2-10 証言:姉歯美鳥の友人の古豊千泉
そして、古豊千さんは事件の事について語り始めた。
「あの日、七夕の夜……私たちは星を見る会に参加していました。星を見る会には多くの子供たちとその保護者や天文台の職員の方が参加していて、私や美鳥ちゃん、荻野さんやその娘のキホちゃんも参加していました」
古豊千さんは一枚の写真を取り出しテーブルの上に置く。それは週刊誌にも掲載されていた大勢の子供が写っていた写真だった。
「あなたもこの写真を持っていたんですか」
「ええ。希望者には全員配られましたから。そして星を見る会が終わって美鳥ちゃんは行方不明になったわけです。それから大覚寺さんの証言によって荻野さんは逮捕されたわけですね」
「しかしそれは虚偽の証言だった。そうですね」
「ええ」
そして彼女の口から大覚寺明美の名前が出てきた時に真矢は強い口調で念押しをする様にそう言った。
「今思えばあれは酷い誘導尋問でした。他の皆は被害があったと言っている、君はショックで忘れているだけだと……そしていつの間にか荻野さんは観測会の度に子供たちに良からぬ事をしていた犯罪者になっていたわけです」
「無茶苦茶な話ですね」
「ええ、本当に。ただ事件に関して私は何も知らないのでこれくらいしか話す事は出来ません」
「いえ、構いません。誘導尋問があったと確認出来ただけでも収穫です」
俺は当事者の口から直接その事実を聞いて少なからずショックはあったが受け止める事にした。あの事件の捜査には問題があった、今後手に入る情報はその前提で検証したほうがいいだろう。
だがそれは同時に父さんのしてきた事を否定するにほかならなかった。だけど受け入れなくては。真実を知るためにも……。
「姉歯美鳥という人物についてあなたはどのくらい知っているんですか? 学校に通っていなかったそうですけど」
「はい、私が彼女に出会ったのは森の中でした。その時彼女は一人で遊んでいて私とキホちゃんが話しかけて一緒に遊ぶ様になったんです。あ、これがキホちゃんですね」
古豊千さんはアルバムを取り出して萩野キホの写真を見せてくれる。ニカッと笑うその素敵な笑顔はとても凶悪犯罪者に育てられたとは思えないほど曇りのないものだった。
「でも今思えば少し変だったかもしれません」
「変、というと」
「実は以前私が美鳥ちゃん、と呼んでも返事をしない事があったんです。もう一度名前を呼ぶと慌てて反応をしたんですがその時ボソッと、」
『そっか、今は姉歯美鳥なんだっけ』
「と言ったんです。それが事件の後になって無性に気になって……」
「ふむ……」
俺と真矢はその言葉の意味を熟考する。大した事のない言葉のあやと思えばそれまでだがきっとこれはそういうのではないだろう。
「今は姉歯美鳥という言葉からはそれより前は姉歯美鳥ではなかったという事だね。誘拐された子供説を補強する証言だけど……」
「私にはなんとも。ですが今思えばいつも彼女は何かに怯える様におどおどとしていて普通ではなかったですね。家にも絶対に来ないでと言われましたし」
真矢の質問に古豊千さんはその時感じた事を素直に述べる。その主張には主観が多少なりとも混ざっているけど決して無視出来ない証言だろう。
「しかし誘拐された場合DNA鑑定で親子関係が認められるはずがない。つまり可能性は二つ。それはただの勘違いで姉歯美鳥はやはり姉歯照子の子供だった、あるいはDNA鑑定が間違いまたは捏造されたものである。個人的には捏造だと思うけど断定するにはもうちょっと情報が欲しいね」
「すみません、私はそれ以上は何も」
与えられた情報から真矢は推理をするがやはり結局は情報が足りないという結論に落ち着いてしまう。だが少しずつ真実に近付いていると俺は信じたかった。
「もう一つ、ずっと気になっていた事があるんですが……関係ないかもしれませんがよろしいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
「美鳥ちゃんの捜索依頼が出されてからしばらくして裏山から国木田岳志という男の子が出て来るのを見たのですが、その時の顔がひどく青ざめていたのが気になって」
「国木田岳志?」
「この子です」
古豊千さんはアルバムの別のページをめくりその少年を指差す。いがぐり頭で見るからにわんぱくそうな子供だ。
「その翌日裏山で春蘭ちゃんの遺体が発見されました。もしかしたら国木田君は彼女に関する怖いものを見たのかもしれませんね」
国木田少年が何かを見たかもしれない。俺はその証言が非常に気になってしまった。
