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女王蟻の献身  作者: ゆうひかんな


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女王蟻の帰還


苟絽鶲国とバセニア皇国間で和平条約が締結され、ニ年の月日がたった。


和平条約の締結と共に輿入れされたバセニア皇国第一姫、現在は苟絽鶲国正妃であるアデラ妃が、待望の第一子を懐妊されたとして、苟絽鶲国内は連日が祭りのように沸き立っていた。

彼女が嫁いできた当初は、バセニア皇国内での悪評が苟絽鶲国内にも広まっていたため人々は不安視していたようだが、民の生活水準を向上するためといくつもの画期的な案を提示し、夫である帝と共に実現させてきた彼女は今や苟絽鶲国の発展に欠かせない存在と認識されている。

一方で、持ち前の自由気ままな性格は彼女を溺愛する夫から矯正されることもなくすくすく育ち、興味のおもむくまま、国の各所にお忍びと称して出没していたのだが、生来の華やかな容姿とお転婆な気質が災いして、例外なくバレていたという。

だが、がっかりさせては可哀想と皆が気づかぬ振りをしていたおかげで、今だに本人だけは気づかれていないと信じているらしい。そんな愛すべき人柄でもあるアデラ妃がもたらした懐妊の知らせに沸くのは民だけではなかった。

張り切った国の上層部は軍の練成や能力を計るために行われる演習の規模を拡大し、他国の来賓を招いて大規模なものにすると計画していたのだ。


それが、本日。


今回の演習の舞台には鼓帯地方が選ばれた。

海沿いにあるこの地は、年間を通じて風が強い。

陣を仕切る幕が風に煽られ、はためく。

出番を待つ兵士達の中には演習に初めて参加する者が一定数混じっていた。

ひと目でわかるくらいに彼らは緊張していて顔色も悪かった。

そして少しでも安心したいという心理の現れか、いつにも増して雑談が増え、それに混じり情報が飛び交う。


「……緊張してきた」

「大丈夫だって。聞いた話だが例年、色々理由をつけて規模や趣向を変えて行われているけど、内容自体はそこまで違いはないらしい。今年も例年同様だろうってさ」

「そうかな?」

「まあ、お前は入隊して初めての参加だからな。一時期はバセニア皇国への牽制を兼ねて毎年やってたから、さすがに趣向のネタも尽きてると思うぞ?」

「それならいいけど……」

「しかもこれだけの規模になるのは初めてのことだから、上官も下々まで見ている余裕はないって。無難にやり過ごせば、あっという間に終わるよ」

「そういえば成安国からも参加するんだってな?」

「あの国は広寧国とは冷戦状態だから、いつ戦が起こってもおかしくない。士気を高める機会が欲しいから参加するんだとよ」

「勇猛果敢であると評される黄家当主は来るのかな?」

「どうかな。まあ、来るとしても最前線には居ないだろう。いるとすればあの辺りだ」


本陣とされる一帯を指差す。

その先には閲覧席があり各家当主の姿があった。

そして今はまだ姿を見せていないが苟絽鶲国皇帝が観覧する予定の場所でもある。


「どうしよう、ますます緊張してきた」

「度胸ねぇのな、お前。なら違うことを考えたらどうだ?」

「違うことって、どんな?」

「例えば女のこととか……噂の謎に満ちた紫家当主夫人こととか?」

「ああ、聞いている。儚げな美人らしい」

「ある日突然紫家当主の婚姻が発表されたときは、一騒動起きたものな。他国の由緒正しい家柄の娘だと言われているけれど、今まで表舞台には姿を見せたことがないそうで誰も彼女の存在を知らなかったらしい。噂通りなら、慎ましく夫を助け、美人で賢いなんて淑女の鏡だよな」

