女王蟻の不在と藤の花
鈴麗が毒の入手先を調べるため、広寧国に旅立った後。
とある昼下がりに劉尚の執務室では紫鄭舜は書類を纏め、退出の準備をはじめた。
機会を狙ったかのように、執務室へアデラがお茶を運んでくる。
そういえば、と急に思い出した風情で劉尚が彼女ヘ声を掛けた。
「ねえ、アデラ。君の想像を越えた行動には何らかの理由があるのは理解したよ。だから次にどうしても放浪しなくてはならないときは、ちゃんと誰か連れて行くようにね。色んな意味で危ないから。」
「もちろんですわ!!ちゃんと対策は考えておりますもの!!」
本当だろうか。
男性二人の胸には同時に不安が宿った。
期待に満ちた表情を隠せない劉尚。
鄭舜はちょっと天井を見つめ考えた後、不愉快そうに眉を顰める。
茶器を扱うのに一生懸命なアデラは二人の対照的な表情の変化には気が付かない。
そして無事にお茶を入れ終えた彼女は茶器を手渡しつつ自信に満ちた表情で言った。
「次に放浪するときは、ちゃんと鈴麗を連れていきますよー。」
「…は?え、彼女なの?」
「…やっぱり。」
男性二人、それぞれに違う反応を見せる。
呆然とした表情で書類を取り落とす劉尚と、それを面倒くさそうに端から拾う鄭舜。
「鈴麗なら並の殿方より強くて、しかも料理が上手!!女性ですし同行しても問題なしです!!」
「…いや、問題ありまくりだよアデラ。そこは嘘でも夫である私と一緒に、とかだね…。」
「ご存知ですか?敵の前に立ち塞がる彼女の横顔の凛々しいこと!!本当に素敵なんです。」
「いやだから、一般的な回答としては夫である私を、だね…。」
「女性同士だから、部屋は一緒…最高だわ。ああ、バセニア皇国への旅で叶わなかった夢が…。」
鈴麗と気ままに女子二人旅なんて楽しいに決まってる。
うっとりと、夢の世界が見せる麗しい光景に浸るアデラ。
憧れるくらい自由よね。
「当然、許可しませんよ。」
何を寝ぼけたこと言っているのか。
冷ややかな声がアデラの身に降り注ぐ。
夢から覚めた彼女が見たのは、燃え盛る炎を背負った裁きの神と見紛う鄭舜の姿だった。
「…をう。」
「今のは君が悪い。さっさと謝ってしまいなさい。」
今は鈴麗が不在で機嫌が最悪なのに、煽るようなこというから。
劉尚は苦笑いを浮かべた。
迫力に負けて、一歩後ろにさがったアデラの退路は執務用の頑丈な机が阻む。
気付けば、いつぞやと同様に逃げ場はなかった。
「…いいですか?彼女がなんで帰国して早々に広寧国に乗り込む羽目になったのか、それは全て、すーべーて、貴女の命を狙った人物が接触する相手を調査、運良くトカゲの尻尾なら斬られる前に捕獲して洗いざらい吐かせて更に上の人物を探るためなんですよ?元凶をたどれば貴女のご両親や兄上が手を抜いて、対応を怠った尻拭いなんですよ?自身が危険な状況にあるという立場で、且つ彼女を危険に晒すことをわかっていて、『一緒に行きましょう』なんて、彼女の面倒見の良さと優しさにどれだけ甘える気満々なんですか。そのナナメ上に飛躍しがちな目出度い脳味噌はお忘れでしょうが、ただでさえ彼女の披露の日程もまだ決まっていないというのに彼女の身をこれ以上の危険に晒すような行動や言動は、例え話だとしても絶対に許しません。」
「…ねえ、今さり気なく失礼な台詞が含まれてなかった?」
「気のせいです。」
ぶった切る鄭舜に、怯えながらも反論するアデラ。
劉尚はため息をつく。
「だからアデラ、相手は私にしておけばい」
「いいわけないでしょうが。それも許しません。」
「ええと鄭舜、一応私の方が立場は上…。」
「だからですよ!!どこの世界に呑気に出歩く最高権力者がいるんですか?!ああ、そういえばいましたねぇ、ここに。昔はいつもいつもいっつも、執務室の窓開けて欄干伝って脱走してましたもんねぇ。しかも捕獲しに行くと、なんでか毎回治安の良くない地域で無駄にならず者とかに絡まれていて、手当たり次第、危ないからって止めているのに素手で戦っては、民家に投げ飛ばしたり川に投げ飛ばしたり。『自分の強さを試したいから』とか、どこの筋肉バカですか?貴方が楽しく戦っている間、どれだけ紫の私兵が貴方の消息を掴むために走り回り、決裁が滞って担当者が飛び降りそうになったり首を括りそうになるのを、私がどれだけ必死で宥めすかして思い留まらせたか知ってますか?貴方が事務方からイマイチ信頼されていないのは、そういう前科があるからなんですよ?思い出しましたか、ならば自重なさってください。」
「鄭舜、台詞の途中で投げ飛ばしたりを二回使ったね。次期宰相として語彙が不足してない?」
「貴方の過去の悪行を語るのに、何ら影響を与えませんので問題なしです。」
悪行って、いいことしたはずなのに。
気まずそうに視線を逸しながらも、全然反省していない様子の劉尚。
鄭舜の燃え盛る火に油が注がれた瞬間だった。
「暑苦しいねぇ。」
「それは劉尚様が悪いですよー、というか欄干って渡れるのですか?」
「そうなんだよ、アデラ。実はコツがあってね…。」
その瞬間。
二人はピタリと動きを止めた。
しまった。
鈴麗が不在で寂しいだろうと励ますつもりが調子にのって煽りすぎた。
油の切れた機械人形のように、ぎこちない動きで見てはならないモノのいる方向を向く。
この時、奇跡的に二人は同じことを感じていた。
笑顔なのに間違いなく怒られるようにしか思えないのはなんでだろうね?
