第16話 砂漠の泉、花の交易都市
砂に足をとられながら、憂と黎明は背嚢を背負って歩いていた。二人は全身を覆い隠すように白い布を纏っている。
日光はぎらつき、空気は乾いている。
この間まで、沿岸部にいたのに、今また砂漠に戻ってきたのは、同じような生活をしている旅人仲間から、まぼろしのような国があると聞いたからだった。
いわく、砂漠のなかの泉のまわりに、花が咲き乱れる楽園があると。
熱砂のなかにそんなものがあるなら、見てみたい、ということで、二人は再び砂漠を旅しているのだった。
「黎明さん、見えましたよ」
砂漠の砂山の隙間に遠く、光を反射する泉と、そのまわりの建造物が見えてくる。
今回向かう場所は、砂漠の中の交易都市でもある。
「あれが、花の国ね……」
「花は見えませんね」
「ここから見えるほどデッカイ花があったら怖いやろ」
「そうですね、ふふ」
二人で帝国から逃げて、早半年。
砂漠を歩き回り、キナくさい南の国には立ち入らないように、西の国の警戒線にも触れないように、旅をしてきた。
その間、憂の知らないことばかりで、刺激的な毎日だった。
トゲトゲした見た目をしているけれど、中身は頬がとろけるほど甘い果実があるだとか。
薬なしに陽に焼けると、肌が爛れたようになって痛いだとか。
そんな、いろいろ。
憂は黎明といっしょにいられる毎日を楽しんでいた。
いまも砂漠の砂中に蠢くネズミだとか、蛇だとかの活動をたまに見かける。
羽が多い蜻蛉みたいな見た目の虫だとか、綺麗な青い鳥(越冬する? と黎明が言っていたがよくわからない)とかが飛んでいたりする。
砂漠だけどずっと同じ景色の連続では無く、飽きずに見ていられる。
旅の景色すべて面白いと思う。
「今日中には着くやろ」
「やった、今日は体を流せるかも! 行きましょ!」
そう言っている二人の間に、すばやく飛行する大きな影が横切る。
鳥などではない。もっと大きくて、速いもの。
黎明が空を見上げるが、いままさに飛んで行った生物は視認できなかった。
「……まさかな」
黎明がつぶやく。
そのつぶやきで、憂は同じく旅人から聞いた話を思い出した。
「戦線に竜が出るって噂ですか?」
「そ。まさか、こんなとことにおるわけないよな。気にせんで」
「はい。友好的な竜なら、お友達になってみたいんですけどね……」
「【竜化】の異能を持ってるやつなんか、ろくでもない」
「なんでそんなこと言うんですか! 私たちがそれを言えるんですか?」
「ふん、言うようになったやん」
そんなふうにして、時々適当に軽口を叩き、二人は進んでいった。
二人が楽園――花の国に着いたのは、日が沈みかけているころだった。ここまでやって来たはいいが、街中で一切、花は見つけられない。
街中を歩く人に、旅人であると明かし、宿を紹介してもらう。
二人はくたびれた建物の宿の一室で、休むことにした。
「ほな、荷物置いて、行ってみよか」
憂たちが花の存在を訊ねると、住人はこう言った。
――夜に泉の周りを見てみたらいいよ、と。
「わあ、すごいですよ」
街の中央にある泉の周りには、花の強い匂いが滞留していた。
たしかに花は月の光を受けて咲いていた。
花びらは白に近い金色で、形は百合に似ている。
「綺麗……」
憂は顔を綻ばせたが、黎明は顔をしかめた。
昼間の花は、蝶や蜂を呼び寄せ、受粉を促すが、この夜に咲く花が呼び寄せているのは蛾だ。
「蛾、ね……」
黎明が花をじっと見ていると、憂は不思議そうに目を瞬かせた。
「……? どうかしましたか、黎明さん」
「なんも。俺の考えすぎや」
「そうですか……?」
二人は花畑の散策もそこそこに、宿に戻り、旅塵を湯で流した。
旅費を浮かせるために、二人で一室とっているが、もちろん共寝はしない。
寝台はそれぞれ。
憂は体をベッドのシーツに潜り込ませると、すっかり清潔なそれに満足してしまい、気がついたら眠っていた。
「おやすみ」
そんな憂を黎明はきちんと確認してから、灯りを消した。
……。
…………。
リン、と音がして、悲哀神は目を覚ました。
いつものように、悲哀神と豪奢な椅子以外、すべてが薄紫色に溶けた世界である。
悲哀神はいつものように豪奢な椅子に変な姿勢で座ったまま、眠っていた。体は強張っている。
が、体をほぐす前に、問いたださねばならないことがあった。
目の前にいる、道化の恰好をした男に。
鼻を赤く染め、白粉を顔につけ、裂けたような口の紅。樽のように太った腹と小さな手足。醜男。悲哀神にとっては無視できない人物。
このぼんやりとした輪郭の世界のなかで、彼はきちんとした実体を持っていた。
男は袖についた大きな鈴を、リンと揺らす。
「……なにしに来たの、喜悦」
悲哀神の声は硬い。
「ゲームをしようじゃないかね、悲哀の」
「嫌よ」
考えるまでもない。悲哀神はこの男が嫌いだった。
声音がまずねっとりしていて、気色悪い。
そして、一番受け入れられないのが、人間の命で遊ぶところだった。
「はははっ、そう言わず。今回はお互いの大事なものを賭けようじゃないか」
「……黎明をどうするつもり?」
「そんな怖い顔をしないでよ。悲哀の大事な黎明と、私の最近のお気に入りを、競わせてみたいだけだよ」
「悪趣味よ」
とは言ったが、悲哀神の言葉でこの男が変わらないであろうことも知っていた。
悲哀神の能力は【並行世界を渡り歩く能力】と個人的であるのに対し、喜悦神の能力は【人に能力を授ける能力】。他人への影響力は計り知れない。そこにこの性格の悪い神が、遊ぶ余地がうまれてしまう。
「さあ、でもゲームに乗らないとしても、私のお気に入りが黎明を殺してしまうかもしれないね」
「……私の黎明が負けるはずないじゃない」
「そう言うなら、見届けようじゃないか」
喜悦が指を弾くと、一瞬のうちにテーブルが現れ、遊戯盤と大きな水晶玉が載せられる。駒をとる知的戦略ゲーム。水晶には、ベッドで眠る憂の姿が映っている。
「さあ、どちらが最後まで生き残るかな」
ヒヒッと、喜悦神は嗤った。
水晶の奥で、きらりと輝く黒い鱗が蠢いた。




