第12話 第二皇子と黎明の襲撃
部屋に戻ると、先生はすでに帰っていた。扇子でぱたぱたと顔を仰いでいる。
「図書館はどうでしたか?」
先生に訊ねられて、少し言葉に迷った。
図書館以外の秘密の神殿に行っていたことを気づかれていない。
どきどきした。
「……勉強になりました」
「そうですか。良かったです。塔ではわたくしがあげる本しか読めませんでしたからね。いろいろと学ぶことも多かったでしょう。不自由にさせてごめんなさい」
「いえ……あの、先生? 私の母親はなにで亡くなったのですか?」
「急にどうしたのですか? 以前にも、産褥で亡くなったと言ったはずですが」
「そうですよね……また訊いてしまってすみません」
憂は袖をぎゅっと掴んだ。指に力がこもる。
先生は私に真実を話す気はないのかもしれない。
何年もの間、塔で密接にやりとりしていたはずの、先生との間に築かれた信頼関係も嘘であったように思われて、急に心細くなった。
私は先生のことを知っているはず……。
でも先生は私に一面しか見せていなかったのかもしれない。
「今宵は立食会です。楽団も招いて、ダンスの時間も設けられるそうです。第二皇子も出席なさるとのことで、憂も挨拶しなければなりませんね」
「……なんのためにですか?」
「それはあなたが第二皇子と縁を結ぶためですよ」
「縁を……?」
憂はその言葉の意味をまったくわかっていなかった。
バルコニーで第二皇子に迫られるまで。
◆
眼前には湖に囲まれた離宮がある。百年ほど前のこうてい有名な建築家に建てさせたというその立派な離宮を、月が静かに照らしている。
「黎明様、本当にやるのですか?」
部下にそう言われて、黎明はははっと大きな声で笑った。
「しぃひんと、取り返せへんからなあ」
憂が俺を嫌いだろうと。
俺は欲しいもん全部奪い取る。必ず取り返しにいくで。
黎明はそう心の裡でつぶやく。
部下たちが見守る中、黎明の横で大岩が持ち上がる。
それはこの間、恭二という名のゴロツキから奪い取った念動力。岩を持ち上げるほどの大きな力。
憂の前で殺しをしてしまったのは痛い思い出だったが、それはともかく、念動力は複数種持っているとかなり便利である。
「ほな、行くで」
にやっと笑い、黎明はその持ち上げた大岩を城に向かって投げた。
湖の跳ね上げ橋を通行する許可が降りないのであれば、無理やりに足場を作って、たどりつくまで。
◆
夜会と呼んでもいいものか。皇子たちと貴族と、大きなホールで宴が繰り広げられていた。
弦楽器の楽団と、西のほうの衣装を着た踊り子もいる。
「……?」
踊り子を遠目から見つめていると、目が合ってウインクされた気がした。
なぜだろう……と思っているうちに、先生に「こっちに」と呼ばれた。
「こちらは男爵の……」
「こちらは……」
…………。
しばらく先生が紹介してくれる貴族に挨拶をするのに専念していた。
頭を下げて、礼をして、なにか問われればにこやかに。
先生は貴族たちに「彼女は憂。塔の聖女です」とはっきりと言った。
能力者であることを開示するのが、憂の利益になるかは怪しい。なにか意図があってそうしているのだろうことは、いくら憂でも察しがついた。
先生、なにを考えているの……?