「確かに大所帯の紫家の家人を纏め上げる手腕は素晴らしいが……既婚者だぞ?」

「まあ確かに。なら最近できた食堂の女中が綺麗どころばかりだと聞いているが、この話はどうだ?」

「なんだと! それ、どこの店だ? 俺にも教えろ!」


他の兵も巻き込み、話題がしっかりとそれたところで背後から忍び笑いが漏れる。

かすかに肩を震わせるのは甲冑を身にまとう兵士二人。

一人はずいぶんと小柄だが、それ以外に目立つところはない。

もちろん目立たないように気配を消しているせいでもあるのだが。


「生死を賭ける戦場で女の話が出来るなんて充分肝が太いと思うのだけどね」

「姐さんが、儚げで、淑女の鏡……。何度聞いても冗談としか思えない」

桃林(とうり)、噂が無責任なものだと知っているだろう?」

「細工は?」

「当然私はしていないよ?」

「なるほど姐さん大好きなあの方の仕業か……」

「私の場合、突っ込みどころ満載だからね。興味を引くネタが少ないほうが面倒事に巻き込まれることもない」

「国の後ろ盾でも足りないなんて、貴族社会って怖すぎる」


私が毒の入手先を辿るために広寧国に旅立ち、戻ってきた時には根回しの全ては終わっていた。

多方面に協力を仰いだ結果、私の戸籍は新たに作られたものの生まれ故郷は成安国のまま。

黄家はすでに緋葉と華凉様が継いでいるから今更直系であることは公表できない。

ただ新たに作るとしても嘘が多ければ不審に思われやすいから、遡れば成安国の黄家に連なる一族の血筋とされた。

戦の混乱を避けるため、黄家の治める土地を出て、別の地に住み着いていたという設定に落ち着いた。

武芸についても多少嗜みがある程度とし、表向きは護衛を従えて、楚々とした女性を演じている。

……そうすれば、万が一襲われても生き残る確率が上がるからね。

こんな小細工だけで助かる確率が上がるとは、なんと都合のいいことか!

そして婚姻を結ぶにあたり、私の後ろ盾となったのは意外な人物だった。

脳裏には広寧国でのとんでもなく濃い日々がよみがえる。


「お母様って呼んでね、鈴麗」


かつては陶家の青い鳥と呼ばれ今は黄家夫人となった華凉様が、花開くように笑う。

第一子となる男児を出産後、美しさだけでなく母としての慈悲深い眼差しも相まって、もはや菩薩のような神々しさだ。一方で、何も知らされていない私には、彼女が何を言っているのか理解が追いついていないが、任務だと思うことにして必死に思考を立て直す。

呆然と立ち尽くすだけの私に、青空のように透き通った一対の青が嬉しそうに瞬く。


「うふふ、いつも余裕を崩さないあなたの驚く顔が見たくて紫家御当主に内緒にしてねってお願いしたの!」


鄭舜様、許しませんよ?

結婚後、一年して家督を譲られた鄭舜様は現在紫家当主となっている。

前当主であったお義父様は、いろいろと思うところがあったようで鄭舜様の婚姻と同時に引退することとしたようだ。お義母様を説得し、今は帝都にある別邸で穏やかに暮らされている。

お義母様も、思いの外別邸での穏やかな暮らしは性に合ったようで、少しずつだが、お二人は歩み寄っているそうだ。


『私には紫家当主の座は荷が重すぎた。そのせいで鄭舜には幼いころから余計な苦労をかけてしまったのだよ。だから息子があなたのように心から信頼を寄せる伴侶を得ることができて本当によかった』


最後にお会いした際、穏やかな表情でお義父様は申されていた。

紫家という大所帯をまとめるには優しすぎたけれど、実際にお会いしてみるととてもよい方で、『だから強く憎めない』と鄭舜様が苦い顔でおっしゃっていたのもうなずける。

その鄭舜様が、にこやかな顔で黄家行くように指示をしたのだから何か裏があるとは思っていたが、こういうことか。


「つまり親族の娘が本家の養女となって嫁ぐということですか」

「そうよ。人と人とを繋げるとはこういうことをいうの。あなたも将来は宰相夫人となるわけだからよく覚えておきなさいね」

「……ということは、私の父にあたるのが?」

「もちろん、黄家現当主よ」


それはもういい笑顔の華凉の視線の先にいるのは、微妙な顔をした緋葉だった。

一寸ちょっと押し黙ってから、私はにっこりと微笑む。


「よろしくお願いします、()()()