「お二人共、これだけは申し上げますね。ノリや気分で勝手に城外へ徘徊もしくは逃亡した場合は。」
「その場合は?」
「二度とお家へ入れませんから、そのつもりで。」
「「は?」」
二人共に呆気にとられる。
なんだい、その母親が子供を諭すような言い方は。
「そんなことできるわけ…。」
「その程度のことができないと思いますか?」
アデラに鄭舜はニッコリと笑みを浮かべる。
劉尚は眉間にシワを寄せると、難しい顔をした。
どうやらできそうなことに気がついたらしい。
「ああ、他国をダシに入城する手も使えませんよ?うちの警備はそこまで愚かではありません。」
「あら?」
知られていたのか。
アデラは視線を逸した。
どこからバレたのかしら?
アデラの思い悩む横顔を観察しつつ、鄭舜はうっすらと笑みを浮かべる。
ここだけの話、鄭舜は鈴麗から報告を受けて知っただけなのだが、あえてそれは言わなかった。
後ろ暗いことのある人ほど単純な答えにたどり着きにくい。
鈴麗をダシに人をからかうから、逆に痛いところをつかれるのですよ。
「はー、わかったよ。もう無断でいなくなったりしないから。」
「私も何かあればまずは相談してからにしますわ。」
「よい心がけですね。御所に勤める皆が喜びます。」
深くため息をつき机にだらしなく上半身を預ける劉尚。
同じくため息をつき悲しげに天井を見上げるアデラ。
放っておいたら本当に留守にする気だったな、この二人。
危なかった。
二人の足並みが揃えば凶悪度が増すということか。
劉尚様だけでなくアデラ様まで同時にいなくなれば、ここは阿鼻叫喚渦巻く修羅場と化すだろう。
紫家の、自身と鈴麗の精神的な安寧を守るためには釘を刺しておかねば。
「そうですね。仕事を終わらせてから、外へおでかけになるというのなら止めませんが。」
「本当に、優しい男だねぇ。」
「ええ、甘やかすのは鈴麗だけにしようと決めておりますので。」
劉尚が揶揄するのを軽く受け流す。
アデラは鄭舜を軽く睨みながら不服そうな表情をする。
「私も鈴麗を甘やかしたいのに。独占欲の強い男性は敬遠されますよー。」
鄭舜はバセニア皇国で見せた優しさに満ちあふれる表情を浮かべる。
聞き分けのない子を教え諭すような表情は彼が相手を"落とす"と決めた時に見せるもの。
アデラは自身に向けられたその表情に、あの日の兄を重ねる。
…しまった、うっかり地雷踏んだ。
「アデラ様のお気持ち、しっかりと理解しました。…アレコレまとめて鈴麗に言い付けますよ?」
「ゴメンナサイ。鈴麗怒ると怖いからナイショにして。」
「それから劉尚様も。」
「えっ!?私もかい?」
流れ矢が当たったような顔をしているが、途中まで悪乗りしてましたよね。
鄭舜は鮮やかな笑みを浮かべる。
だから矢が当たっても自業自得です。
「そういえばアデラ様、劉尚様が欄干を乗り越えて向かう行き先、予想できます?」
「そうですねぇ、治安の良くないところ…貧民街とかですか?」
「ちょっと待って!!鄭舜、それ以上の情報は機密事項だよ?!」
「まあっ!!劉尚様、先日は私の情報をしっかりと鈴麗から聞き出しておいて、機密も秘密もないでしょう?さ、私が許します。劉尚様の行き先を話しなさい。」
「麗しき正妃様に望まれれば当然お話しなくてはなりませんね。」
アデラと鄭舜はニッコリと笑い合う。
残念なことに利害が一致すれば共闘できる二人なのだ。
「こらっ!!鄭舜、だめ…」
「花街ですよ。」
被せるように台詞を発したにも関わらず、しっかりアデラの耳には届いたらしい。
アデラが固まり、劉尚が慄く。
「もちろん、他にも行き先はありましたが。」
「鄭舜、わざとだねっ!!わざと補足を後回しにしたねっ!!」
それはそれは満足そうな笑みを浮かべる鄭舜に、焦りを隠せない劉尚。
だがそれはこれから起る、犬も食わない痴話喧嘩の序章でしかなかった。
「…劉尚サマ?私の情報では花街は治安の良い場所のはずですが?」
色と情が入り乱れる花街は意外にも治安は良いとされる。
