4-9 父親が遺したノート
ザッ、ザッ、ザッ。
俺は無心で市内の繁華街エリアにある居酒屋に向かっていた。
結論から言うと俺の答えは正解だった。正直引っかけもあったし少し自信はなかったが俺は資格を手にする事が出来たのだ。
ランチタイムが終わった店は丁度準備時間で閉まっている。けれど待ち合わせ場所はここで合っているはずだ。
俺は準備中の看板を無視して店内に入る。
やはり店は営業しているようには思わなかったが、カウンター席にはイカの刺身をつまみながら酒を飲んでいる男がいた。
「よう、おめでとさん。お前さんも飲むかい? お祝いに一杯奢るよ」
「あんただったんだな。謎解きメールの差出人は」
日の高いうちからご機嫌な様子で一杯ひっかけていたその人物は以前ゲイバーのティンクルティンクルで出会った希典という男だった。
正直俺はこいつに関して酒好き以外の情報らしい情報を何も持っていない。しかしこの男は全ての真実を知っている。それだけは間違いないだろう。
「ほれ、君のお父さんのノートだ。受け取りな」
「っ」
希典は座席の下に置いたくしゃくしゃのレジ袋の中から一冊のノートを取り出しポン、と手渡した。
慌ててそれを受け取った俺は緊張で身体が硬直してしまう。あまりにも重い、重すぎる。この中には真実が、そして父さんが死を選ぶに至った何かが記されているのだ。
「だけどどうしてあなたが父さんのノートを」
ただ俺はそれだけが謎だった。父さんは彼に命と等しい重さを持っているノートを託したわけだから当然特別な関係には間違いない。だが俺の知る限り父さんに希典という知り合いはいなかったはずだ。無論息子とはいえ全ての交友関係を把握しているわけではないけれど。
「そりゃ君のお父さんに渡されたからだよ。真実を託すに値する人物が現れたら渡してくれってね。あいつは自らの手で真実に辿り着いた。だが自分のエゴのためにそれを明らかにする事はなかった。そして荻野弘の刑は執行され――彼は罪悪感から自ら死を選んだわけだね」
「……父さんはどうして真実を隠したんですか」
「堤兵馬は数々の難事件を解決した伝説の刑事だ。だがその中の一つに冤罪があればそれだけでその名声は地に墜ちる。そして君はそんな生ける伝説の息子……警察も所詮は権謀と欲望が渦巻く巨大組織だからねぇ。君の警察官としてのキャリアにも影響を及ぼすと考えたんだよ」
「俺はそんなものッ!」
俺は別に社会的地位が欲しくて警察官になったわけじゃない。なった理由があるとすればそれはただ正義感溢れる父さんに憧れたからだ。
「君はそれでいいだろう。だけどあいつはそうは思わなかった。一人の男の命と息子のキャリアを天秤にかけて息子のほうを選んだ、それだけさ」
俺はキャリアなんてどうでもよかったのに! そんなもののせいで俺の父さんは……!
――だが、俺はショックでその想いを言葉にする事も出来なかった。
「そのノートは好きにするといい。世間に公表してもいいし燃やしても構わない。それをどう使うかは君に任せるよ。俺っちは別にこの物語の結末がどうなろうとどうでもいいからねぇ」
「……ありがとうございます」
頭の中は正直ぐちゃぐちゃでまともに考えられなかったが、俺は最低限の感謝をして逃げる様に去ってしまった。
だが外に出てどうするというのだろう。目的を失った俺はこれから何をすればいいのだろう。ただただどうしようもない虚無感だけが俺の心を支配していた。
……………。
そして、堤三千世が立ち去った居酒屋で希典は独り静かに酒を飲んでいた。すると店の奥かピョンピョンと白兎が現れ彼に話しかける。
「これで今回の仕事は終わったね。あっちもクライマックスみたいだし、プロレスの布教も済ませたし」
「プロレスは別にどうでもいいけどねえ」
「いやいやー、重要な事だよ。あたしはなんとしてでも矢〇通を国民的悪役レスラーにしたいからね。個人的には棚〇よりも名プロデューサーなあっちのほうが社長に向いてると思うのに。まあ棚〇もなんだかんだ言って新〇本プロレスの倒産の危機を救った実績があるから悪くはないけどさ」
ひとしきり興味のないプロレスの話を聞いたところで、希典はグビっと酒をあおって彼女に尋ねた。
「けど権蔵ちゃんに会わなくていいの?」
「いいよ。この世界のお父さんはあたしの事を知らないし。それに別れる時に寂しくなるから。ウサギは寂しいと死んじゃうんだよ。第一外側のあたしたちがこの世界に介入し過ぎたら迷惑をかけちゃうんでしょ?」
「あっそう」
白兎はしおらしくしょんぼりしてしまうが希典は一切興味を示さなかった。だがその代わりに別のグラスにコポコポと酒を注ぎトン、カウンターの左側に置いた。
「嬉しい時は酒を飲め。寂しい時も酒を飲め。酒はその時の心と一緒に味わうものだから今なら最高に美味い酒が飲めるはずさ」
「んー、じゃあ一杯だけ」
希典の誘いに白兎は人間の姿に変化し、促されるがままにグラスの中に注がれた日本酒を口に含んだ。
まるで果実の様に甘く、それでいてとろける様に甘美なアルコールの匂いがする。
だが永遠にも似た終わらない旅路で孤独な酒の味を知ってしまった彼女は、今更もう涙を流す事はなかった。




