闇の奥にある光
事故に見せかけて物が落ちてくる。
部屋を荒らされ、食事に毒を盛られた。
アデラ様の過去に見え隠れする毒の存在にその男が関与していたとしたら?
彼は決して触れてはならないものに手を出してしまったのだ。
「鈴麗、いや、"女王蟻"に命ずる。その男を生きたまま、ここへ連れてこい。」
「御意に。」
深く頭を垂れ、礼の姿勢をとる。
アデラ様は驚いた顔を見せたものの、すぐに表情を改めた。
劉尚様の一変した空気は私には馴染みのもの。
この方が怒りを顕にするのは自身が大切に思うものを害しようとする存在がある、その時だけ。
アデラ様、もうガッチリ劉尚様の御心を掴まれているじゃないの。
それにしても例の調理人だった男はなんとも哀れなことだ。
捨て駒として処分される前に、我々に囚われ、全てを話さなければならないなんて。
少しでも生き長らえる事ができるよう知っていることがたくさんあるといいわね。
私の胸の内を知ってか、知らずか、劉尚様は表情を変えぬままに問う。
「一応意見を聞いておきたい。五年前の件と今回の件、どう繋がるのか。」
「直接命を狙われたアデラ様にお聞かせするのは躊躇われます。報告書にて提出いたしましょう。」
劉尚様、続いてアデラ様にも視線を向ける。
過去とはいえ、彼女の命に関わったような出来事だ。
目の前で彼女の命を弄ぶような台詞を安易に語ってよいものなのだろうか。
躊躇う私に対し、アデラ様は笑みを浮かべ、気遣い不要とばかりに首を振る。
伸ばされた劉尚様の手が彼女の手をしっかりと掴んだ。
導かれるように引き寄せられ、アデラ様は嬉しそうに笑う。
幸せそうだな。
彼女は国を越えて、自身の価値を理解してくれる人と場所を手に入れた。
その場所を守るのもまた、私の、…私と鄭舜様の務め。
真っ直ぐに見つめる薄紫色の瞳と視線が合う。
頷く仕草から話してもよいとのことだろう。
「例えるなら、火事を煽って延焼させることが目的でしょうか。」
「延焼?」
「そういえば、バセニア皇国で私にもそう言っていたわね。」
「もし五年前の出来事と今回の件が繋がっているのなら、標的はバセニア皇国ではありません。恐らくですが、広寧国の本当の標的はバセニア皇国のその先、我が苟絽鶲国でしょう。」
「…やはりそうか。」
確証はなくとも、なんとなく予想はついていたのだろうか。
劉尚様の瞳が仄暗い光を湛える。
怒りが突き抜けると無表情になるのはアデラ様も同じ。
見た目も性格も全く違うようでいて、根本的なところはよく似ている二人だ。
「ずっと不思議に思っていたのです。なぜ広寧国がバセニア皇国を狙うのか。広寧国とバセニア皇国は確かに親密ではあるけれど、国同士の距離が離れ過ぎている。領土拡大のために隣国である成安国を手に入れるのとは訳が違うのです。距離がありすぎて手に入れても直接的な支配が難しく、また間接的な支配であれば得られる旨味も少ない。それでもなぜ、かの国はバセニア皇国の支配権を欲したのか。それはバセニア皇国の国力を使い、我が苟絽鶲国を攻めさせるためでしょう。」
和平条約など所詮は書類上の話に過ぎない。
バセニア皇国の人々は、いまだ苟絽鶲国が敵同士であったときの複雑な感情を抱いたままだ。
長い時間をかけて敵と刷り込まれてきた人々の意識は簡単には変えられない。
だから敵同士だったという意識が人々にあるうちに火種を投げ込めば簡単に炎上するだろう。
そうしてバセニア皇国の兵を、民を、金を使い苟絽鶲国を侵略させる。
成功すれば良し、失敗しても広寧国に直接的な被害はない。
むしろ苟絽鶲国が攻められている間に成安国を侵略すれば、さすがに苟絽鶲国とて援軍を差し向ける訳にもいかず簡単に攻め落とせるとでも考えたのだろうか。
「しかも苟絽鶲国から恨まれ、怒りを向けられるのはバセニア皇国です。直接的に関与していない広寧国に対しては真相が明らかにされぬ限り、負の感情を向けられることはない。結果、旨味だけを手に入れることができると考えたのでしょうね。…だが、ひとつだけ、想定外のことが起きた。」
