4-14 穂久佐村連続幼女殺人事件の真相
いや、まだだ。俺にはまだ語るべき言葉がある。それを真矢に伝える前に死ぬわけにはいかない。
「……真矢。なら今度は俺の推理を聞いてくれ。俺が辿り着いた穂久佐村連続幼女殺人事件の真実を」
「穂久佐村連続幼女殺人事件の真実、だって? それは今僕が話したじゃないか。それとも君は僕が知らない何かについて知っているのかい?」
風間が真犯人で烏丸が捏造の黒幕だと思い込んでいる真矢は訝しげな表情になってしまう。正直本当の事を伝えるのは心苦しいがやはり伝えなければいけないだろう。
「まず多分お前は鰈浜のホテルの会話で誤解してしまった様だが、俺が言ったのは烏丸が途中から捏造されたものと気付いたが組織を護るためにそれを揉み消したって事だけだ。もちろんこれはこれで問題には違いないが隠蔽は組織ぐるみで行なわれて彼一人だけの責任じゃないし、烏丸本人が捏造の指示を出したわけじゃないんだ」
「ふむ。でもそれはただの解釈の違いだね。烏丸が真実を語っているとは限らないし」
俺はまず小さな誤解を解くが彼女は特に意見を変える事はなかった。実際微妙な差異でしかないしこれは別に掘り下げなくてもいいだろう。
……もしかしたらこれによって捏造を指示したと確信した結果烏丸を殺害したのかもしれないけど。出来ればそうじゃないって思いたいよ。
「真矢。お前がいない間に俺はようやく父さんのノートを見つけたんだ。この中に書かれている事と合わせてお前に真実を伝えたい」
「へえ、僕無しで。君も結構やるね。じゃあ聞かせてよ、ちょっとは気になるし」
真矢は早速俺の言葉に興味を示してくれた。取りあえず聞く耳持たず、みたいな状況にならなかったのは幸いだろう。
「初めに言っておくが風間は無罪だ。あいつには確かなアリバイが存在する」
「……それは不動の関係者が庇うためについた嘘じゃなくて?」
「ああ。あいつは事件当日の夜東京で行われていたノー娘の熟礼ムチ実の引退コンサートに行っていたんだ。これがその証拠の写真だ!」
「ッ!?」
俺はノートを開き貼りつけられた週刊誌の写真を見せつける。真矢の持っていたバインダーは当然これがメインではなく半分くらいで切れていたがこちらは完全版であり、そこには確かに号泣する風間和彦の写真が写っていたのだ。
「この写真が撮られたのは星を見る会が終了した二時間後くらい。ちなみに後で確認したが彼は記念にコンサートの半券も保存していた。つまり彼には犯行は不可能なんだ」
「そんな……!? い、いや、だけど不審者の情報は!?」
代議士の親族――風間が真犯人だと思い込んでいた真矢は激しく動揺した。だが俺はその隙を逃さず一気に畳みかける。
「それもノートに書かれていた。不審者の目撃証言にはこういう物もあった。その不審者は金星人がどうのこうのって言って鉄球みたいなものを振り回し子供や猫を襲っていたと。そいつはそいつでヤバい奴だが今回の事件とは無関係だって結論付けられたそうだよ」
多分だがその男は星鳥に来た時に遭遇したあのヤバイオッサンと思われる。どうしてあいつが穂久佐村にいたのかどうかはわからずじまいだが、あいつはそういう人間なのであえてその理由を解明する必要もないだろう。
「ちょ、ちょっと待って、え、どういう事……? じゃあ誰が犯人なんだ!? 楊春蘭は自殺か事故死だとしても誰が姉歯美鳥を殺したんだ! あの足は一体誰のものなんだ!?」
自分の信じていた答えが容易く覆され真矢は酷く混乱している様だ。だがその気持ちはわかる、俺もその真実を知った時はこんな感じですぐには受け入れられなかったからな。
「それについては調べがついている。お前も三隅先生から星鳥大学病院に刈部が忍び込んだかも、って話を聞いていただろう? 刈部は右足が見つかる前に病院に忍び込んで同じ時期に交通事故で切断された足を盗んだんだ。右足を見つけたってスクープをものにするためにな。もちろん裏付けは取れている。責任を取りたくなかった病院関係者が揉み消した事も含めてな。三隅先生はその患者と関わっていなかったから何も知らなかった様だけど、後はお前の知っての通り鑑識の左門が捏造した結果それは姉歯美鳥の足になったわけだ」
「わ、わかった。右足はこの事件の無関係な誰かの足なんだろう。だけど姉歯美鳥は!? 彼女は確かに存在していた! 写真にも残っているし僕も実際に彼女の口から自分が姉歯美鳥だって聞いたよ!?」