「……絶対に面白がっているだろう?」


蒼月が顔を真っ赤にして肩を震わせながら笑いを堪えている。

今同じ部屋には事情を知る三人しかいないから気が抜けているようで完全に部下だったころの顔だ。

思わず口元を綻ばせる。

過去のあれこれを飲み込んで、このぐらいの演技はできないとね。


()()()も、まだまだ修行が足りないようだ」


いくつもの顔を持っている緋葉、そのうちの一つを与えたのは私。

決して楽な道ではなかっただろうに、自らの手で運と命をもぎ取った。

死んだ弟とは顔も性格も全く似ていないけれど、今では本当の家族のように思えるから不思議だ。

思い出したかのように、華凉様がポンと手を叩く。


「そうだわ、うちの息子に会ってちょうだい」


彼女は更紗の掛かる小さな寝具から子供を抱き上げる。


一目見て、仰天した。

なんというか……赤子なのにとんでもなく整ったきれいな顔をしている。

顔の造りは華凉に似たのだろう。

将来は間違いなく女性から引く手数多になりそうだ。

そして髪の色は緋葉にそっくりな赤褐色、これもまた父親の血を引いた証。

やがて母の温もりを感じた赤子が、静かに眼を開く。


……瞳の色は()か。


()()()でもなく、()でもなかった。

予想できることとはいえ実際に見るまでは想像がつかなかないものだ。

伝え聞くところによると、血統を重んじた紅家は揃えたように皆が黒髪に黒目だったそうだし、緋葉の父親もそうだった。それに黄家の血筋だって私と同じ黒髪に黒の瞳が本来の色である。

そう考えると子供の容姿は本来の色に戻ったわけで黄家としては悪いことではないはずだ。

だが、父母の抱く複雑な感情もなんとなく読めてしまう。

瞳の色による呪縛もない代わりに、()()もまるでないのよね。

顔を上げれば、真剣な表情をした華凉様と視線が合った。


「男の子であれば間違いなく父親と比較されるわ。緋葉とこの子は別の人間であるのに、比較して蔑むような愚かな人間共が一定数は存在すると思うのよ。苟絽鶲国にいたころの緋葉や私の姉のように、色の有無だけで貶められ悲しい思いをさせることは私が許さない。だからこの子に戦う力を与えたいの」

「詳しくは、どのような力をお求めですか?」

「黄家は緋葉の武の力で家名を再興したわ。でも今は広寧国という戦う相手がいるからこそ、彼の力を必要とする。でも広寧国との関係が改善したらどうなるかしら? もしかすると緋葉の力は不要のものとされてしまうかもしれない。そうなってから手を打っても遅いの。最悪、せっかく興した家を国の都合で潰されてしまうかもしれないわ。そうならないように、武門の誉れを守りながら政治の世界でも生き抜けるような才覚を身につけさせたいの」