「アデラかい?」
「はい。身の危険を感じたアデラ様が姿を消しました。この時点で不安要素となったのです。」
「だが元は身からでた錆。アデラを密かに害しようなどと画策したから察せられて逃げられたのだろう?ならば今回のように察せられることのないよう一箇所に集めて同時に対処することは考えなかったのだろうか?」
「あくまでも推測ですが…アデラ様がそこまで敏い方であることを知らなかったからかもしれませんね。恐れながら申し上げますが、比較対象がその…あのお二人ですから。」
不敬にあたるからぼかしたが、皇帝陛下とアリフィナ姫がどうにも残念な感じなのだ。
まさか一人だけ際立って聡明だとは思わないだろう。
アデラ様もあえて公の場では発言しなかったそうだし、侍女もサルマさん以外にはほとんど側についてはいなかったらしいし。
その状況で彼女の器量が正しく測れたとは思えない。
「それに、あわよくば…くらいの軽い気持ちだったのかもしれません。」
もしあのお茶会のように、一度に始末しようとすれば相当な準備が必要だ。
複数の監視の目を潜らねば望む結果が手に入らぬからだ。
しかも準備の途中で、不審に思われ調べられた挙げ句、背後にある国の存在が知られてしまうのは都合が悪い。
だがもし間隔をあけて先にひとり始末しておけば?
その分、準備に係る手間が省け、不審に思われる確率が格段に低くなるというもの。
アデラ様を先に狙ったのは、単純に警備が甘く、狙いやすかったからだろう。
理解はできるのだが、ここで誤算が生じる。
彼らは始末しようとした相手の飛躍しがちな思考回路を予想していなかったようだ。
「まさか標的が出奔するなどとは考えてなかったでしょうね。」
「私もそんな選択肢しか残らないとは思ってなかったわー。楽しかったから後悔してないけど。」
「追手がいるとは思えない弾けっぷりでしたからね…。」
思わずそう呟いた鄭舜様が笑いを堪えて肩を震わせる。
とある国では誰も想像すらしなかった画期的な技法で水路を造り、一帯の水不足を解消した。
別の国では水害でも流されないよう頑強な橋を建て、利便性を向上させ土地の価値を引き上げた。
普通、人目をはばかり旅をする人がそんな大胆なことしないでしょうに。
しかもしっかりと完成まで見届けて、痕跡も残さず立ち去るなんてカッコ良すぎですよ。
おかげでアデラ様の才能に劉尚様が気付き、安全確保のためと煌達様を差し向けることができたのだが…。
裏からこっそり見守るだけの予定だった彼が、いつの間にか保護者のような立場になっていたことからも弾けっぷりが察せられるだろう。
なんでもアデラ様の無謀な暴走ぶりに危機感を覚えて仕方なく声をかけたらしい。
以降、彼女の旅に同行しながら穏便な方向へと軌道修正し、なんとか成安国まで連れてきたとのことだ。
ターイルという偽名を名乗った煌達様が私の勤める下宿へアデラ姫を連れてきた時、若干遠い目をしながら『超大変だよ、がんばれ!!』と囁いたのは、これらの豪快な弾けっぷりが影響しているのだろう。
私の予測に対し、劉尚様はわずかに首を傾げた。
「しかし出奔した彼女を執拗に狙った理由は何だったのだろうね?兄を始末した後、速やかに妹を嫁にすれば、アデラを狙わずとも国が手に入ったのに。」
「先ほども申し上げたように、アデラ様の存在が無視できないものとなったからでしょう。」
旅をするアデラ様の周りには、常に他国の目があった。
今となれば単純に彼女のもたらした成果が結果が他国の目に付いただけと察せられるのだが、情報が不足している状態では、出奔した彼女の本当の目的がわからない。
策を巡らす側としては、他国から彼女に注がれる視線がどのような質のものなのか調べようがない。
これ以上バセニア皇国に注目を集めるわけにもいかないので、常に次の手を打つのが甚だ不安な状態であった。