さらっとこいつはさっきから事件当時現場にいた様な口ぶりだが……結局真矢は何者なのだろうか。いや、それよりも今は真相を伝えなければ。
「それに関してだが寄木細工のメダルを覚えているか? 息子の事件で証拠として押収された姉歯美鳥が古豊千泉にプレゼントした奴だ。あれもついでに血液鑑定をしたそうだが、そこからボンベイ型の血液が検出されたんだ」
「ボンベイ型だって……ッ!?」
「ボンベイ型はかなり珍しい血液型だ。だが真矢も知っているよな、当時村に住んでいた関係者にボンベイ型の人間がいた事を。そう、姉歯美鳥を名乗る少女の正体はデネブさん――女装した国木田岳志だったんだよ」
真矢はあまりの衝撃に言葉を失っていたが、俺はその事実を知った後デネブさんとした会話を伝える事にした。
……………。
『そう。この写真の子があたしだってバレちゃったのね。確かにあのメダルはあたしが作ったものよ。作る時に手を怪我したからその時に血がついちゃったのね』
俺がティンクルティンクルに行き、寄木細工のメダルの血液鑑定の結果について話すと国木田さんはあっさりと自分が写真の少女である事を話した。
『どうしてあなたは姉歯美鳥だと嘘をついたんですか?』
『そりゃね、女装が好きだってバレたら虐められるに決まってるじゃない。泉ちゃんにあなたは誰? って聞かれて人生が終わるかと思ったけどその後もしかして姉歯さんのところの美鳥ちゃん? って聞かれて咄嗟にそうだって嘘をついちゃったのよ』
その嘘に悪意は一切なかった。ただ彼女はマイノリティである事を隠し迫害を受けないために自分を偽っただけだったのだ。
『バレたらどうしようって不安はあったけど国木田岳志である事を忘れて女の子と一緒になって遊ぶのは楽しかったわ。本当は髪の毛も伸ばしたかったしお人形さんごっこもしたかったからね。でもその瞬間も終わりを迎えていた。あたしは病気の治療のために引っ越す事になったの』
ちなみに国木田少年とデネブが同一人物である事は冷静に考えればすぐにわかった。子供の少ない田舎で同じ時期にまったく別々のいがぐり頭の子供が同時に引っ越す事は無くはないけど、なんとなくそうだって予想は出来たからな。
『でもね、引っ越す前にあたしは楊春蘭ちゃんに虐めていた事を謝ろうと思ったの。彼女は優しいしなんだかんだで許してくれると思ったわ。でもなかなか話しかける勇気が出なくて、追いかけてたらいつの間にか山の中に入ったの。そして……』
デネブさんはそこまで言って口をつぐみ震えてしまう。ここから先は長い年月が経って大人になった今になっても話せない程恐ろしい経験だったらしい。
『楊春蘭は自殺していたと』
『……ええ。あたしは急いで首を吊っていた彼女を降ろしたけどもうすっかり石みたいに硬くなっていた。あたしは怖くて逃げだす事しか出来なかったわ』
そしてそれが古豊千さんの証言に繋がるというわけか。だがあの時は特に重要ではないと思っていた変化は姉歯美鳥を名乗る人物の正体が明らかになった今は全く違う意味になってしまった。
『あたしたちにとっては遊びのつもりだったけど彼女にとっては違っていたのよ。春蘭ちゃんを殺したのはあたしなのよ。だけどそんな事を言えるわけがなかった。いつの間にかあの人が春蘭ちゃんも殺した事になって死刑判決が出ても……』
『……………』
その罪はもう今となっては裁く事は出来ない。だけどずっと長い間苦しんでいた彼女を批判する事なんて俺には出来そうもなかった。
『……ねえ、萩野弘はちゃんと人を殺したのよね? 右足があったって事はそうなのよね? あたしは悪くないわよね? あたしのせいで萩野弘は死刑になったんだからそうじゃないと困るのよ!』
そして全てを懺悔したデネブさんは泣きじゃくる。涙で化粧が落ちたその素顔は見るに堪えられない程醜く無様だった。
ただ、彼女が身勝手で弱い人間だと言えばそれまでだけど、俺はどんな言葉をかければいいのかまるで見当もつかなかったんだ。
……………。
「そんな……」
「これが姉歯美鳥を名乗る人物の正体だったんだ」
デネブさんの嘘について語り終えた頃には真矢は茫然自失としていた。俺達や世間の推理は全て写真の人物が姉歯美鳥である事が前提になっており彼女が信じていた事は何もかも音を立てて崩れ去ってしまったのだ。
「じゃ、じゃあ本物の姉歯美鳥は!? 姉歯照子の娘の姉歯美鳥はどこにいるんだ!?」
その真実に真矢は錯乱にも似た取り乱し方をしてしまう。だが俺は残酷にも彼女に止めを刺さなければならなかったんだ。
