4-10 荻野キホの想い出
――ドン・キホーテの視点から――
その少女は誰もいない廃墟のプラネタリウムに佇み、もう動く事のない投影機を眺める。
音は存在しない。光も存在しない。
星が無くなったドームはまるで世界が終わったかのように静かだった。
……………。
………。
…。
萩野キホの父親は村にある天文台の職員だった。
鳥取県は全都道府県の中で最も街の明かりが少なく空気も澄んでいるので星がよく見える。要するに田舎という事実を言い換えただけだが観光資源に乏しい穂久佐村はそれを上手く逆手に取り星を観光資源にする事にしたのだ。そしてそれなりの税金を投入し完成したのがこのアストラルパークというわけである。
無論上手くいけばそれに越したことはないが、失敗してしまえば間違いなくこの地域は衰退の一途を辿って星鳥市に併合されてしまうだろう。当然既得権益にしがみつく村の老人たちは血眼になって是が非でも成功させようとしていた。
だがそんな大人の事情などどこ吹く風、幼いころから星を見る事が好きだった萩野弘にとって生まれ育った故郷で星に携われる仕事が出来る事は願ってもいなかった幸運だった。彼は率先してPRに協力し定期的に星を見る会を開催して少しでも地域を盛り上げようと張り切っていたのだ。
『今日は特に天気がいい。あれが夏の大三角形だよ』
『ほへー』
父親は嬉しそうに星の物語を語るが、正直な所萩野キホは星にはさほど興味はなかった。だがニコニコと笑う父親の手を握って、小川のせせらぎが聞こえるあぜ道を歩きながら眺める夜空は大好きだった。
もしかしたら自分たちの住むこの場所はいずれ無くなってしまうかもしれない。この美しい星空も、緑豊かな自然も。
ずっとこの時間が続けばいいと、彼女は願った。
星を見る会に参加をしていた萩野キホはその七夕の夜も夜空を見ていた。今回は新しく友達になった姉歯美鳥と仲の良い古豊千泉も一緒だ。
『ねえねえ、あの星はなんて言うの?』
『ああ、あれは……なんだっけ。夏の大三角形のなんかだよ。そうそう、デネブ、アルタイル、ベガとかそんなアレ』
『へー』
萩野キホはたどたどしい知識で姉歯美鳥の質問にそう答える。だが父親の説明は普段から適当に聞き流していたので彼女は上手く説明出来なかった。
『ごめん、今度はちゃんと勉強してくるから!』
萩野キホは無知を恥じて姉歯美鳥に謝罪する。だが彼女はクスクスと笑った後、フッと寂しそうな顔になってしまった。
『……うーん、でも多分私は次の星を見る会には参加出来ないと思う』
『あれ? もしかして飽きちゃった?』
『ううん。きっと私はもういなくなっちゃうから』
『?』
彼女は最初その言葉の意味がわからなかった。だがその翌日、萩野キホは否が応でもその意味を知る事になってしまう。
それからは怒涛の日々が始まった。
姉歯美鳥が消息不明になり、楊春蘭の遺体が発見され、これは連続幼女殺人事件だと大勢のマスコミが村に押し掛けたのだ。
そしてある日突然父親は警察に連行されてしまう。最初はその理由がわからなかったが、どうやら誰かが星を見る会を開催するたびに父親が子供に対してとてもひどい事をしたと根も葉もない事を言った事がきっかけだったそうだ。
目まぐるしく変わる日々に彼女は何が起こっているのかわからなかった。
自宅には石や生卵が投げられ、スプレーで罵詈雑言の落書きが書かれ、一日中インターホンや電話が鳴りやむ事はなかった。
『お母さん……』
『ごめんなさい……ごめんなさい……! 私たちのせいで……』
母親はキホにただただ謝った。何に対して謝っているのか本人もわからないまま。
父親が何をしたというのだろう。自分が何をしたのだろう。果たして何か罰を受ける様な悪い事をしたというのだろうか。
自分は夢を見ている。こんな不条理な事が現実で起こるわけがない。
萩野キホの心は壊れてしまった。
そんな日々が続いたある日、母親はキッチンのガスコンロでタオルを燃やしていた。
『……?』
母親は一体何をしているのだろう。まさかタオルを食べるわけではないだろうが。
母親はタオルを居間の中央に放り投げる。炎は椅子に、テーブルに、カーテンに、壁紙に燃え移り家族の幸せな思い出が詰まったその場所は瞬く間に炎に包まれた。
『ごめんなさい。お母さんもう無理。ごめんねキホちゃん、護れなくて……』
虚ろな目をした母親は電源コードを持ってキホに近付いた。母親はそんなものを持って何をするつもりなのだろう。
首を強い力で絞められて苦しみのあまり意識が飛ぶ。それは母親がキホに対して与える事の出来た最後の愛情だった。
そうか、自分は母親に殺されて死ぬのか。
けれどその瞬間は不思議と心地よかった。
ああ、ようやくこの悪夢は終わるのか。
ただどうせならもう一度父親と星を見たかった。今度説明してくれたらもっとちゃんと話を聞いてみよう。
萩野キホはそう心に決めて次の世界へと旅立ったのだった。
……………。
………。
…。
在りし日々に想いを馳せていたドン・キホーテは何者かの気配を感じ思考を中断する。
来るかどうかはわからなかったがどうやらようやく来てくれた様だ。ああ、いったいどれほどこの日を待ち望んでいた事だろうか!
ドン・キホーテはマスケット銃を手に取りドームの外に出る。騎士にはいささか不適切な武器だがそもそもこれはコスプレで自分には誇りも矜持も最初から存在しない。何よりこれは清く正しい騎士道精神に基づく決闘ではないし罪人の処刑にその様な武器を使う必要もないだろう。
プラネタリウムの外に出たドン・キホーテの胸の内には様々な想いが宿っていた。
自分は全てを失った。これ以上失う物などないので何も恐れる事はない。
(……そのはずだったのに)
彼女の脳裏によぎるのは大切な人と過ごした温かな日々だった。もういっそ復讐などせずにそのまま新たな人生を謳歌したほうが幸せだったのではないか。
(余計な事は考えるな。僕はそのためにもう一度この世界に戻ったんだから)
だが彼女はすぐにその思考を振り払う。もうすぐ大願成就の時が訪れる。これは喜ばしい事なのだ。
自分は成し遂げなければならない。自分からすべてを奪った人間への復讐を。そして父親に罪を擦り付けて自分たちの人生を奪い今ものうのうと生きている大罪人に。