定時になると開き、そして閉じる門には常時人の出入りを監視する門番がおり、店から雇われた腕の立つ者達により自警団が組織され、花街の警備と犯罪の凶悪化、発生を未然に防ぐ役割を担うという。
つまりある程度は安全の確保された花街で治安維持のため、という言い訳は通用しないわけだ。
「報告では花街での武勇伝には面白いものがたくさんありましたからねぇ。華々しく盗人を投げ飛ばした劉尚様の前にはきらびやかな衣装を身に着けた街の住人が列を成したとか。」
「勝手にぼかすんじゃないよ!!列を成したのは野郎ばっかり、しかも自警団に勧誘されただけで…。」
「ふふ、下手な言い訳ですこと。」
「鄭舜、どうするんだい?!勝手に修羅場にして!!」
アデラは冷ややかな視線で、でも口元は笑ったままに劉尚を見つめる。
捨てられちゃったらどうしよう。
…とでも思ったのか、劉尚は顔色を悪くして頭を抱えた。
「自分の計画性のなさを恨んでくださいね。それでは失礼いたします。」
鄭舜は退出するために、礼の姿勢をとる。
「逃がすかっ!!」
「…それはこちらの台詞でしてよ、劉尚様!!私も側室の一人や二人、許さぬほど狭量ではありませんが、列を成した女性を手当たり次第などと節操のない振る舞いは争いの種を増やすだけ。全部吐け…んんっ、きちんと納得するまで当時の状況を説明していただきますわ。」
危うく出掛かった本音を飲み込んで、アデラはパチンと指を鳴らす。
何事かと身構える劉尚の周りを執務室を警護していた兵士が取り囲み、控えていた従者が扉を開く。
「劉尚様と私は火急速やかに解決せねばならぬ意識のズレが生じておりますの。これは一大事、国家存亡の危機ですわ!!さあ皆様、劉尚様を安全確実に私室へお連れしてくださいませ!!」
「「「かしこまりました、アデラ様っ!!」」」
野郎共の野太い声が執務室に響き渡る。
皇帝陛下が懸念したという部下をたちまち手懐けるという彼女のスキルは、この国で見事に開花したらしい。
「ええっ!!アデラ?いつの間に手懐けた?!」
「ふふ、腹を割って話したとはいえ、ずいぶんと臣下の皆様の理解と飲み込みが早いと思ってはいましたが、そういう前科がありましたのねぇ。これは潰し甲斐のある…んっ、どんな武勇伝が聞けるか楽しみですわ!!」
「アデラっ、台詞のそこここに物騒な言葉あああああ~!!」
手早く机上の書類を纏めていく従者と、積年の恨みが込もった威圧で劉尚の抵抗を封じる兵士。
アデラという旗頭を得た彼らの連携はバッチリだ。
そして風のように劉尚は私室へと連行されていく。
鄭舜はそれを礼の姿勢のまま見送って、彼らの気配が消えたところで顔を上げた。
「どうせどこかで貴方の過去は耳に入る。その時に下手に拗らせるよりは今のうちに腹を括って全部話してしまう方が傷は浅くて済むものですよ、劉尚様。」
そしてそんな劉尚様の過去は鈴麗へと抱く複雑な思いへも繋がる。
忠誠と有能さを重用する一方で、彼女の存在は彼のかつて抱いていたやり場のない感情を揺り起こす存在でもあったから。
『彼女の弟の気持ちがわかるのだよね、私は。』
一度だけ口にした言葉の真意、それ以上は、説明がなくともわかる。
才能に溢れ光を集めたかのような鈴麗に対し、守られるしか生きる術がなかった弟。
彼女の容姿から推察するに弟の容姿も整っていたのだろうが、生来の虚弱体質から肉体の維持すらままならない状態では、優しげな容姿さえも揶揄される対象であったに違いない。
『目の前で抜き出た才能を見せつけられるとね、できない自分が不甲斐なく思えてしまうのだよ。』
同じ血を分けているはずなのに。
劉尚様にとって、弟である隆輝様が光り輝く存在だった。
隆輝様のカリスマ性と、初陣にて南陵関を奪還した武の才能。
弟が活躍すればするほど自身が光を失うように思えてしまう。
傍らに光り輝く存在がなかったら、こんなに惨めな思いをしなくとも済んだのに。
それが血の繋がった兄弟であるからこそ疎ましく、でも繋がりがある故に憎みきれない。
