4-1 捜査員とのチェイスバトル
――十年前、堤三千世の視点から――
水族館での楽しいデートを終えた俺たちを待っていたのは人生二度目の最大のピンチだった。まだ厄年じゃないのに何でこう大変な事が続くんだよ。
「あいつは」
俺達を取り囲んでいる人間の中には本庁時代の知り合いもいた。つまりこいつらは警察の中でも精鋭のエリート捜査官たちなのだろう。当然権田原さんの部下の様に融通は利かないはずだ。
「ふむ、つまり君たちは僕に殺人容疑で任意同行を求めているんだね。任意同行は一応断れるけどそうしたら後々面倒になるからやらないほうがいいんだよねー」
「そうだな。お互い余計な手間はかけたくないだろう? 素直に言う事に従ってくれればこちらも手荒な事はしない」
捜査官は高圧的な態度でへらへらと笑う真矢を睨み不審な動きをしたらいつでも捕まえられる様に静かに身構えた。ここをどうにか打開出来る方法は……くそ、何も思いつかない。
「サンチョ君は怖がらなくてもいいだろう? 彼らの目的は僕だけだ。君は気にせず帰るといい」
「けど」
しかし彼女は臆する事なく俺にそう言った。真矢はこの絶体絶命のピンチで助けを求める事無く俺の身を案じてくれたんだ。
「そうはいかない。堤には別件で聞きたい事がある」
「む?」
だがリーダー格の捜査官は俺に対しても敵意を向けた。もしかしてまたドン・キホーテ事件の共犯者として疑われているのだろうか。真矢と一緒にいる事を考えたらそれは普通の事だけど……。
「堤。お前父親の堤警部が残したあの事件に関するノートを探しているらしいな。そのノートについての情報を洗いざらい話してもらうぞ」
「ッ!」
けれど捜査官は俺が全く予想しておらずそれでいて最悪の事を告げてしまう。どうやらこいつらもノートの事は知っていた様だ。
「なるほど、お前らもあのノートを……」
何故彼らがノートを探しているのか――真実を知りたいから、とは限らないだろう。あれだけ必死になって隠そうとしていたわけだし。
「サンチョ君。僕はもし捕まってもどうとでもなる。だけどノートだけは絶対に奪われちゃならない。バラバラの方向に逃げて落ち合おう」
「ああ、わかった」
「何をごちゃごちゃ話している!」
俺達が短くやり取りをしたのちリーダー格の捜査官が捕らえようと手を伸ばす。そしてその時、
バンッ!
「ぐわあああ!?」
「うわああ!?」
真矢が懐から出した何かが炸裂、爆音とともに強烈な光が発生して捜査官を全員怯ませる事に成功した。真矢の奴こんな物騒なものも持っていたのか。
「逃げて! 逃げ切ったらまた会おう!」
「ああ!」
俺達は阿吽の呼吸で同時に別方向に駆け出しその場から走り去った。今は互いを信じて何としてでも逃げ切らないと!
真矢が山のほうに逃げたので俺は水族館から国道9号線に出て海沿いのルートを選んだ。
俺にはもちろん土地勘がないのでこちらのルートが正しいかどうかはわからない。つまりこちらを選んだのただの直感である。
しかしやたら長い直線の道を走り俺は途中で失敗したかもしれないな、と考えてしまった。
言うまでもなく鰈浜は田舎だ。当然都会のように複雑な道ではなく左には人がまばらなシーズンオフの海水浴場、右手には住宅街しかない。
俺は水族館に来るまでに通った経路を思い出した。この道を抜ければそのまま木々の中を一直線に進む道があるだけだ。捜査官は車も持っているだろうし当然逃げ切れずに捕まってしまうだろう。
海を泳いで逃げる――は論外として、つまり逃げ切るには住宅街エリアに一旦逃げ込みそこから山の中に逃げる必要があるだろう。そこから逃げきれるかどうかは不明だが……。
そこまで考えて俺はようやく気付いた。俺は最初の選択肢でミスをしてしまった事に。山の中に逃げ込むのなら最初からそうすればいい。つまり俺は無駄な時間を食ってしまったというわけである。
もしかして真矢は最初からこれを見越して山の中に逃げたのだろうか。もしそうなら流石としか言いようがないので俺は彼女の咄嗟の判断力に脱帽してしまった。
「逃がすな!」
「むう」
ようやく住宅街エリアまでやってきたところで捜査官も追いついてしまう。土地勘は全くないがもうやるしかないだろう。俺は覚悟を決めて住宅街エリアに突入した。
住宅街エリアには高い建物はほぼなく平面的で無計画に建てられたせいなのか、というかそもそも計画的に建築する必要もなかったので迷路の様に入り組んでいた。
正直な所全く道がわからない。いつの間にか先ほどまでいた場所にいたかと思えば別のルートでは行き止まりだった。俺はこんな迷路の様な町を作った先人たちを心の中で恨みつつ必死で逃げるルートを思案する。
捜査官の姿は見えないが彼らの騒がしい足音は閑静な住宅街では嫌という程聞こえるので十数名程度の結構な人数が集まっているのだろう。だが彼らも俺と同じ様に迷路に苦戦しているらしい。
しかし運が悪ければすぐに捕まってしまう。俺はまたしても行き止まりである民家に迷いこんで落胆してしまった。
(ああ、そっか)
けれど俺はある事実に気付く。この迷路は雑誌に掲載された懸賞付きの迷路ではない。律義にそのままルールにのっとって逃げる必要はないのだ。
「よいしょっと」
俺は年季の入った物置によじ登りそこから赤瓦の屋根に飛び移って一休みする。ここからなら周りがよく見えるな。
だがそれは言い換えれば俺も見つかりやすいという事でもある。ネズミの様に駆け回っている捜査官が視線を上に向けたらその瞬間アウトだ。俺は瞬時にルートを考えて屋根伝いに別の民家の屋根の上に移動した。
カン、カン、カン。うん、アクションゲームとは違い落ちたら大怪我をするのでかなり怖いがこれなら問題ない。この調子で山のほうまで行けば逃げ切れる!
「やべッ!?」
けれど一瞬の油断がミスを誘発し俺は足を踏み外し落下しそうになる。慌てて屋根にしがみつくように転倒したがその際バキン! と瓦を破壊してしまったのだ。
「あそこだ! 屋根の上だ!」
当然捜査官たちもその音に気が付きわらわらと集まってしまう。この状況を打開する秘策は!
……うん、ないな。悪知恵の回る真矢なら思いついたのかもしれないが。
そして俺は散々騒がせた挙句市街地に出没したサルの様に捕まってしまう。その後手錠をはめられた俺はパトカーの中で、どうか真矢が無事に逃げ切ってくれている事を静かに祈っていた。
『こちら09。マル被を確保しました』
「こちら02。了解」
「っ!」
が、無情にも無線から真矢もまた捕まった事を知ってしまう。俺は絶望感に何も出来ず、本当の犯罪者の様に項垂れる事しか出来なかったんだ。