「お前ももうわかっているだろう? おかしいとは思わなかったのか? 姉歯照子は流産して子供を産めなくなった。本物の姉歯美鳥は誰も見た事がない。戸籍もなければ学校や健診に行った痕跡もない。写真の少女も右足も別人だった。全ての姉歯美鳥の存在に関する証拠は否定されて、もう姉歯美鳥が存在しているという根拠は精神を病んだ結果アルコール中毒になった姉歯照子の証言だけだって」
「まさか……!?」
彼女はこんな真実を聞きたくないだろう。だけど言わなければならない。それが俺達の望んだ事だから。
「そう。姉歯美鳥という人物は最初からどこにも存在していなかったんだ。姉歯美鳥は姉歯照子と周囲の人間が生み出した妄想だったんだよ。この事件には最初から被害者も加害者も存在していなかったんだ」
「そん、な……」
――俺が最後の謎解きメールを返信した時、選んだ答えは(空欄)だった。正直父さんのノートを見るまでそれが真実だと信じたくはなかったけど。
「父さんのノートにはこうも書かれていた。男に捨てられて流産した彼女は精神がおかしくなってアルコール依存になり奇行を繰り返していたそうだ。だから警察も最初子供がいなくなったっていう訴えを妄想だと考え相手にしなかったんだよ」
姉歯照子は過酷な境遇に狂ってしまった。そして彼女は自分を護るために壊れる事を選んだ。本当はそれだけで終わるはずだったんだ。
「だがマスコミや民衆はそうは思わなかった。楊春蘭の遺体が見つかり、これは事件だと思い込み、悪意のある奴が噂を流し、憶測で推理合戦を始め、報道が加熱した結果スクープを捏造した奴が現れて、さらにそれを警察が捏造し、結論ありきで捜査が進められた結果――荻野弘は有罪になったんだ。存在するはずのない罪でな」
「だけど、でも、なら烏丸は何で捏造をしたんだ!? 被害者はいなかったのに! 僕は確かに更家から直接聞いたんだ!」
まだその情報にしがみついていた真矢は今更になって悪あがきをする。正直こんなグダグダな推理合戦はしたくなかったけど俺はそれに関しても反論した。
「お前が更家から引き出した自白は拷問によるものだろ? そりゃ助かろうとして誰でもある事ない事を喋るよ。だけどお前はそれを信じてしまった。お前はそれが真実だと思い込んで、自分の辿り着いた答えこそが正しいと思い込んで他の情報を検証しなかったんだ。わかるか、真矢。お前がした事は連中がした事と一緒だったんだよ」
「う、うわああああッ!!」
知りたくなかった真実を知ってしまった真矢は断末魔の叫びをあげて膝から崩れ落ちた。自分が生涯を捧げて知ろうとした真実はこんなにも馬鹿馬鹿しいものだったのだ。その衝撃はすさまじいものだろう。
「少なくとも烏丸は冤罪に関しては悔やんでいた。赦されない事をしたのは間違いないがお前は妄想で烏丸を殺したんだ」
捏造の事実の隠蔽は彼一人だけの責任ではなく組織的な物だった。たとえ咎めを受ける事はあってもそれは本来死をもって償うべきものではなかったはずだ。だが彼女は――妄想で萩野弘を死に追いやった民衆と同じ過ちをしてしまったんだ。それがどれだけ理不尽な事であるのか知っていたはずなのに。
「はは、なるほどね……ふぅん、そう……いやあ、流石だなあ。サンチョ君は。本当に君は凄いよ。でもこの結末はひどすぎるかな。僕は一体誰に復讐すればいいんだよ……犯人は最初からいなかったなんて。これじゃまるで本当にドン・キホーテだよ……」
真矢はそのあまりの絶望に泣きながら壊れた様に笑ってしまう。復讐に全てを捧げたというのにその相手は最初から存在しなかった――それはまさしく自分が英雄だと思い込みあちこちで騒ぎを起こした痴呆老人の英雄譚と変わりなく、あまりにも滑稽で虚しすぎる結末だった。
「……早く行くぞ。ここにいたら死んじまう。そしてちゃんと罪を償おう」
だけど俺はそんな彼女に対して手を差し伸べてしまった。俺にもその気持ちは痛いほどわかったからな……。
真矢は少し悩んだ後俺の手を弱々しく握って立ち上がろうとした。だがしばらくすると彼女はようやく冷静さを取り戻し、その手をまた放してしまった。
「ごめんね、やっぱりその手はつかめないよ」
「どうしてだ。もう時間もあまりないしさっさと脱出するぞ!」
俺達は推理合戦に時間をかけ過ぎてしまった。炎はだいぶ燃え広がりここもまもなく崩落してしまうだろう。そうなる前に早く逃げなければ!