長年、話をし、世話されてきたというのに、世界を知った今、先生の心理がよくわからなかった。
そのうちに、いつの間にか、銀髪の男性が憂と先生の方へやって来た。
「第二皇子・恋日様よ」
先生がそっと耳打ちする。
憂は背筋を伸ばす。
それは相手が皇子だからではなく、銀髪だからであった。
「ようこそ、碧桜さんと憂。塔の聖女であることは知っているよ。城を案内しよう。こちらへおいで。さあ、手を」
先生のほうを見やると、にこやかに頷く。
「さあ、憂、手をとって」
促されるまま、手をとると、皇子はそのままバルコニーへと導いた。
「城は気に入った?」
「えぇ、……まあ」
皇子に触れた指が、心底不快で、掻きむしりたくなった。黎明の手はそんなことがなかったのに、どうしても汚らわしいものに触れているという感覚が拭えない。
帝国の皇子という身分に対して、へりくだりたいとも、その逆の行動をとりたいとも、なにも思わなかったが、先生の言う通りにしなければ……との思いで、ここまでやってきた。
「あの……手を離してくださいませんでしょうか」
果たして皇子へ口を利くのに、この言い方で相応しいか、自身でも疑問だったが憂は言いたいことを言った。
「離さないよ」
「え?」
汗がつーっと額から流れ落ちるのを感じた。
手を絡めとられ、ぎゅっと距離が縮まり、腰に手が回る。
白い細面が、間近に迫る。
「君の目、とても綺麗だね。紫水晶みたい」
「……離れてほしいです」
「君は能力の発現に血筋が影響していることを知っている?」
「知っていますが……やめてください、離れてください!」
「ああ、だからね、僕はほしいんだよ。聖女の力が。君を僕の側妃に迎えよう。大丈夫、手荒なことはしない。僕は皇室のなかでも能力者贔屓なんだ。子供さえ産んでくれたら……君の血統が手に入れば、僕はそれ以上は」
「やめてください……! 離して!」
必死で胸を押し返そうとするが、叩いても殴っても、びくともしない。
「僕から逃げるということは、わかっているよね。この国の中で聖女の地位がさらに悪くなることを。君を抱えている碧桜の立場も同じだよ」
「そんな脅しみたいなこと……! 仮にも皇子様が……!」
「皇子だから言っているし、きちんとした脅しだよ。これは。まだわからないのかい。拒絶する権利があるとでも?」
吐息がかかるような間近で、そんなねっとりしたことを言われ、総毛立った。
――気持ち悪い。助けて……!
皇子と縁を結ぶと言った、あの先生の言葉が確かなら、きっと先生もすべてグル。
先生は、私を、第二皇子に献上する気だったんだ……!
こんなところに来たのは間違いだった。最初から先生は私に真実を話そうなんて気なかったんだ。
間違いだったと認めるから、どうか、どうか……!
強く強く想う。
そのとき、緑の石を嵌めた指輪が煌めいた。
暗闇の中できらきらと、輝いている。
魔法をかけた――と、あの少年の言葉が耳の奥に蘇る。
憂の薄紫色の瞳の中に、星がぱっと輝く。
――予感があった。
「私、あなたなんかと一緒になるくらいなら、死ぬ!」
一息に叫んでバルコニーから飛び降りる。
咄嗟に皇子はなにか叫んで、憂の手を離した。
真っ逆さまに落ちるかと思われたが、しかし。
「嬢ちゃん、こんなアホな真似何回もすんなや」
――その声、その異能力。
身体はふわりと受けとめられる。繊細な動きで地面に降ろされて憂はその人を見た。
闇の中で綺麗な緑の目に、見惚れる。
その声も、なにもかもが期待していたとおり。
「黎明さん……!」
憂は喜びで頬が熱くなった。
そして次に、黎明に飛びついた。
「あれ? てっきり嫌われたんかと思っとったけど……」
「黎明さんを嫌いになるわけないじゃないですか!」
黎明はびっくりした顔をしていた。本当に珍しく。
憂は黎明のそんな顔を初めて見た。
「再会喜ぶんは後や、後。今はとにかく逃げ……」
黎明がそう言いかけたときに、警鐘が鳴らされ始めた。
「敵襲!」と騒ぐ声が頭上から聞こえてくる。
爆発音と共に硝子の割れる音も。
女たちの甲高い悲鳴と、男の怒号。
「……なにか起きてる? まあ、好都合か」
黎明は憂の手をとった。
逃げようと言うのだろう。
けれど、憂は動かなかった。
「黎明さん」
「ん?」
「逃げる前にちょっと時間はありますか? 助けたい人たちがいるんです」
「……それ、今じゃないとアカン?」
「今じゃないと多分ダメなんです」
「わかった」
憂の言うことなんて聞いてくれないかと思ったけれど、黎明は憂に合わせて止まってくれた。
「そいつらはどこにおるん?」
「こっちです!」
今度は憂が導く。
憂のなかでの覚悟はもう決まっていた。
憂の手の中にある力ならば、この国を転覆させることも、なにもかも絶やし、なにもかも新しくすることもできる。
――だからこそ、私は誰かを救うために力を使いたい。
それが憂のこの世界への挑戦。
黎明は見届けてくれると、きっと、信じている。




