識別個体
「おじさん、ありがと」
紫苑が軽く手を振る。
「怪我はないか?」
黒崎は一歩近づき、様子を確かめる。
「おじさんが助けてくれたから、ないよ」
「……そっか」
わずかに肩の力を抜く。
「それにしても、さっきのは数が多かったな」
「あれ全部、私のワンちゃんだよ。可愛いでしょ?」
「……ゲヒュールをそこまで使いこなしてるのか」
黒崎の声が少しだけ低くなる。
「強い子もちゃんといるよ。出てきて、ポチ」
影が揺れる。
ポチが静かに姿を現した。
「――っ」
黒崎の目がわずかに見開かれる。
「どうしたの、おじさん?」
「……そいつ」
一拍。
「現存する識別個体の中でも最強格の“シュヴェーアト”だ」
空気が少しだけ張り詰める。
「有名なんだね」
「百五十年前から存在が確認されてる。何度も討伐が試みられたが――誰も仕留められなかった」
黒崎の視線は、ポチから外れない。
「おじさんでも勝てなかったの?」
「昔、一度だけやったことがある」
短く息を吐く。
「最後は霧になって逃げられた」
「へぇ……」
紫苑が少しだけ首を傾げる。
「だからか。見つけたとき、瀕死だったんだ」
「……そうか」
黒崎は小さく頷く。
「なんか、悪いことした気分」
くすっと笑う。
「ちなみに識別個体は全部で四体いるよ」
「四体……か」
黒崎が低く呟く。
「全部、私のワンちゃんにしたいなぁ」
「……実際にできそうだから怖いな、それ」
わずかに苦笑する。
「今日はもう帰るね。ありがと、おじさん」
紫苑が手を振る。
「ああ。気をつけて帰れよ」
黒崎はその背を見送った。