「いやあ、烏丸とそいつの部下を一網打尽にするつもりだったけど思いの外火薬を仕掛け過ぎちゃったな。でもどうして僕がこんな危険な事をしたかわかるかい?」
「?」
「別に僕は死ぬつもりはない。これもトリックの一つさ。今からちょっと自分の死を捏造しないといけないから君は先に逃げてよ。死体が見つかってもそれは僕のものじゃないだろうから心配しなくていいよ」
「……それは本当か?」
俺はその言葉を信じていいのかどうか迷ってしまった。真矢ならそれくらい普通にやりかねないが、もしかしたら嘘をついているのではないか――俺にはその判断がつかなかったんだ。
「大丈夫だよ、そんな顔しないで。きっとまた会えるからさ」
「その言葉は嘘じゃないんだな」
「ああ。だから僕は一度死なないといけない。だから助けてくれなくてもいい。君は早く脱出するんだ」
「……わかった」
俺は正直半信半疑だったが真矢の目は嘘を言っているようには見えなかったのでその言葉を信じる事にした。結局はそれも俺が都合のいいように解釈しているだけかもしれないけど……。
もう時間がない。俺は悩んだ末にその場を立ち去る事にして真矢を残してその場から立ち去る事にした。
「なあ、結局お前は何者だったんだ?」
ただ俺は最後の最後までその謎を解く事が出来なかった。おそらくは萩野弘の家族である事は間違いないがその場合年齢の計算が合わない。これだけの事をしたのだからそれなりに強い動機を持つに至った背景があるには違いないだろうけど。
「そうだね。未練を抱いて死んだ僕に神様がチャンスを与えてくれてなろう小説みたいに転生したのかもね」
「何言ってるんだ?」
けれど彼女は冗談を言って最後の最後まで真実を明かす事はなかった。いや、だがあるいはその言葉は……。
「まあいい。それじゃあ上手くやれよ」
だがいずれにせよもうデッドラインだ。俺は彼女に別れの言葉を告げてその場を立ち去った。
「サンチョ君!」
そして真矢は最後に、
「生まれ変わったらまた友達になってくれるかな? 今度は嘘をつかないからさ」
「当たり前だ。あと少しくらいなら嘘はついてもいいぞ」
と春風の様に爽やかな笑顔でそう言ったので、俺も笑みを返してプラネタリウムを後にしたのだった。
プラネタリウムの外に出ると建物は炎に包まれて猛烈な熱気を感じてしまった。こりゃ本当にヤバいな。
だけど軽い火傷を気にしなければどうとでもなる。俺は炎の中を突っ走り燃え盛るアストラルパークから脱出した。
――こうして、俺は数多の犠牲と引き換えにかつてこの穂久佐村で起こった事件の真実を解明した。
だけど後に残ったのは途方もない虚しさだった。
だがそれも当然だろう。真実などそのままの意味で最初から存在しなかったのだから。俺達の苦悶は何もかも最初から無意味だったのだ。
俺は燃え盛るアストラルパークを離れた場所から見物しながら、真矢が託した寄木細工のヘアゴムを握りしめた。
(待っているからな、真矢)
俺は心の中でまたいつか会える事を夜空に願った。建物を焼き尽くす火の粉は天高く舞い血の涙の様に夜空を赤く染め上げる。
遠くから消防車のサイレンの音も聞こえる。だが彼らが到着する頃には全てが終わってしまっているだろう。
俺は面倒ごとに巻き込まれる前に、ひっそりとその場から立ち去った。