にいて、反応はだんだん予想がつくようになったけれど、まだ隠そうとしているものは読めない。
「昼間はどうぞ、お世話になりました。ええと……黎明さんでしたっけ? そっちの方は憂さん、ですよね? そのままお呼びしてもいいんでしょうか?」
しっかり聞こえていたんだ、と少し恥ずかしくなりながら、憂はうなづく。
「ええ……と、その、そちらの星蘭ちゃんは、奴隷なんですか?」
訊ねづらいことを一直線で訊ねてしまうのが憂だった。
幸いにも、咲夜は気にしたふうもなかった。
「元奴隷なんです。雇い主がひどいやつで、僕が助け出しました。でも鎖を外そうとすると、抵抗するんです」
「なぜ?」
「さあ、わかりません。この子、舌も焼かれているんです」
むにゅっと咲夜は、星蘭の頬をつまむ。
星蘭はいやいやするように首を振った。
「……そうなんですか」
憂は急に足首が冷えたような気がした。
人の不幸に対し、なんと言えばいいのか、まだ憂のなかでは曖昧だった。
「お礼はいいよ、と言われましたが、では金銭の代わりに、ここで一曲披露しましょう」
咲夜はいきなりそう言うと、麦酒を飲み干した。それから丸っぽい笛を取り出し、吹き始めた。
小鳥の騒々しい鳴き声みたいな音色と曲調。
一瞬、静かになった店内がにわかに騒がしくなる。
酔っ払いが、笛の音で歌い始める。
それから給仕の女も歌い出し、歌声は輪唱して酒場に拡がっていった。
憂はあいにく馴染みがないけれど、体を揺らして楽しく笑った。
食事を楽しみながら、音楽も楽しむ。なかなか贅沢なひとときであった。
「星蘭は憂さんのことが気に入ったようですね。よければ、僕たちの部屋に立ち寄ってくれませんか? 楽器もお見せできますし」
食後、星蘭に憂は袖を掴まれていた。
「いいんですか?」
憂は目を輝かせる。
演奏が終わった後、楽器について、憂は咲夜にいろいろと質問攻めにしたのだった。
「行っていいですか? 黎明さん?」
「だめ」
「えーっ」
「って言っても行きたいんやろ? 建物から出ないなら、ええよ。ちゃんと迎えに行くから、どこの部屋かだけ教えて」
黎明と咲夜は少し喋って、別れた。
憂は咲夜たちについて行く。
部屋に入り、まずは弦楽器を見せてもらう。ベッドが一台しかないためか、部屋は憂たちのものより広かった。
「内弦と外弦で弾くんだ。耳で音程をとらえて、それを表現する」
「へ、へー……」
と言いつつ、すでに楽器屋で高価であることはわかっていたので、おいそれと触ることはできない。
部屋に着いてから、星蘭は、隅っこのほうで丸くなっていた。不思議な飾りのついた手鏡を覗き込んで、熱心に見つめている。
なんだろう?
食事のあとの化粧などを確認したかったのだろうか?
化粧なんてしていないと思ったけれど――
咲夜は星蘭のことを気にせず、憂に話しかけてくる。
「笛とかはどうだい? どの穴を塞げば、どの音が出るとか決まっているから、吹きやすいと思うよ」
「そうなんですね……。あの、咲夜さんは楽器演奏に長けていらっしゃいますが、どこかで習ったんですか?」
「ああ、旅の人にね。ちょっと。いろいろあって、僕は十歳からずっと旅をしてきているから、その中で磨かれたんだと思う」
「十歳? いま何歳なんですか?」
「年齢は秘密。ついでに国籍も秘密。出生地も秘密さ。秘密が多い男のほうが、モテるでしょう?」
憂は首をかしげた。
「そうですか?」
「そうそう。だって、憂さんは、あの黎明さんのことをどこまで知っているの?」
「え……!?」
急に切り込まれて、憂はたじろぐ。
「なんにも知らないんじゃない?」
ずいっと、咲夜が憂に近づく。
じりじりと後退して、壁際まで追い詰められてしまった。
「え、咲夜さんこそ、黎明さんを知っているんですか?」
「いや、ただの勘。その右手の指輪、左手にしていないということは、夫婦じゃないんでしょ?」
「……か、関係ありますか?」
「教えてあげようか? もっと黎明さんと仲良くなる方法」
「は……」
憂の秘密にしていた関心事に、咲夜は無遠慮に触れる。
「押してダメなら、引いて見ろ、って聞いたことある? 憂さんはいつもそんなふうに優しくしているんでしょ? たまにはちょっと突き放してみて、いつもの自分と違うところを見せて、相手の動揺を誘って、やっぱり憂さんが大事だって再確認させるのさ」
「なる、ほど……」
「悩み相談、乗りますよ。だって普段は相談する人もいないんでしょ?」
「……まあ、二人きりの旅なので」
もごもご。
そのとき、扉をノックする音が聞こえた。
「おっと? お迎えが来ましたね」
憂はやっと呼吸をした。迫られている間、無意識に息を止めていたらしい。
部屋の鍵を開けると、黎明が姿を現した。
憂は黎明の手をとり、二人に別れを告げる。
「おやすみなさい、咲夜さん、星蘭ちゃん。また明日、ね」
「お二人とも、おやすみなさい……ああ、それと、言い忘れていました。気をつけてくださいね。この国では、よく旅人が姿を消すらしいです」
扉が閉まる間際、聞こえてきたのは咲夜のそんな言葉だった。