それに調査した時点で他国との繋がりがなくとも、今後も同じとは限らない。
例えば劉尚様のように旅の過程でアデラ様の価値を知った他国が彼女との婚姻を求める場合は最も悪手だ。
彼女達の夫となった人物が有能であれば、彼女の夫にも皇帝位を継ぐ権利が生まれてしまう。
そして皇帝が暗殺された真相がバレてしまえば、アデラ様を擁した国が正義を掲げてバセニア皇国を侵略するということもあるかも知れない。
最悪、国同士の繋がりや損得勘定から後継者争いが起きて国が二つに割れてしまう可能性があった。
そうなってしまえば苟絽鶲国と戦うどころではなくなるし、混乱したバセニア皇国の情勢が広寧国の国政に悪影響を及ぼすかも知れない。
それほどに各地を転々とし、功績を残し続けるアデラ様の存在感には無視できないものがあった。
結果として不確定要素である彼女を排除することが最優先とされたわけだ。
「皇帝陛下は気づいていないでしょうが、アデラ様の無謀とも思える出奔が、実はあの方の命を救っていたのです。アデラ様の排除が最優先とされたが故に、皇帝陛下を亡き者とするのは後回しとされた。そしてそのことは、我が国にとっても幸いなことでもありました。少なくとも先帝の時代には話すら出なかった停戦と和平条約の締結がようやく成されたのですから。これがもし現皇帝陛下が亡くなられてしまえば確実に頓挫していた…いや、意図的に破棄させられたかもしれませんね。」
「アデラの行動は我々の軍事を回避するためにも必要だったわけだね。ついでに南陵関の砦をすり抜けて入国するルートを提示したのは我々に生ずるかもしれない危険を教えてくれていたわけか。」
計算の上かどうかはわからないが、アデラ様の出奔は我が苟絽鶲国にとっても有益だった。
ただ…彼女が南陵関を抜けるルートを情報としてわざと残したというのは、ない。
彼女の思考回路だと、記録を残さず苟絽鶲国から皇国へ移動できる裏ルートは秘匿するはず。
いざという時、苟絽鶲国に対する切り札とするために。
…ただし残念なことに夢中になると周りが見えなくなるからな、この人。
あの地図を書いているとき、彼女を暴走させた何かがあったに違いない。
すっとぼけた顔しているが、あの表情は絶対アタリだ。
「ただ、その他にも苟絽鶲国を真っ先に選んだ理由はあると思われますが…。」
「ちょっと!それは余計な情報よ、鈴麗。不確かな情報に基づく推測は言わない方が身のため。」
ぎょっとした表情を浮かべたアデラ様は私を見つめると、目を細める。
これ以上は言うな、という合図か。
でも貴女を心から欲したこの方が、取り巻く謎を謎のままにしておくわけないじゃないですか。
「遠慮は不要だよ、鈴麗。」
「御意に。」
劉尚様の言葉に頭を垂れる。
アデラ様は私を軽く睨んだ後、そっぽを向いてしまった。
貴女より上の立場の人間からの指示ですもの、仕方ありませんよ。
違和感を持たれぬよう、宿の人間と親しく接してくださったのがアダになるとは思わなかったでしょうね。
「劉尚様はすでにご存知のことと思いますが、思いつきに思えるアデラ様の行動にも、ちゃんとした方向性があるのです。」
人には性質から派生した癖というものがある。
それは繰り返し選択することで形作られていく、習性とも呼ばれるもの。
「彼女に配膳をしたからわかりますが、いつも一番真っ先に好きな物から食べるのです。大切なものを奪われないようにと、後天的に授かった癖と思われますが…では、この方が旅の一番初めに選んだ国はどこだったでしょうか?」
「鈴麗、やっぱりその情報要らない気がするの!!」
思わず口元に笑みが浮かぶ。
アデラ様、顔が若干赤いですが、心の準備は大丈夫かしら?
お楽しみいただけると嬉しいです。
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