彼はもしかしたら楊春蘭の遺体を見たのかもしれない。もちろんそれ自体は事件にさほど影響を及ぼさない情報だけどその死体が自殺、あるいは事故死を連想させるものであれば貴重な証言になる事は間違いないだろう。
「なるほど。ちなみにその国木田という少年とは連絡はとれますか?」
「すみません……丁度その時期くらいに引っ越してそれっきり会っていないんです。力になれず申し訳ありません」
「あ、いえ、大丈夫です、お気になさらず」
しかし国木田少年に関してそれ以上知ることは出来なかった。せめてどこで何をしているのかわかればよかったんだけど。
「あの」
だけど俺が考え込んでいると古豊千さんは不安げに声を出す。どうやらまだ話したい事がある様だ。
「荻野さんが犯人かどうかは別にしても、春蘭ちゃんは本当に殺されたんですよね?」
そして彼女はそう尋ねた。だがそれはまるで死因が他者によるものだという事を望んでいる様に聞こえたので俺は少し違和感を覚えてしまったんだ。
「どうしてそんな事を聞くんです?」
「……いえ、何でもないです」
けれど古豊千さんは何かを言おうとして止めた。心の扉に幾重にも鍵をかけた彼女はそれっきり貝の様に口をつぐんで黙り込んでしまった。
「かなり気になりますしもう少し聞きたいですけど長居するのも悪いですし今日はこのくらいにしておきましょうか。紅茶、美味しかったですよ」
「あ、はい」
重苦しい空気を読んだ真矢は帰宅する事を提案した。これ以上は信頼関係が初期レベルの状態では知る事が出来ないし今日の所はこのへんでお暇するしかなさそうだ。
気になる事はあるにはあったけど俺たちは古豊千宅を後にした。だが彼女は何を思い至ったか玄関を出る直前に再び何かを言おうとした。もしかして先ほど飲み込んだ言葉を言ってくれる気になったのだろうか。
「その、寺町真矢さんでしたっけ。もしかして以前に私とお会いした事はありますか?」
しかし彼女の口から飛び出したのは少し意外な問いかけだった。年齢的に離れているし絡みはあまりなさそうだが……?
「いいえ。僕とあなたは初対面です」
「そう、ですか」
真矢は表情を変えずに否定し、今度こそ話す事が無くなったので俺たちは古豊千宅を後にしてしまう。
そして家の扉の前から離れてエレベーターを待つ間、様々な事がものすごく気になった俺は真矢を問いただした。
「随分とまあ思わせぶりな爆弾が投下されたな。お前も実はあの事件の関係者だったのか? あの日星を見る会に参加していた児童……いや、まさか萩野キホだったとかそういうオチじゃないよな」
「その場合僕は三十代になるね。失礼だなあ、君には僕がそんな年齢が見えるのかい?」
「いや、もちろん見えないが」
俺が馬鹿馬鹿しい推測をすると彼女は可愛らしく頬を膨らませて怒ってしまった。彼女はどう見ても高校生か大学生程度の見た目なのでその推測はきっと外れているだろう。もし事件当時に生きていたとしても赤ん坊とかそれくらいの年齢のはずだ。
「念のために言っておくと萩野弘にもう家族はいないよ。妻と娘は心中したからね。なんならDNA鑑定でもしてみるかい? まあ結果は捏造されたものかもしれないから当てにはならないけどね」
真矢は俺が続けて質問をする前に先だって可能性を潰してあはは、と笑った。しかし微妙に笑えないジョークである。
「だがならどうしてそこまで終わってしまった事件にこだわる。お前も何かしらの関係者なんだろ?」
けれど俺は確信していた。彼女が連続幼女殺人事件に何かしらの形で関わっている事を。あの資料の山はただの好奇心で集められる量ではなかったし彼女には必ず強い動機となりえる何かがあるはずなのだ。
「そうだね。僕はミステリアスな路線で行きたいから秘密って事で。でもそのうちちゃんと話すよ」
「そうか」
しかし真矢は困った様子で笑いやんわりと拒絶してしまう。路線とかはわからんがそういう事なら仕方がないな。
「随分とあっさりと引き下がるんだね」
その淡白な反応に真矢はほんの少し驚くが俺は彼女にその理由を適当に説明した。
「そりゃ気になるっちゃ気になるが……今のところ知らなくても不便はしないし話したくないのなら無理に聞く必要はないだろ」
「そっか。君にはいつか話すよ。だから待っててね」
「ああ」
その回答は満点だったのか彼女はわずかに嬉しそうな表情になった。さっきからコロコロと表情が変わっているが悪徳探偵のこいつにも一応喜怒哀楽の感情はある様だ。
そしてエレベーターがようやく到着したので俺はボタンを操作して下降する。さて、次はどこに行くか。