自分が先に生まれたというだけで、若く才能ある弟を戦場という名の死地へ追いやった。
兄でありながら力なき自分では弟を助けることすらできない。
その鬱屈した気持ちが、彼を無謀な行いへと駆り立てていた。
力を試したい、もっと揺るがぬ自分が欲しい。
その行いは民の願いを知り、自分の価値に気付くまで続いた。
『私の気持ちをわかっていて、止めなかったよね。』
『貴方は止められて立ち止まることのできるほど、器用な人ではないでしょうに。』
過去を振り返り苦笑いを浮かべた劉尚様に問われて、鼻で笑い飛ばしながらそう答えた気がする。
民に混じり、民の生活や彼らの願いを知るには良い機会と思い、花街を彷徨う彼を陰ながら警護させるだけで放置したのは、そのため。
あの二人は、確かによく似ている。
長い旅の末、欲しいものを手に入れた。
聡明なアデラ様なら劉尚様がかつて抱いていた願いに気づかれるに違いない。
互いを想いながら、どこか距離を測りかねている二人には理解し合うきっかけが必要だろうと鄭舜は思っていたから丁度よい。
「さて、吉と出るとよいが。」
長い廊下を移動すると、やがて御所内にある中庭へと繋がる廊下へ差し掛かった。
ふわりと優しい風が吹き抜ける。
ほころびかけた白く小さな花が、春の訪れを予感させた。
バセニア皇国へ持参した生花は寒い季節には希少なもの。
鈴麗のためにと持参した花束は、残念ながら、彼女の機転でアリフィナ姫への手土産に姿を変えてしまったけれど。
あの花束は彼女のために選んだ。
彼女には花がよく似合うから。
墓標に捧げる贖罪の花ではなく、人を幸せな気持ちにするような祝福の花が。
「そういえば婚礼の宴で彼女の髪に飾る花を考えなくてはいけませんね。」
自然の中で宴を催すという流行は、徐々に花嫁へ生花を飾るという文化へと移行しつつある。
そして今の流行りは花嫁の髪に飾る花を男性側が選び、贈ることらしい。
「そうだ、彼女には藤の花の髪飾りを贈るとしよう。」
選ぶ色は淡い紫。
自分の瞳と同じ色だ。
それに妖艶さと少女のような無防備さを併せ持つ藤の花は彼女に相応しい。
己に厳しい伴侶を甘やかし喜ばせるのは、なんと心躍ることか。
鄭舜は口元に笑みを浮かべる。
藤の花言葉は“忠誠“。
貴女は私のもの、そして私もあなたのものだ。
自分の瞳と同じ色の花を髪へ飾る意味に、たぶん彼女なら気付くはず。
一方的な独占欲だなんて、とんでもない。
同じ命を互いに捧げているのだ、我々は対等であり同等。
脳裏に浮かぶのは、花街で遊女のふりをした彼女が自身を絡め取るかのように身を寄せた仕草。
焚きしめた香の薫りに混じる血の匂い。
私にだけ見せてくれる強さと、弱さ。
絡め取られたままに、彼女を更なる国の暗部に引きずり込んだのは、私だ。
そして深い闇に引きずり込まれ、自身の血を流し数多の血を浴びても、彼女は怯むことはなかった。
愚直なまでに主人を支え、裏切ることなど考えることもないのだろう。
鄭舜は、今でもまだ愛とは何なのか掴み切れてはいない。
けれどこの心血を捧げるような想いが、いつしか愛と呼ばれるものに昇華されたらいいと願っている。
「そういえば藤の花には、もうひとつの花言葉があったな。」
松の大木に枝垂れ絡みつく藤の花の様子から付けられたのだという。
彼女の答えを求めた、あの時。
人は必ず裏切るものと思っていた。
期待するから裏切られる。
愛するから裏切られたと思うのだ、と。
だから愛されたいと願いつつ、愛されることはないと諦めかけていた。
けれど今ならば信じられる。
”決して離れない“。
もう一つの花言葉のように。
死が二人を分かつまで。
アデラを国民的娯楽番組に例えると、漫遊したりする方に近いイメージですね。
そして劉尚を例えると…最高権力者がなんでここに!!みたいな展開のあの設定に近いです(笑)
面白おかしく書いていて、気がついたらそうなってました。
お楽しみいただけると嬉しいです。