華凉は息子に武力だけでなく政治力も身につけてさせておく気らしい。


彼女の言葉を聞きながら、緋葉はそっと視線を伏せる。

裏の世界から政治を見てきた彼自身だって、決してそういう世界に疎いわけではない。

だが戦で名を上げた彼を、混沌とした古い時代の象徴のように誰もが扱う平和な時代がくればどうなるのか。

最悪、かつての紅家のように淘汰されてしまうかもしれない。

華凉が恐れているのはそこだろう。

それに平和な時代が訪れて黄家の発言力が弱まったときに、家を維持するためと当主を別の戦場に駆り立てるような体制では家を受け継ぐ御子にも負担がかかる。

誰の益にもならない不毛な戦は華凉様なら絶対に阻止するだろう。


「鈴麗、私はこの子を負け犬に育てる気は微塵もないのよ」

「政治は華凉様の得意分野で、私に求めるものはないと思料いたしますが?」

「言葉で戦うことは教えられても、武器を取って戦うことは教えられないわ」


たしかに平和な時代が長くは続かない可能性だってある。

再び戦乱の世となれば、黄家には政治力よりも再び抜き出た武力が求められるだろう。

そのときのために水準以上の武力も維持しておきたいということか。

華凉様の実家である陶家は元々紅家一族、武に長けた血を引いているはず。

現当主は指導が上手い方であるし、しかも教える相手が孫となれば、鬱陶しいくらいに構い倒してくれる未来が目に浮かぶ。

それに兄である煌達様だって教えを乞う相手として実力は十分だ。

にも関わらず私に話を振ってきたのは求めるものがあるから。


「つまり、(かた)が欲しいということでしょうか?」

「そう。黄家の形を、黄家の後継者へ授けて欲しいの」


黄家の形を黄家に取り戻す。

至極、もっともな取引だと思った。

緋葉は血の恩恵で紅家の形を受け継いでいる。

そんな彼に他家の形を馴染ませるのは難しい。

だからこそ猩々緋の瞳を持たない子に華凉様は黄家の形を学ばせたいのだ。


猩々緋の瞳を持つ子には血が受け継ぐだろう紅家の形を、そして持たざる子には黄家の形を。


それこそが、黄家が紅家の血と共存するために選んだ道だった。

だが黄家の形は私が死ねば永遠に失われてしまう。

だから失われる前に、私の後ろ盾を引き受ける対価として鄭舜様に形を要求したのだ。

紫の当主である彼がそれを受け入れたというのなら、国の益となると判断されたのだろう。

それなら私に否応もない。


「もちろん、私も望むところでもありますから喜んでお引き受けいたしましょう。……ただし、条件があります」

「何かしら? たしかに鄭舜様からも条件が出されるかもしれないとは言われているけれど?」


探るような視線を向ける華凉に微笑む。

彼女には想像もつかない世界のことだ、不安になるのも仕方がない。


「試しを受けてもらいます。御子に黄家の形を受け入れる器があるのならば全てお教えしましょう」

「それはどのような試しなの?」

「黄家の形を受け入れるには器となる頑健な肉体が必須です。血を引くにも関わらず、体の弱かった弟が型を知らないのはそのためです。ですから、まずは肉体を作るところから学ばせましょう。もし黄家の形を受け入れる器でなかったとしても、身体を鍛えることで病に打ち勝てる健やかな肉体を手に入れることはなりますから損はないはずです」

「具体的にはどのようなことをするのかしら?」

「かつての黄家の場合、幼い頃から大人に混じり狩りに帯同して戦闘行為と血に慣れさせ、怪我の処置の仕方を学び、怪我や毒に対する耐性をつけていきます。それに馴れると、今度はより高い山に登り、活動範囲を広げつつ狩りの難易度を上げるのです。そうすると技術が向上するだけでなく肉体も強くなり、長時間激しい活動をすることが可能となるのです」

「つまり、それに耐えられることが形を学ぶ大前提なのね?」

「そのとおりです。それに後継者としての勉学の時間を含めれば相当厳しいものとなるでしょう。それでも挫けずについてこられる精神力があれば、形を会得するのは難しいことではありません」

「試しはどこで場所で行うの?」

「黄家の故郷である成安国の最北端、慶州。そこには隣国と国境を隔てる山岳地帯があります。訓練には、ある程度の高度と広さが必要ですので最適と思われます」

「ここからでは遠いわね……」

故郷の地と他国を隔てる山が訓練に使われたのは防衛を兼ねた二重の意味があったのだろう。

私には馴染みの場所だが海に面する土地の多い成安国には訓練に使えそうな場所がない。

とはいえ海に近いこの場所から正反対にあるような土地だけに二人は思案する。


「その場合、あなたが教えるわけではないのね?」

「はい。実地に関して指導できる者は他にもおりますゆえ」

「指導できる者?」

「……緋葉、黄家の親戚として近づいてくる者は対処したでしょう?」


話題を切り替えるように、緋葉へと視線を向けた。

彼は躊躇しつつも軽くうなずく。


「それは私が選別した始末してよい者たち。でもね、黄家の一族は他にも残されているの。あなたの目に触れない者、つまり私があなたとの接触を控えるよう命じた者たちのこと。……彼らこそ私が残すべきと判断した忠義の者よ」

「……!」

「今更黄家の末裔を名乗るような面倒な人間は、ほぼ一掃されたようだから、あなたにも彼らを紹介しましょう。試しが何かを知る彼らなら御子をよく導いてくれるでしょう」


彼らは普段、猟師として生計をたてている。

黄家の負けが決まり、傷つき散り散りになりかけた彼らを隠れ里まで導いたのは私自身。

今も連絡をとり、援助もしているから子供の一人くらい預かってくれるだろう。


ふと視線を感じる。

たった今、未来の一つを決められた幼子の目が、私を捉えた。

まだ発達前でぼんやりとしか視力はないはずなのに音と気配で第三者の存在を認識したのだろう。

注意深く、そして聡明な御子だ。

このまま真っ直ぐ育てば、二人の後継にふさわしい人物となるに違いない。


「あなたに子ができたら、この子と同じように彼らに預けるつもりなの?」

「もちろん。適性も測れますし、知識と経験は一つでも多いほうがいいと思われませんか?」


華凉様は私と視線を合わせた。

心の在りどころを見極めるような、上に立つ者独特の視線。

この目をお嬢様が手に入れたと知れば陶家の現当主は、さぞ喜ばれることだろう。


「最後に一つ聞かせて」

「はい、なんなりと」

「鈴麗。あなたの献身は、いまいずこに?」

「紫家に、そして苟絽鶲国にございます」

「我々を謀ることはないという証は?」

「女王蟻の名をかけて、我が証といたしましょう」


懐から女王蟻の印を取り出す。

その場にいる全員が息を飲み、目を見張った。

そして深々とため息をつく。


「あなたを劉尚様の元へと送り出したときは、ここまでになるとは思っていなかったことを潔く認めるわ」

「紫家当主夫人と、黄蟻と、女王蟻ですか。……指揮命令系統も違うだろうに、難なく三つの立場を使い分けるなんてとんでもないですね」

「こんな一筋縄でいかない人が俺たちの娘になるって、どう考えても無理があるだろう?」


上から華凉様、蒼月、緋葉。

……褒められているような気がしないのはなぜかしらね?

さて、こちらもそれなりの覚悟を示したのだ、そちらも腹を括ってもらわないとね。

五分ほど思案して華凉様はうなずいた。


「わかりました。取引をお受けしましょう。異論はあるかしら?」


なんとも言えないような……しょぼくれた顔で緋葉は首を振った。

そこまで嫌がられるようなことをした記憶はないのに不思議なことだ。


「それにしても鄭舜様は、どこまで織り込みずみでいらしたのかしら?」

「何をですか?」

「養女の件は、あの方からの申し出でしたのよ」


首をかしげた私に、華凉様がゆったりと微笑む。

緋葉と蒼月も視線を上げて、からかうような表情を浮かべた。


「鄭舜様は、あなたを()()から嫁がせてあげたかったのですって」


意味を理解した私は、目を見開き息を飲んだ。


色々あって戸籍上はすでに紫鈴麗となっている。

でもこの家に行儀見習いとして滞在する間だけは、黄鈴麗でいられるのだ。


ねえ、信じられる?

全て失ったはずの私に、あの人は真名すら取り戻してくれたのよ!


胸の奥にいる弟へ、かつて少女だったころのような弾んだ声で話しかける。


厳しさの裏に隠す温情。

冷たいように見えて優しい人。

罪を見とおす紫の瞳は、罪人の望みまでお見通しだったらしい。

ほんのりと頬を染めた私に、華凉様が口元を綻ばせる。


「ふふ、再び守るべき相手を見つかったようでよかったわ」

「そのようです。お父様とお母様、これからも末永くよろしくお願いいたしますね」


かくして私は真名の黄鈴麗として鄭舜様に嫁いだ。

すでに紫家の差配は任されていたけれど結婚式を挙げたのはまだ半年程前のこと。

結婚式の夜から、鄭舜様は私が体に受けた傷の一つ一つまで愛してくださる。

この傷が献身の証であり紫の誇りでもあると、なぞって愛撫するのだ。


あなたが、欲しい。

献身の証で傷ついた身体だけでなく、心も余すところなく全てを。


いつぞやの台詞が脳裏に蘇り、鎧の内側で私は頬を赤らめた。

これほど大切に扱われたら、心満たされないはずがない。

その誇りを守るため、私は今日もここに立つ。


兵士たちの歓声から陣幕のうちに帝が到着したことを知る。

私は桃林と拳を軽く打ち合わせた。


「手はず通りに」

「了解」


私たちには兵士とは別の任務が課せられているのだ。

帝の合図とともに、ざわつていた兵士が足並みを揃えて無言のまま武器を構える。

誰もが、そのときを待っていた。


一瞬の沈黙。

その真ん中を、鼓泰地方ならではの強烈な風が吹き抜ける。

銅鑼が鳴り響き、勇壮な突撃の合図を喇叭が吹き鳴らした。

二つに分たれた軍が威嚇するように雄叫びを上げる。

ぶつかり合う獰猛な気配に、血が滾る。


……蟻の兵士よ、私こそが女王だ。


鈴麗は鼓舞するように鎧のうちで嘯いた。




あけましておめでとうございます。

おたのしみいただけるとうれしいです。

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